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学校って何をするところなの?

不登校児19万人越えの日本では学校という場所が何のためにあるのか?とても分かりづらい状態になっていると感じます。
その結果たくさんのフリースクールや、オルタナティブスクール、不登校特任校、療育施設、当別支援学級まで・・・

選択肢が増えるのは悪いことではないかも知れないけれど、居場所のない子ども達に場所を作ってあげるのも悪くないかも知れないけれど、その場所は何のため?誰のため?と、考えたときに、イエナプランでいうところの
学校とは、やがて「大人になる子ども達が社会に出るための練習の場」でなければならない。まさしく、そのとおりだと感じます。

「子ども達が社会に出るための練習の場」

と、考えたときに、果たして今の日本の学校はその役割を果たしているでしょうか?
例えば国語の授業。
漢字の書き取りの練習。本の音読みの練習。
確かにそれも必要かも知れないけれど、語彙を学ぶ目的は何だろう?

人間が言葉を使い、人とコミュニケーションできるようになったことで、人類は劇的な進化を遂げることができた。
つまり、言語を学ぶ目的は
語彙を使って人と関わり、社会の中で「しごとを通して、ほかの人と共に生きていく方法」を身につけるためのものだと言えるのではないでしょうか?

5日目の夜、子ども達が考えた催しとは

5泊6日のサマーキャンプ最後の夜は子ども達がそれぞれに、「地球の未来を考える」をテーマに、出し物を企画していました。

リユースマン登場!コンビニマーメイドではリユースするとリユースマンが登場!様々な特典がもらえるのだそうです。


スイカ割りコーナーが一番盛り上がった?

5泊6日、子ども達はイエナプランの4つの活動「共にあそび、共に対話し、共に学び(しごと)、共に催す。」を体験を通して学びました。
イエナプランのこの4つの活動「あそび・対話・まなび・催し」とは人として生きていくために最低限必要なスキルなのだそうです。
子ども達はそれを体験を通して、学校という守られた場所で、毎年毎年繰り返し実践していくことで少しづつ成長し、他の人を通して自分の存在を知り、人間として尊重されながら自分で選択し、生きていくチカラを身につけるのです。
大人はそのための手助けをする存在なのです。

大人の都合で学校を運営してはいけない

画一一斉授業は効率的だからと、考え出された方法
そして、同じ教科書で学び、
同じピアニカで同じ曲を皆で一糸乱れず弾くこと
これは規格品を作る工場でやることと同じなのです。
規格外商品は全体からはじかれてしまいます。
だけど、これからの時代、それが一番得意なのはAIなのではないでしょうか?

こども達一人一人は皆違う存在、
人間はほかの人や物によって取り替えることのできない存在
だからこそ、価値がある。
イエナプランの20の原則の初めに来ることばです。

ダイヤモンドが高いのは希少価値だからなのです。人間は世界中に同じ存在がいない。ダイヤモンドよりもはるかに価値がある存在なのではないでしょうか?学校はダイヤモンドの原石である子ども達の、個性を引き出し、磨き、輝かせて、社会に送り出し、この地球という素晴らしい星を未来に向かってより良い場所にするための、そのための存在が子ども達なのではないでしょうか?

学校でその個性を引き出し価値に気づかせ、その磨き方を教え、共に生きることを体験させる。それが学校の存在意義なのではないでしょうか?

知識を詰め込み、テストの点をあげることだけが学校の目的だと考えたら、人間の先生もいらないし、場所も必要ない。そんなものはインターネットでAIがいくらでもできること。

人は自分という存在を、誰かを通して確認し、知り、生きていくものなのです。イエナプランはそれをやるための方法を体験的に学校で学び、身につけるための学びの仕組みなのです。

そのためにホンモノから学び、ホンモノの自分でいることが価値となる。
だから他の人が言うことを鵜呑みにしないで、自分の頭で考えることができ、自分で選択するチカラを身につけることができるための練習をするのです。そのためにサークルになって、お互いの顔を見ながら、毎日何度も対話するのです。人間は言葉を使い進化するのです。子ども達が進化するためには言葉を使い、他の人に自分の想いを伝えることができなければならないのです。

あそびの意味

人はあそびを通してコミュニケーションすることができます。子ども達も一緒にあそぶことから始めます。あそびで子ども同士が、仲良くなることができるのです。安心・安全な場づくりはまずは一緒に大声で笑い合うこと、体をぶつけ合ったりすることなのです。

子どもという存在は常に体を動かしているのが健全なのです。

対話の意味

毎日何度もお互いの顔が見えるサークルになって、皆の顔を見ながら、その日あったことや、気になっていることや、知りたいことや、さまざまなことを自分の言葉で、言語化して互いが頭の中で考えていることを、出し合い、理解し合い、違いを認め合うこと、それが「共に生きる第一歩」になるのです。そのための練習を毎日毎日やるのです。

お互いが毎日顔を見ながら対話することで自分と他者は違うことを学ぶのです。違うことに価値があると気づくのです。

学びの意味

学びは将来のしごとにつながるためのものでなければならないと考えています。子ども達は大人になったら、しごとを通して社会に出なければならない存在なのです。さからこそ、自分の得意なこと、好きなことで自分の価値に気がつくことが必要なのです。そのための場所が学校なのです。そのためにほかの人の存在が大事なのです。ほかの人を通して自分を知ることが大事なのです。

自分の寝る場所を仲間と共につくりあげる

催しの意味

大きな災害があった地域で最初に復活するのは祭りだと言われています。人が共に催しをするのは何のためでしょうか?
それは地域社会の中で生きていく人間として、嬉しかったことや悲しかったことを周りの人たちと分かち合うことなのです。それは、人と分かち合うことで、嬉しさは倍に、悲しみは半分になるからなのです。子ども達も自分の学びをほかの人にシェアできる場が必要です。ファミリーグループの皆と共に学んだことを親や地域の人たちに見てもらうことで、子ども達は地域の一員として、将来的には市民として、地域で生きていくことを喜びとして記憶に刻み込むことができるのです。過疎化はそれをやれなかったことの結果なのかも知れません。



本物の大自然体験から、子ども達は自分の価値に気づけただろうか?

最後の日も子ども達は海に行ったり、鬼ごっこをしたり、最後まで身体中で楽しんでいました。どの子もとてもいい顔になったな〜!と感じました。私たち大人が、大人の都合で、社会を色々とややこしい場所にしているのだとしたら、大人は子どものチカラを使って、原点に気づかせてもらう場所が必要なのかも知れません。
これからもイエナプランを通して子ども達ひとりひとりの価値を引き出すことができたら、これほどの幸せなことはないと言えます。
奄美では来年4月の「小さなイエナプラン海のまなびや」開校に向けて少しづつオープンクラスや催しをスタートさせています。まだ、イエナプランを体験していない子ども達にも、自分の価値に気づける体験をしてほしいと思います。

最後にリヒテルズ直子さんから教えてもらったルソーの言葉
この言葉は大人である私たちがやらなければならないことに気づかせてくれます。

 植物は栽培によって作られ、人間は教育によって作られる
              
                   ジャン・ジャック・ルソー

子ども達は、奄美の大自然から、人間としての「自分の価値」に気づくことができただろうか?




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