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Deep in mind|Seattleで。

Seattleに行く前からの答えのない問い。

なぜ、なぜ、なぜ。
なぜ、私は、自分に対してこうも
自信がもてないのか。


姉と仲が悪かったから、姉に認められたかったから。
小さい頃の拒絶された思い出、
最初はそんなことがきっかけだったかもしれない。

でも、最終的には、姉一人のせいではなく、
いつのまにか、姉のせいにして居座ったその場所に、
自ら、居心地の良い毛布を用意し
ぬくぬくと、過ごしてしまった。

犬が死んだから、それだけで
調子がわるくなったわけじゃない。

犬への愛情の裏に隠してきた
自分の心の寄りどころを、失ったのだ。

これまでの私は、
何か自分にとって好きなこと、良いことをやったとしても
他人から少しでもネガティブな反応があると、それだけで、
自信をなくしたり、動揺してきた。

これやってもだめなんだ、こうしても受け入れられない。
そんなことの繰り返しだった。

だから、
毎日疲れ果て、何をやっても、どれだけ良いことをやっても
決して満足できず、消耗してきた。

自分に自信をつけようと、
早熟な女の子は誰もが思うだろうように
スリムになろう、可愛くなったら認められると信じ、
努力してきた。

けど、

スリムになろうが太ろうが、そんなこととは一切関係なく、
相変わらず人の評価に一喜一憂し、打ちのめされる自分がいた。


結局、見かけをかえても本当の自分は常に、人の評価に怯え、
人の評価を軸として、自分を合わせようとして生きてきた。

私が好きな小説

「Eat Pray Love」 by Elizabeth Gilbert

の中で、主人公は、常に付き合っている彼(時にそれは旦那さん)に染まり、食べるものや、着る服まで、変えるような生き方をしていた。
誰と付き合っても、どれだけ幸せの始まりに思えても
最終的には常に不幸になり、夜、ひとり、
彼が寝ている傍らで泣くのだった。
やがて、彼と別れ、主人公はイタリアに出かける。

イタリア滞在が終盤に差し掛かった時に、
ようやく、自分の好きな食べ物を作り、
一人静かに、
神からの祝福を受けるような日の差し込む
薄暗いアパートメントに微笑みながら
ささやかな食事を味わい、過ごすのだった。
(小説はそのあともさらに、インドでの修行に、バリでの本当の愛との出会いへと繋がる。)

私はまさにそういうタイプだった。

何が苦しいのかなんてわからないけど、
悲しくて、涙を流し
何がいけないのかもわからなくて、
事あるごとに、これまで付き合ってきた人や仕事を捨て、
ゼロからやり直す、そんな人生を繰り返してきた。

犬との生活は、私を8年もの間、
ゼロリセットしたくなる焦燥感から守ってくれていた。

Seattle に行って、
K と話をしたり
そこに暮らす人々が、本当のところはわからないものの、
少なくとも私にとっては、自分の声に従い、
そこにただ生きている人々の強さを感じ、
ただただ、澄み渡った空を見上げ

私は自分がこれまで、
いかに安全なところに身を置き、
自信も、本当の声をも失くしてしまっていたことに
そっと驚いたのだった。

人に左右されるとか関係なく、
自分の、好きなこと。
自分の考え。
そこに、確かな自分の価値を置く。
そのために、自己表現をしたい。
発しなければ、と思った。

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