選択肢は「知る」ことから始まる
社会的マイノリティの人々の個別の物語を通して、可能性が広がる瞬間を描くメディア「soar(ソア)」。
この前、soarで自分の生い立ちと経験からの気づきを書く機会をもらった。
“生きづらさ”もちゃんと見つめたい。だって私の大切なアイデンティティのひとつだから。親との関係に苦悩した子供時代を経て、菊川恵さんが気づいたこと
soarで書こうと思ったのは、「ひとつの事例になりたい」と思ったからだ。
その背景には「どう生きていくかを選べるのは、本人だけだ」という思いがある。
だから、自分の生き方を押し付けるのではなく、ただ事例として在りたかった。
同時に「選択肢を知らないことが、誰かの機会を奪わないようにしたい」という思いもあった。
それは、わたし自身が、選択肢を知っていて、救われた経験があるからだ。
血のつながりを超えた「家族」の存在
もう絶版になった本なのだけれど、今から12年前、川嶋あいさんの『最後の言葉』という本を読んだ。当時のわたしは、中学校にあがったばかりだった。
川嶋さんは、テレビ番組「あいのり」の主題歌などを歌っていた歌手で、幼い頃に乳児院を経て、特別養子縁組で家族に迎えられた過去を持つ。
『最後の言葉』の中では、川嶋さん自身の半生が描かれている。
詳細なストーリーは、もう忘れてしまった。
でも、読んだときに芽生えた気持ちは、いまでも覚えている。
それは「育ての親は大切な存在だ」ということ。血縁関係のないかぞくの形と出会えた瞬間だった。
「育ての親」に対する肯定的なまなざしが、その後のわたしの人生を変えた。
soarの記事でも軽く触れているが、その後、生みの親と暮らせなくなったときに、わたしは里親家庭で育てられることになる。
当時のわたしには、特別養子縁組と里親の違いはわからなかったけれど、血のつながりがない大人に育てられることに抵抗がなかった。
当時は「生きるため」に決めた選択ではあったけれど、その選択肢に確かな希望を持てたのは、この本と出会えたからかもしれない。
細かいストーリーは忘れてしまっても、「こんな生き方もある」という記憶は残り続ける。
選択肢は、知ることから始まる。
願わくば、誰かにとっての、事例の一つになれますように。
“生きづらさ”もちゃんと見つめたい。だって私の大切なアイデンティティのひとつだから。親との関係に苦悩した子供時代を経て、菊川恵さんが気づいたこと
「人の回復とは何か」を学ぶために使わせていただきます!