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人生は長いのか短いのか?マジで冷や汗アラフィフ時代!

こんにちは、めぐみです。

今日は何をしたのかと振り返った時、ちょっと遊び感覚で自分の行動を振り分けてみた。紙に十字線を引いて4つのコマを作る。左側は楽しかったこと、右側は楽しくなかったこと。そして、上と下で、意味のある行動、意味のない行動。客観的に判断したほうがうまく自分の行動を分析することができます。

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毎日なにをしているのか

朝トレは楽しいし意味がある。Eメールのチェックは楽しくはないが意味がある。本を読むことは楽しいし意味がある。昼ご飯を友達と一緒に過ごして2時間、ワインも飲んだのでその後の仕事で頭の回転が鈍る。昼食は楽しいけれども2時間は使いすぎ、ワインのせいでその後の時間が無駄になったので、飲酒は意味がない行動になりつつある。仕事の電話、内容伝達なら、10分で済むところがくどくどと話が長くなり30分。楽しくないが意味がある事。彼氏とのテキストは楽しい。一行メッセージで30秒、楽しいし癒しでもあるので意味のある事。テレビを見る。楽しくもないし、意味もない。ニュースを見る。コマーシャルが多いのでイライラしてしまう。楽しくないし、テレビでニュースを見る意味はない。食料の買い出しは楽しいし意味がある事。料理を作る事は楽しいし意味のある事。食べることは楽しいし意味のある事。寝ることは楽しい(覚えられてはいないけれども)、意味のある事。本棚の本をあさって前読んだ本をまた読み始める。楽しいし、多分意味のある事か、微妙なところ。掃除、洗濯は楽しくはないけど意味のある事、できることなら外注したいのが本音。

こうやって分析したりジャーナルを書いたりしている事にも時間を費やしています。これも私の行動です。私にとっては楽しいというより興味深々、毎日の生き方の節目みたいな、明日からよりよく生きるための改善につながっているので、私にとっては意味のある事です。

自分の行動を分類してみた


私は上の図のように自分の行動を振り分けることにしました。そう、「やめる」行動を振るいにかけることにしました。

やめることリストは楽しくないこと意味のない事。楽しくもないのに心も頭も静止状態になっている事は非常に無駄。自分にとって必要なのか?

意味もないのにのテレビの前に座って、リモートでチャンネルを変えている行為。ちょっとリラックスするためにソファーに座る、面白そうな番組をなんとなく探す。こんな時間があってもいいかもしれないけど、どうでもいいつまらない番組でも見続けてしまうことがあり、気が付けば一時間とか過ぎていることがあります。

アラフィフの焦り

まじで、50代になってこんなことに時間を使っている場合ではないでしょうと後悔。アラフィフだから知っている事がもっとあってもいいだろうし、正しい判断もできるだろうというのは全くの誤算です。アラフィフになっても山ほど知らないこともあるし、恐ろしい事は今の今までなんの疑問も思わずに信じていたことが、間違ていたことに気づいた時です。

今まで常識だとか思っていたことにも、随分と間違っていることもあります。考え方にしてもそうです。「子犬はトレーニングできるが、老犬はトレーニングしにくい」というように、偏見や誤算、知識の欠乏、間違った習慣が根強くこびりついているものだから、自分の間違いにも気が付かず、ひたすら「これでいいはず」と行動し続けている恐ろしさです。

まじアラフィフ、これは自分の自分像でしかないし、どう生きているのか、これからどう成りたいのかを今一度、建て直さねばと考えています。一般的にという世間の固定観念を基準にするつもりはありません。なぜなら、その固定観念の確からしさはどの程度でしょう。

ロルフ・ドネリーさんの「The Art of Good Life」

ロルフ・ドネリーさんの「The Art of Good Life」シリーズは結構気に入っている本です。最初読んだ時は、余りにも直球に考え方や知らず知らずにやっている事を描写しているで自分ができていない、間違っていたと思っていたことがあったので愕然としました。

私はアメリカに住んでいるので、日本で流行っている本とアメリカとでは違いがあります。ロルフ・ドネリーさんの本も日本語に翻訳されているものの方がたくさんあるし、本の編集の仕方も異なっているようです。しかし不思議ですよね、どの国に居ても心打つ本は世界中で盛り上がりますね。人種の違い文化の違いを乗り越えて、共通する目的「幸せな人生を送る」を達成したという私たちホモサピエンスの遺伝子に感謝です。

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