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清々しい風を起こす一歩とは 〜6月のお軸より〜
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「歩々清風を起こす」
(ほほ せいふう をおこす)
一生懸命に一歩一歩進んでいる人の後ろには
爽やかな風が立つという意味。
先生が「そうじゃない人の後ろには埃が立つんですって」といたずらっぽく笑った。
私はこの一歩一歩というのを、何かに向かって行動している人、夢に向かって進んでいる人のことだと直感的に思った。挑戦している人は確かにかっこいい、と。
でも、もっと純粋に歩くという行為自体を捉えてみると、深い意味があると思い直した。
毎日あたりまえにみんなが歩いているけれど、そんな日常の動作の意味を考え直して禅語を紹介している、あるお坊さんのnoteに下記の一節を見つけたからだ。
その時その時の場面場面にぴたりと合った歩き方ができることです。雑でなく、丁寧すぎず、速すぎず、遅すぎず。 その都度その都度とるべき「かたち」を、意識することなく、当たり前のように、ごく自然に何気なく取ることができること。 ここのところを、禅の世界では「無心」と言います。
無心の一歩は美しい。
無駄が削ぎ落とされていて
かつ相手への思いやりがある。
それでいて自然体…
そんな一歩を進められるようになりたいと思った。
そんなに挑戦していない自分には清風は吹かないよな…と、しゅんとしていた心が潤う。
挑戦していてもしていなくても、
日々の一歩を大切にすればいいんだ。
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とあるフリーペーパーの文章に目が留まる。
高知県の病院に勤める内科医・鈴木裕介氏監修のもの。
現代人は、活動的であることを良しとし、活動性が低いことは悪しことであるかのような価値観を持つ傾向があります。
確かに、一種の呪い。
活動的に歩いていなくても、着実に日々を歩いている自分が美しいかどうか。
そんな視点を持ちたい。
#禅語 #茶道 #teaceremony
#歩歩清風を起こす #歩歩起清風
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