見出し画像

600日間毎日散文をnoteに投稿するビダイセイ

「noteに600日間、散文を投稿続ける元ビダイセイ」、越乃りんを訪ねる。
400日を迎えた6月に取材を行い、半年経った12月に記事に着手するため、りんさんに連絡をした。そしたら、本日1月1日に600日目を迎えることが判明。是非、キリの良い日付にキリの良い日数で投稿するのが美しいのではとなり新年一発目のビダイセイなった。

あなたは100日間公開しながら日記を書き続けたことがあるだろうか?

彼女は去年まである美大の文芸学科に在籍し、卒業制作としてnoteに散文(日記)を投稿したものをまとめた『就活から逃れる100日間』を展示。そして、販売業で新社会人となった現在も卒業制作のnoteは続いている。

なぜ書き始めたのか?

きっかけは卒業制作で、短編を得意とするりんさんに教授が手始めに「初めの目標として100日続けること」を助言したことから始まった。元々、どちらかというと続かない性格であったという。だが、続けていくうちに

「限界まで絶対やめてやんねーぞ。むしろ絶対やめてやんねー」
 
続けていくことに意地が生まれ、100日になってもまだ足りないと感じるほどとなった。その思いが卒業して社会人となった現在600日目まで続けている原動力となっている。
「就活から逃れる100日間」というタイトルで100日分投稿した散文をまとめた展示は去年の2月に公開され成功を収めた。noteへの投稿を冊子にまとめ合計112ページ、7万字で構成される。

執筆の原動力、

私(記事の作者)は筆が載らなければ書けないため不定期にビダイセイを取材記事をSNSに投稿、拡散をしている。そこで是非、どうしたら文章を書くことを続ける秘訣についてく質問した。

「ちりつも、ちりつも。これはもうただの一日!400続けたらそれは400分の一に過ぎない」
 
「書けば書くほどダメだった日の割合が薄くなって、責任がなくなっていく。責任の分散だね。今日はつまんない日。今日はつまんない日。今日はオモチロイ日!だからとにかく出す。」

クリックで続きが見られます

作ることにプレッシャーなんて要らなくて、ダメな日があるからこそおもしろい日がある。だからとにかく当たるまで健気に作るべきなのかもしれない。現在、社会人の彼女は一旦辞めたら再開しなそうとだからこそ絶対にやめない!と意気込みながら書いていると語った。

「生きるために書く、作らない方がつまらない人生だ!」


いい文章とは?

何が良い文章とされるのか?
書くことを専門としていない一般人にとっては、文章を読んで面白かった、いい小説だったな、どんでん返しがびっくりした。など読んだ後の総合的な感情で作品を自分の中で推測っている。そもそも文芸、文学とは何なのだろうか?

この国に10箇所しかない文芸学科ではどういった評価基準だったのかお話を伺った。

「100%わかってしまうと文学ではない」

「短編を書ける人は長編も書ける、長編は短編の積み重ねって言われている。逆も然り。長編を書けないことはない、短編は技術の凝縮!」

「文章の緻密さ、読めば読むほどわかる、丁寧というか入り込める文章がいいとされてる。それをどこまで突き詰められるかってのが文芸だと思う」

クリックで続きが見られます

映像が頭に浮かぶくらいの文章を書くのが理想とされるが

、何もかも言い切ると興醒めしてしまうとのことだった。人間にも同じことが言えるのではないか? ミステリアスな方が魅力的だし、でも所作や持ち物からその人の感性や生活が伺える。だがそれは予測にしかすぎないため、結局どんな人なんだろうなと考えてしまい頭から離れない。文章も言い切らない美徳があるのだ。
 
りんさんの散文もそれに則っているという。自分の生活をnoteに投稿しているが、どんな見た目の人がどこで何を生業にして生活しているのか決定的なところは全て明かさず書いていると。文学の美学に則っているのはもちろん、ネットに私生活の詰まった日記を公開しているためどんな人が見ているかわからない警戒心も含まれている。デザインや美術とは違い、りんさんのような散文の作品はどんなに隠しても作者の性別や生活が題材なため色々出てしまう、だからこそ明かさない線引きが重要なのだ。インフィクションが題材でも、文の世界ではフィクションを生きることが求められるためどんどん秘密主義に変化してきたと語った。

光になりたい、

「自分がしんどくてしんどくて仕方なくてしばらく本当に下がってたし、なんなら一番大事な友達が鬱を持っていたことがあって、そういうのでなくしたくない。明るい感情、今あるものを壊したくないから大切にしていきたいなって」
 
誰かを照らす明るさをもつ彼女は、真夜中のトイレへ行く時の明かりくらいのものでありたいと語った。転ばないために大切な光である。

クリックで続きが見られます

これから、

「これからいろんな人と知り合って、面白い世界を切り開いていきたい。それを本にできたらいいな。面白い世界を生きながらそれをエッセイにしてそれで食べていくことをやりたい。やっぱり、私の作品はふと思い出して読んでくれた人を勇気付けられたらいいな」
 
執筆が私の帰る場所となる、読者の記憶と日常と交差する。そんな彼女は、今日も販売業を生業としながら散文を投稿し続けている。

クリックで続きが見られます

「人生楽しい方がいいじゃない?そのうち死ぬけれど。人生その一瞬一瞬楽しんだ方がいいじゃない!」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?