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第24週 メディアで活躍する女性 扇千景


はじめに

第24週のメディアで活躍する女性は日本の女優で政治家の扇千景さんです。

子ども時代



扇 千景(おおぎ ちかげ)さんは1933年〈昭和8年〉5月10日木村寛子さんとして兵庫県神戸市須磨区に銀行員の父・木村松太郎氏、母・みさゑさんの三女としてお生まれになりました。


寛子さんは兵庫県立神戸高等学校卒業後、大学進学を望んでいたそうですが、お父さんの強い希望により大学進学をあきらめたそうです。

その代わりに友人が勝手に願書を送付したために、お父さんへの反発もあったことから、受験して合格した宝塚音楽学校に進学されます。

1948年9月8日、阪急春日野道駅付近で発生した電車追突事故に巻き込まれ、寛子さんは肩の骨を複雑骨折して入院した。

この際、見舞いに訪れた阪急の責任者・中田大三氏(後の神戸電鉄社長)が寛子の父に「娘さんを宝塚歌劇団に預けてみませんか」と打診したところ、扇の父は激怒したそうです。ただし、この事故が扇の宝塚歌劇団入団のきっかけになったとする文献もあるそうです。

宝塚歌劇団入団時の成績は51人中4位だったそうです。

宝塚歌劇団41期生となられます。

宝塚歌劇団時代


1954年4月に『春の踊り』で初舞台を踏まれます。

同期生に内重のぼるさん(元月組トップスター)、武蔵野裕美さん(女優の森奈みはるさんの母)、白菊八千代さん(女優出雲綾の母)、日夏悠理(小山田宗徳夫人)らがいらっしゃるそうです。

宝塚歌劇団の意向により、八千草薫さんと共に新設された映画専科に編入されます。

宝塚歌劇団在団中の同年10月に宝塚映画『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』で映画デビューを果たされます。

以降もテレビドラマや映画に出演し、1956年には『夜霧の女』で春日野八千代さんの相手役として盲目の少女ジェニイを演じられ、新人演劇賞を受賞されます。

結婚後


1957年5月31日付で歌舞伎役者の2代目中村扇雀氏(後の4代目坂田藤十郎)との結婚されるため宝塚歌劇団を退団されます。

1958年に結婚され、しばらく芸能活動から1年ほど離れられます。

1959年2月 長男(後の4代目中村鴈治郎氏)を出産されます。

しかし、知人の薦めにより日本教育テレビ(現:テレビ朝日)制作の単発テレビドラマ『君はいま何を見つめている』(1959年10月29日放送)に出演されます。

この作品で1960年寛子さんは第14回文部省芸術祭個人奨励賞を受賞されます。同年次男(後の3代目中村扇雀氏)を出産されています。

こうして芸能界に復帰してからは映画やテレビドラマなどに多数出演し、1965年の連続テレビ小説『たまゆら』(NHK)や1968年の『大奥』(関西テレビ)、『花は散るらん』(東海テレビ)などに出演されました。


フジテレビの主婦向けワイドショー『3時のあなた』で司会を4年間担当したされ、富士フイルムの8ミリカメラのCMで「わたしにも写せます」のフレーズが人気を集められました。



これまでに出演した映画は53作品に上るそうです。

参議院議員に


寛子さんは自由民主党総裁福田赳夫氏や幹事長大平正芳氏らの要請を受け、1977年7月、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党公認候補として全国区から立候補し、初当選されます。

当時はタレント候補の一人と評されたそうです。

自民党内では当初、福田氏率いる清和会に属されたそうです。

1978年12月  参議院交通安全対策特別委員会理事に就任されています。
1979年12月 参議院内閣委員会理事、参議院エネルギー対策特別委員に就任されています。
1980年7月 参議院科学技術特別委員会理事、日本ユネスコ国内委員に就任されています。
1981年12月  科学技術政務次官に就任されています。

1983年6月 再選され自由民主党科学技術部会長に就任されています。
1985年6月 参議院文教委員長に就任されています。
1986年 自由民主党婦人局長に就任されています。

1989年の第15回参議院議員通常選挙では次点で落選されましたが、1993年に山岡賢次氏が第40回衆議院議員総選挙出馬に伴い自動失職したため繰上当選されました。その後参議院規制緩和に関する特別委員長に就任されています。

