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「苧環の懐抱」


ここ最近は、目まぐるしく変化していく日常に息をつく暇もないほどだった。

梅雨のはじめ、海馬に響き渡るような節折の音に、
祖父との思い出を呼び起こされ、静かに手を合わせた。
久しぶりに呼吸をしたような気がした。

祖父が亡くなってから13年。
当時13歳だったわたしは、数カ月後には26歳になろうとしている。

祖父と過ごした時間と同じだけの時間を、
もう一度繰り返してきたのかと思うと感慨深いものがある。

あの日、部活中のわたしのもとを母が急に訪れて、
飛んで帰宅すると、目を閉じ危篤の祖父の姿があった。

家族が揃うと、
もう二度と開かれることのないように思われたその目は、
ゆっくりと開き、わたしたちの顔を見渡して
「ありがとう。」とひとこと告げてこの世を去った。

あくまで別の人間として、
人の一生の幸せを推し量ることなど間違っているかもしれないが、
哀しみと同時に、こんな幸せな最期があるのかと純粋に感じたのだった。

「終わりよければ全てよし」なんて言葉があるけれど、
あの人生最期の一日には、それまでの祖父の生き方が表れたように思った。

お墓の前で、日頃のお礼と近況の報告を。
久しぶりに少し良い報告が出来たような気がする。

故人へ向き合うとき、
自分もいつかは必ず死ぬのだと、
改めて気付かされるのだけれど、
わたしの人生最期の日は、どんな光景が待っているだろう。

苧環に巻かれた糸が、様々な模様を紡いでいくように、
今日という日の繰り返しが、最期の光景を決めるのなら、
後悔のないように一日一日をひたすら精一杯生きるしかない。

わたしは今日も変わらず、
ライオンがオダマキの葉を食いちぎってくれるような
愚かな夢をみて眠りにつくのだった。

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