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私のいない世界

自分(私)という檻

『心地良い状態でいましょう』

スピリチュアルではよく聞く言葉。

心地良い状態で居るために、

手を変え、

品を変え、

心地良くあろうとする。

自分ご褒美、

癒しスポット、

色々やって、

ある程度までは楽になれる。


だけどね、、、


表面的には心地良くなれるけど、

気付かない居心地の悪さは拭えない。

だから、ひとときの充足が薄れ出すと、

また何かを求め始める。


だってね、、、

どんなに物や考え方で居心地を良くしても、

そこは見えない檻の中。


頑張って、頑張って、

檻の中を居心地良くしようとしてるだけ。

どんなに中を整えても、

その気付いていない窮屈な感覚が、

居心地の悪さを創ってる。


じゃあ、その檻の正体は?




そう、、、


自分(私)という感覚こそが、檻の正体。

この檻が全体から、分離させている。

独りぼっち。

小さくて、力のない自分(私)は、

全てから、

弱い自分(私)を守るための防衛本能が働く。

それと同時に、

完全じゃない欠乏感から、

外に向けて求める動きを続けている。

どれだけ何かを手にしても、

全体から分離した、

この欠けている感じは、

埋まらない。


だけどね、、、

もともと、 自分(私)は幻想。

はじめからからどこにも、いない。

ただ、感覚があるだけ。

しかも、有る時にだけ在る。

制限のない無が、

現した制限の一つが自分(私)。


だから、自分(私)も起きているたけ。

そこに気付きが起きた時、

すでに、ずっと、

充足だったと、

明らかになる。

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