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"喪"の作業

2ヶ月ほど前、適応障害と診断された。

(診断こそされたけど、"適応障害"というのは病気というより、あくまで状態を言語化したものだと思っている。その時期の自分が持った特性みたいなイメージ。これは人によるかもだけど…自分はそう捉えた方が気持ちが楽なので。)

今思うと当時は、1日の中で"何もしない時間"が全くない状態だった。
仕事にプライベートに、寝ている時間以外はずっと考え事をしていた。寝たら忘れるが特技だったはずなのに、起きてすぐに考えていたことを思い出し、鬱々とした気持ちになることも多々あった。

診断された後、仕事を休み、とにかく徹底して"何もしない"をした。
正確にいうと、"何も計画しない"。To doをつくらず、その場の気分で行きたい場所に足を運び、そこで時間を過ごした。

そうして少しずつ回復し、職場にもなんとか復帰した。

復帰したのはいいものの、モヤモヤした気持ちは残ったままだった。
というのも、適応障害に対して「これが原因に違いない!」ということが自分の中ではっきりしていなかったから。

あるとき、適応障害になったこと、それによって仕事時間を減らしていることをチームの人に改めて話す機会があった。
「何がNGなのか分からないから難しいんだよね」
そう言われたとき、自分の中でもそれがはっきりしていないことに気づいた。自分でも分からないんだから、周りの人たちはきっともっと分からないはず。そしてそれに困る気持ちも、容易に想像できた。

完全な答えが出るかは分からないけど、自分なりに整理してみよう。
そう思い、本を読んでみることにした。

調べてみると、適応障害に関する本はたくさんあった。
ただ自分は、そうなったメカニズムや対処法を把握したいという目的があったので、体験記的な本ではなく、できるだけ学術的な本を探した。

そこで見つけたのが、この本。

半月ほどかけて読み進めていたが、先日やっと読み終えた。
自分の発見になったこと、整理できたことがいくつかあったので、これから少しずつ、備忘録的にnoteに書き留めていこうと思う。

適応障害になるという体験は、悲しく、苦しかった。
できることならなりたくなかったけど、きっとなったことに何か意味があるのだと思う。その意味をつくるのは、これからの自分。

まずは悲しい・苦しいという気持ちになった自分をそのまま認めてあげること。そしてこの"喪の作業"を通して、その気持ちをそっと外に出してあげようと思う。

創作活動費として大切に使わせていただきます。