子供の頃の夢は…
映画が好き過ぎて、特殊メイクの道に行きたかった。
高校2年の時にギルバート・グレイプを観てから、映画中毒になり、
帰宅してきてはTSUTAYAで借りてきた映画を観まくる生活。
バスケ部に所属はしていたけど、元々ダイエット目的だったし、ダイエットも
成功して、後輩たちの方が断然上手いし、部活に行ってもどうせ話し相手の顧問と
談笑して帰ってくるだけだったので、映画はきっと生まれて初めての趣味だったような気がする。
両親に藝大に行きたいと言ったら、うちにはそんな金はない。と、
よくある断られ方だったが、うちには金があると思っていた。
父親の代から築いた自営で、羽振りが良い。従業員に対しての金払いの良さも
子供ながらに見ていて自慢だったし、優越感もあった。
とは言いつつも結果的に上京して美容学校に行かせてもらえるのだが。
ただし、娯楽とは無縁の2年間6人部屋の寮生活ではあった。
この話はどこかでまたするとして…
私には二人の兄がいる、長男とは14歳年が離れている、次とも10歳離れていて、
両親にはその時何があったのか? と思えるくらいの歳の差がある。
その上の兄は先に東京で美容師をしていたので、母親と結託を組み、
上京したいと言っている娘兼妹をどうするかと言う話になり、
兄のテリトリー内で私を東京の美容学校に行かせるように促したのだと
私は思っている。
そしてあっさりと私の夢が、特殊メイクでハリウッド進出から、
美容師。に上書きしていった。
それから数十年、平凡な日々の中でテレビを見ていたら衝撃が走った。
第90回アカデミー賞メイクアップ&ヘアメイクにて辻一弘さんという日本人が受賞したというニュース。
お名前も失礼ながらその時初めて聞いたし、
アカデミー賞で日本人が受賞した!?という事実。
その後に出版された辻一弘さんの自伝「顔に魅せられた人生」を読んだ。
ただただ、自分が情けなくなり、恥ずかしくなってしまった。
辻さんは独学だったのだ。独学の作品を、ディック・スミス氏へ手紙を送って
やりとりをしていたという内容を読んだ時、私にははなから本気で特殊メイクの
道に進みたいなんて思っていなかったんだな。と思った。
謎の落ち込みだった。
その時の私と言ったら、適当にも程がある仕事ぶり。
美容師をしていなかったら何の仕事をしてた?という時間稼ぎにもならない
くだらない会話のなかで、私は「本当はさ〜特殊メイクやりたかったんだよね、
映画好きだからさ〜ハリウッドに留学とかしたかったよね〜」と甘ったれた思考で
何にも考えずに当時ご愛顧にしていたマルボロライトメンソールの煙を鼻から勢いよく放出していた。
今の私が目の前に居たなら正面クリーンヒットのエルボを食らわし、黙れ。と言いたい。
何とも自分自身に腹が立つ。
受賞後のインタビューで辻さんは、
「自分を信じ、やりたいことを見極めることが大切。心に正直にいるべきだし、他人の意見に耳を傾けて流されると後で後悔する。まずは10年続けること。やりたいことをやり続けると、どんどんいいことにつながっていくもの。今回の受賞で、一旦映画界を離れたことも含めて、自分は正しかったと思えた。毎回勉強ですし、作り続けて、結果を出すだけです。」
後に、「とにかく早くスピーチを終わらせようと思った。」と仰っていたのですけど、
私は自然と涙が流れてしまい、その時はまともにテレビを見ていられなかった。
私は何をやっているんだろうか…やっぱりここでもそう思う。
辻さんの「顔に魅せられた人生」は、私の人生における悩みが噴出した時の心の安定教材として、
ボロボロになって本棚の私の目線の位置に存在しています。
そして私は辻さんにすっかり魅了されてしまい、自伝では飽き足らずネットで検索虫。
京都芸術大学のブログを見つけ、
辻さんの授業があったようで、羨ましいなと読み進めていると、
講義の中で、辻さんは、
「とにかく世界を見ること」
「1ヶ月でもいいから海外に住んでみること、自分の視野が広がり、考えることのスケールも大きくなる」
とお話しされていたと記事を読んで、私の中で何かがザワついた。
盆の窪がジワっと熱くなった。
この時とにかく何かをアウトプットしたくなって、ツイートした。
何だか気持ちだけが焦っていた。
私は兄の勧めで美容師になったのか?
特殊メイクの道になぜ進まなかったのか?
本当はもう少し考えたら他にやりたいことが見つかったのか?
ただ東京で生活したかっただけなのか?
人生って何なの?
39歳そこそこいい歳の独身女が、
どんよりした空を見て、漠然と、自分の居場所はどこなんだろうと思った。
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