【実録】義父と認知症・その時私たち #1始まりは突然.......家に帰れない⁉︎

今現在、義父(78)は認知症で要介護1、先日の入院で胃癌が分かり、退院後は在宅介護に入りました。
「もしかして、、、?」と気づいた日から今日まで、義母も、夫も、義父本人も、さまざまな葛藤と切ない気持ちを携えながら現実に向き合う姿は尊く美しいと感じてきました。そんな日々を書き留めておこう、書いておいた方がいいような気がする、そんな沸いてきた気持ちに従って書いてみようと思います。

鮎釣りは義父の長年の楽しみ


始まりは本当に突然訪れました。
「おとうさん、家に帰って来れんくなったんやに。」
「はっ!?(夫と私)」
「おとうさん、鮎釣りから帰って来れんのや」
家を訪れた義母の口から出た言葉に、夫と顔を見合わせたのが2019年の7月くらいだったと思います。
2人の頭の中にいろんな想像が、、、
帰ってないってどういうこと?

「今日は家におるよ」
「早く言え!💢(夫)」「どう言うことなんや💢(夫)」

義母と夫の話は大抵がこういう具合、
義母は雑談の天才!と思うのですが、
大きな声で含みたっぷりにドラマティックに伝える義母と、
そんなんいらんと簡潔に説明してほしい夫、
毎回噛み合いません。

焦れた夫のイライラを知りつつも知らんぷりして、
自分の話を聞いてほしい義母は決して主導権を離さずに、
実際に起きたことに自分の考えや解釈、その解釈の背景をたっぷり入れて、アッチコッチ飛びながら、なかなか話が結ばない…………

普段のおしゃべりだと、「もうええわ!(夫)」と途中から耳のシャッターを降ろしてしまうので、残りは私1人に向けられて…………疲労困憊した挙句、夫の実家のことは私の方が詳しいと言う状態になっています。
難解な義母の話から全体像を探っていくのはまるで謎解きのようで、
でも、解けたとて、大したスッキリ感は得られず、
「もう、親子でやってよー(私)」となげいていました。
生命力を吸われるってこういう感じか、結婚して初めて知りました。

話を戻して、、、
義母の話によると、
①いつも通り鮎釣りに行ったが、普段より帰りが遅かった。
②携帯電話にかけても出なかった
 (耳が悪いので普段から出ない、メールもしていない)
③心配になって家の周りを見に行った。
④義父の車を発見したが、家に向かわず通り過ぎてしまった。
⑤↑何回かした。
⑥やっと帰ってきた。
⑦家が分からなくなったのか聞いても、義父はそんなことないと言う。
脚色・脱線を除くとこんなところ

「あれは絶対ボケたんや!」という義母
「そんな言い方をするな!💢(夫)」

ここで口を閉じてくれれば諍いにならないのですが、、、
「そんなん言ってもボケやないの、おとうさん、もうあかんわ〜」
「あんた困るで!」「おかあさん、困るわ〜」
義母は自分の話で終わらなければ気が済まないのか、言い負かしたくなってスイッチが入ってしまうのか、夫の切ない気持ちは伝わらず義母の言葉が降ってきました。

「もう帰れ!(夫)」
「なんや!やらしいな!!」

最後はこうなってしまいます。
夫は義父と仲が良く、子供時代は釣りや野球、将棋を教えてもらい、
うるさく言わず穏やかで、独特の遊び心を持っていて、
老いても腕相撲で勝てないこの父のことを誇りに思っていると私は感じていました。
その父親のことを「あかんわ」と言われたり、父の老いを急に突きつけられた夫の切ない気持ちを思うと、今日はこれ以上、この話はしない方がよさそうなので、お義母さんにはお暇いただきました。

夜になって子ども達も自室へ、リビングに夫と2人、
スマホをいじっている横顔は、
画面に目をやっているものの頭は他ごと浮かばせているように感じました。

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