実録!モラハラサバイバー7

経済的DV

 結婚から10年あまりの間、家計は夫が管理し、私は生活費だけをもらっていた。月10万円の生活費で、水光熱費以外をやりくりしていた。
こどもが乳幼児の頃は、全く問題のなかった生活費だが、3兄弟が小2、年長、年少ともなると、財政は逼迫。小学校の給食費、幼稚園の保育料×2人分、お稽古事のピアノとサッカーのお月謝を支出すると、洗剤などの雑費や食費に充てられる分が、かなり厳しくなった。
当時、こども達の服は実家の母が楽しみの一つとして、買っては届けてくれていたのだけど、靴下や下着の補充は必須。
加えて我が家は全員大食いであった。
 そろそろ生活費のー特に食費の見直し増額をお願いしようと思っていた矢先、夫が1冊の雑誌を買ってきて、ぽ~んと渡してよこした。『食費2万円台の献立』みたいなタイトルだったと思う。
「ウチってさぁ~、食費掛かり過ぎじゃない?少し研究してよ」というセリフと共に。
 もちろん読みましたよ。参考になる部分も確かにあった。ただ、紹介されているのは、夫婦と乳幼児の家族がメインで、我が家の場合、この倍は作らないと足りないよね?という内容。倍作ると、材料費が単純に2倍になる訳ではないけれど、それって我が家の食費と大差ない。むしろ私は自分の節約メニューに自信を持つ結果となった。
 更に、「ウチの食事が酷いから」と自分の女友達にわざわざ相談し、夕飯の写真をその日の食費とともに送ってもらい、「参考にしなよ」と見せてくれた。にんじん1/2本分45円とか、ご丁寧に書いてくれるその人もどうかと思うけど。
 そんなこんなで、どうにも私の手には負えませんとなって、「今までアレコレ献立考えて、工夫してやって来たけど、これでダメなら、もう私には無理。夕飯は米とみそ汁と魚。朝ご飯の魚は止めて、米とみそ汁のみにしよう。そうしたら、あなたの言う食費で出来る」と敗北宣言をした。
夫は「え?あれで工夫してたの?いいよ。それで。家のごはんで、美味しいと思った事ないし」と、のたまった。
 それからしばらく、宣言通りのご飯作りを続けた。(こども達には可哀想だから、こっそり別メニューを作ってたけど、夫は後から食べてたから気付くこともなく)
数か月後、「こども達が可哀想だから、おれ夕飯の魚要らないから、朝ご飯に焼いてあげて」となり、朝ご飯におかずが復活。
毎晩帰るコールで「今日の飯、なに?」と聞く夫に「米とみそ汁だよ」と答え続けて1年以上。ある日、「なんでウチは、おかずがないんだ!メシ出せよ!」とマジ切れされた時、私はやっぱりこの人は解離性同一性障害かもしれないと不安になった。
 ことの次第を説明し、この時ばかりは「悪かった」と謝罪をさせ、夕飯復活となった。繋がりは不明だが、同時期に突然、夫は家計の管理をやめた。
「これからは一緒にやろう」と通帳一式を渡してよこし、その後一切一緒にやることはなく、家計管理は私の仕事に追加された。  
余談だが、その時点で我が家に貯蓄は一切なかった。
私自身の貯金は、足りない食費に使い果たしていたし、赤んぼの頃からこども名義の通帳に毎月少しずつ貯めていたものも、この食費戦争で使い込んでしまっていた。


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