1994年5月  参議院予算委員会筆頭理事に就任されます。

その後自民党を離党して新生党に入党し、同年12月10日の新進党結党に参加されます。

1995年、第17回参議院議員通常選挙比例区で再選されます。

新進党解党後は小沢一郎率いる自由党結党に参画され、自由党が自民党と連立を組んだことで再び与党議員となられました。

2000年4月、与党連立政権を離脱した小沢らと袂を分かち、海部俊樹氏や野田毅氏、二階俊博氏ら25名の議員とともに保守党を結成して初代党首に就任されます。


運輸大臣・建設大臣時代


第2次森改造内閣(省庁再編前)では建設大臣兼国土庁長官として初入閣されます。

中央省庁再編に備えて運輸大臣、北海道開発庁長官も兼務されました。


建設大臣時代は、内閣支持率が低迷する中で若築建設事件で接待を受けた建設官僚の名前を公表され、「建設白書」や防災服デザインの見直しなどの施策を打ち出したことで、森内閣のイメージアップ策に寄与されたそうです。

また2000年6月末から噴火して段階的に拡大していった三宅島の全島民避難(9月2日より実施)の指揮をされました。


また 公共工事入札・契約適正化法の立法にも尽力されました。

寛子さんは建設畑は未知で、国会に設置されている建設委員会の委員経験もなかったそうです。しかし自らの起用理由が第1次橋本内閣で建設大臣の地位にあった中尾栄一氏の汚職事件に起因することは意識されていたそうです。

これらの問題を解決するため、寛子さんは、汚職の原因である入札制度について世界中の事例を調査するように命じられたそうです。

フランス、ドイツ、イタリアで施行されている「公共工事基本法」を参考とし、公共工事の入札の透明化を図るため、公共工事入札契約適正化法を作成することを課題とされたそうです。

法案提出に当たっての問題は、公共工事の所管が各省庁に分散しており、調整作業を通常の慣行で実施した場合に5年はかかると見込まれたことであったそうです。

そこで総理の森氏に直訴したところ、森は「扇君が建設大臣として公共工事の基本法をつくろうとしているから、関係の省庁は挙げて協力するように」と閣議で指示されたそうです。

その結果、法案提出は3か月で達成され、同法は成立に至ったそうです。


初代国土交通大臣に


中央省庁再編に伴い第2次森改造内閣(省庁再編後)が発足すると、そのまま寛子さんは初代国土交通大臣に就任されました。

初代国土交通大臣としての初会見では、自らを「扇の要」であると発言されたそうです。

首都圏の空港問題に絡めて羽田空港に地理的利便性があることを理由に「首都圏空港の国内線は羽田、国際線は成田」という原則を崩して羽田の国内・国際共用を匂わせる発言をしたが、この発言に成田空港の地位低下を危惧した千葉県が反発したそうです。

その後引き続き第1次小泉内閣から第1次小泉第1次改造内閣まで国土交通大臣を務められています。

この間、第19回参議院議員通常選挙で史上初の非拘束名簿式比例代表で再選されましたが、保守党の当選者が扇のみであったことの責任をとり、2001年9月17日、保守党党首の座を野田毅氏に譲っておられます。

2001年12月に起きた九州南西海域工作船事件では、海上保安庁所管大臣として海上警備行動の許可、不審船との攻防の動画の公開、船体の引き上げと公開をされています。


また2002年2月22日に発生した鹿児島線列車追突事故では、停止信号下での列車進入を許容する「無閉塞運転」存続にこだわる鉄道局に強い指導性を発揮し、通信手段確保により「列車指令の許可のない無閉塞運転の禁止」(=閉塞指示運転採用)を決めさせているそうです。

日本共産党衆議院議員瀬古由起子さんの質問通告を受けて、JR九州・JR西日本・JR東海を翻意させ、同種の事故を繰り返させた省庁としての監督責任追及質問をかわしたが、国会質問を介して、お二人とも自分の専門ではない技術分野に具体的に踏み込んで省庁側見解を改めさせた珍しい例であるそうです。


参議院議長として



保守党の解党により保守新党が結成されると党参議院議員会長に就任し、2003年11月21日に保守新党が解党されると、自民党総裁小泉純一郎氏と幹事長安倍晋三氏の誘いで9年7か月ぶりに自民党に復党されます。

同年旭日大綬章を受章されています。女性初だそうです。

2004年7月30日、第26代参議院議長に選出されました。

女性が参議院議長に就くのは憲政史上初めてで、衆参両院でも第68代衆議院議長土井たか子さんに次ぎ2人目だったそうです。

2007年5月、次期参院選への不出馬と政界からの引退を表明されます。


政界引退後

2010年 -桐花大綬章を受章されています。女性初だそうです。


引退後の2014年、宝塚歌劇団の創立100周年記念で創設された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人のひとりとして殿堂入りを果たされています。

宝塚大劇場内にある殿堂には、扇の国土交通大臣時代のプレートが収蔵されているそうです。

現在、公益財団法人日本尊厳死協会顧問を務めておられます。


めぐめぐがすごいと思う 扇千景さんのこと


1宝塚から映画俳優になり素晴らしい作品を多く残されていること。

2そしてタレント議員から参議院議長まで素晴らしいキャリアを積まれていること

3多くの女性初のポジションと受賞を受けておられること。








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