見出し画像

第1週第2日火曜日スポーツ選手伊藤みどり


はじめに

最初のスポーツはアルファベット順で行くとアイススケートかなと思い、まずアイススケートからいきたいと思います。

まず取り上げるのは伊藤みどりさんです。

子供時代

伊藤みどりさんは1969年8月13日生まれ夏女なんですね。

愛知県名古屋市の出身です。

天才少女

伊藤みどりさんがアイススケートを始めたのは3歳。5歳のころ山田満知子コーチにその才能を見出され、幼稚園のうちに既に上級コースま10日間で終えてしまうというまさに天才少女でした。

10歳のころから親元を離れ、山田コーチの家に住み込み、研鑽を積まれます。

1980年小学校4年生で全日本ジュニア選手権で優勝されます。

同年11月のNHK杯に特別出場し1980年12月の世界ジュニア選手権に史上最年少の日本代表に選出され、フリー1位、総合8位となりました。

1982年には練習中に右足首を骨折し、全治1か月のけがを負われます。

そして活躍はシニア時代まで待つことになります。

シニア時代の活躍

シニア時代に入ってからまず1983年11月にヨーロッパに遠征し、国際デビューを果たします。そしてプラハ国際選手権では5種類の3回転ジャンプを成功させ、国際大会で初優勝します。そして1984年のサラエボオリンピックを目指していましたが、年齢制限や他の選手との成績の違いなどもあり、出場せず、1984年オタワの世界選手権に初めて出場され、7位に入賞しました。

翌1985年中学校3年生で全日本選手権初優勝して以後、1992年まで優勝を重ね、あこがれだったアイススケーター渡部絵美さんと並ぶ史上最高8連覇を達成します。

この年の東京での世界選手権では、規定競技前日に右足首を骨折し棄権されました。

オリンピック出場

1988年ついにカルガリーオリンピックへ出場が決まります。

フリーでは5種類の3回転ジャンプを7度決め術点では5.8-5.9点と出場選手中最高点をマークします。総合成績で5位入賞を果たし、1964年インスブルック大会の福原美和さんと並ぶ冬季五輪のフィギュアスケート日本代表選手最高位の記録(当時)で、6位以内の入賞は 1980年レークプラシッド大会の渡部絵美以来8年ぶりの記録となりました。

1988年11月、愛知県フリー選手権で、競技会では女子選手として世界初の3回転アクセルに成功されます。

1989年1月の全日本選手権では、規定で初めてトップに立ち5連覇を達成します。1989年世界選手権では、規定で自身最高の6位につけ、オリジナルプログラムは1位(暫定3位)。

フリープログラムでは、女子選手としては初の3回転アクセルを着氷が乱れたが決め、他5種類の3回転ジャンプも成功させました。

この演技でフリー1位となり、日本人初・アジア人初の世界チャンピオンとなられます。

このフリー演技は、9人中5人の審判が技術点で6.0満点を出したこともあわせてフィギュアスケート史に残るプログラムなのだそうです。

1989年NHK杯では、自身2度目の芸術点6.0を獲得されます。1990年世界選手権は規定で5位以内が目標であったが、10位と出遅れて総合2位となります。1990年11月に左足首を痛め、1991年世界選手権大会1か月前に右あご下の唾液を分泌する部分にできた結石を除去する手術のため入院するなどして、大会に臨まれます。大会では更に色々なトラブルが続き総合順位は4位に終わります。

そして1991年11月のラリック杯でフリーでは3回転ルッツー3回転トーループ、3回転アクセルー2回転トーループの2つのコンビネーションを含む6種類6回の3回転ジャンプを成功させ、前年の世界チャンピオンのクリスティ・ヤマグチさんに逆転して優勝します。

そのためアルベールビルオリンピックの優勝候補の筆頭となり金メダルが期待されましたが、オリジナルプログラムで4位と出遅れ、フリーでもジャンプの失敗があり2位に入り、日本人二人目のメダルとなる銀メダルを獲得しました。

引退後の活躍

そして1992年に引退。プロに転向します。
1995年に日本スケート連盟の要請によってアマチュアに復帰し1996年の全日本選手権で4年ぶり9度目の優勝も果たします。しかし3月の世界選手権では体重を絞りすぎてしまい、貧血による体調不良もあって7位におわり、96年11月に再びアマチュアを引退します。


1998年2月7日に行われた長野五輪開会式では聖火台に聖火を点す役を務めた。2001年1月には4年10か月ぶりに競技会に復帰され、国際オープン選手権で3位となっています。


2004年3月、世界フィギュアスケート殿堂入りを果たされます。2005年からは主にフィギュアスケート解説者として活動しておられます。
2011年6月以降元選手や愛好家向けの大会である国際アダルト選手権に初出場。そして2019年5月、国際アダルト選手権に出場し、マスターズエリートⅢクラス(フリースケーティング)で1位となります。

伊藤みどりさんのアイススケーターとしての業績

伊藤みどりさんは

1989年に「もっとも高得点をとったフィギュアスケーター」としてギネスブックに掲載されています。
また2007年、国際スケート連盟 (ISU) は「伊藤はたった一人の力で女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」との声明を発表しています。

伊藤みどりさんが女子選手として初めて成功したジャンプとそのコンビネーションはいくつもあり、そしてだからこそジャンプが女子アイススケートにとって重要なポイントとなったのも伊藤みどりさんがいたからなのだと思います。



めぐめぐが思う伊藤みどりさんの素晴らしいところ


めぐめぐの思う伊藤みどりさんの素晴らしさは以下の通りです。


1天才少女時代から現在に至るまでどんなことがあってもずっとスケートをしてきたこと。そして順位が悪かった後の大会もきちんと割り切り乗り切って次の大会で良い成績を残されていることです。


2得意なジャンプはもちろん、芸術点も満点を取るまでステップアップされたこと。ここにものすごい努力があるはずです。


3スケーター以外でもオリンピックへの誘致など様々な活動をこなし、また子どもにもスケートの素晴らしさを伝え続けておられること。


めぐめぐは小さいころTVでみた伊藤みどりさんのジャンプを決めた後のガッツポーズが今でも忘れられません。今もあこがれのスポーツ選手です。

この記事が参加している募集

#習慣にしていること

130,825件

#最近の学び

181,589件

もしサポート頂けたらとても嬉しいです。頂いた貴重なお代は本代にいたします。どうぞよろしくお願いいたします!