こころのデトックス 〜 家族のはなし 〜
私自身が心の整理をするために……子供の頃と向き合い昇華させることが必要
そう考えて思い返していくことにしました。
ずっと目を背けていた思い返したくもない過去と向き合う勇気が出たのはフラワーエッセンスのお陰かもしれません。
私の心の悲鳴で、楽しい話は出てきません。
そういうの苦手って方はここで閉じることをオススメします。
祖母、父、母、2つ下の弟と7つ下の妹の6人家族でした。
曖昧ながら記憶があるのは幼稚園の頃から。
祖母の権力が強く、1人っ子だった父は今思えばマザコン、嫁姑問題が激しくて母はいつも邪魔者扱いされていました。
初孫である私は祖母は溺愛されていました。
母の悪口を私に言い、母に懐かないように近所にいた親戚のオバ(私の20歳上)に私の世話をさせていました。
私は祖母に言われるがまま…朝起きると親戚の家に行く。帰ってくる頃には父母はうちの小さな工場で働いていて、祖母とオバが私を待っている。そして週末は親戚の家にお泊まりする…そんな生活でした。
自分のことしか考えられない父はギャンブルとお酒ばかりで一緒に遊んだ記憶は哀しいくらい全くありません。
私や弟と遊んでくれたのは前述のオバとその兄であるオジ。
この親戚2人が父母のようでした。
公園で遊ぶのも、どこかに連れて行ってくれるのもこの2人。
20代でよくやってくれたと思います。
たまに父親が私たちを連れて行く先は…競馬場、競輪場、パチンコ屋さん。
子供の頃の父親の記憶は母や弟を殴っている姿と、気に入らないことがあると頭ごなしに怒鳴り散らしてから祖母の顔色を見る姿くらいしか覚えてません。
母との記憶で1番古いのは、幼稚園の遠足で観覧車に乗せてもらえなかったこと。
随分後になってから母から「あの頃はお金を持たせてもらえず乗物代が出せなかった」と聞きました。
祖母から物だけはたくさん買ってもらっていました。
毎週のようにリカちゃんの洋服や私の洋服を買ってくれていました。
ミカン箱いっぱいに人形を持っていても、心は満たされてませんでした。
小学校高学年くらいからの記憶では、今なら虐待と言われるほどに親に叩かれた記憶ばかり。アザになった足とかは兄弟ケンカって言ってました。
それでも母と仲良くなりたかっのでしょう。
誕生日にペンのプレゼント買って帰りが遅くなって怒られて、それを母に投げつけたことを思い出しました。
大人になっていくにしたがって、自分の家が変であることが分かってきたせいか、段々と親戚の家にも行かなくなってきました。
中学になり母は2度家出、家事は全て私がやるしかありませんでした。
中学生の娘が作るご飯に文句を言う父にはもう嫌悪感しかありませんでした。
自分の身体が父親から出来ていることすら許せない思いでした。
中学の頃はただただテストでの順位や成績を気にしていた…自分を認めて欲しかったのです。
成績が上がっても良い点を取っても褒められることはありませんでした。
それどころか高校までしか行かせないから勉強しても無駄とまで言われました。
どう思い返しても褒められた記憶が全くありません。
高校になる頃、祖母は入院して家の中のゴタゴタは少し減りましたが、もう家を出ることしか私の頭にはありませんでした。
とにかく家から離れたい一心でした。
父が遊ぶお金はあるくせに、やはり学費は出せないと言われ、卒業と同時に東京で就職。
何気ない会話で「お父さんとお母さんと一緒に○○した」という話でさえ羨ましかった…普通の親子の関係が羨ましかったのです。
親からの無償の愛なんて受けた記憶が全くないから、親だからって理由で両親を尊敬もできなければ愛情も持てません。
そこにあるのは屈折した感情だけ。
22歳で結婚したのは、家庭への憧れがあったからでしょう。
子供の頃からきっと私はただ愛されたかったのだと、今になって感じてます。
物を買ってもらうことでなく、ただ愛して欲しかったのです。
だから物への執着があまりありません。
幼稚園で豆まきの時に、豆が足りないって泣くお友達に私は豆をあげたらしい…卒園アルバムにそう書かれてました。
母とちゃんと会話が出来るようになったのは、私が離婚した頃から。
それまでは面と向かっては、業務連絡のようなことしか話せてませんでした。
その頃、母と2人で何度か旅行しました。
ぎこちなくて「普通の母娘ごっこ」をしている感じ。
全く分かり合えてない哀しい不自然さ。
子供の頃は私も辛かったけど、母は相当辛かったと思います。
だからと言って許せない気持ちがなくなるわけではありません。
母は自分がいかに大変だったか辛かったかを私に繰り返し言います。
弟がいなくなり、当時まだ幼かった妹には覚えていないから私しか話す相手がいないのも分かります。
でもその言葉には、どうしても原因は私というニュアンスがあり受け入れられません。
母には母の思いがあるのでしょう。
幼い頃遊んでくれたオジが亡くなった時に私は連絡すらしてもらえませんでした。
母にとって親戚は自分をいじめた相手なのでしょう。
あんなにお世話になったオバとも連絡すら取れない関係なってしまいました。
その後いろいろとあり、母も父に愛想を尽かし熟年離婚。
その時に父は私と妹に会いたいと言ったらしいけど、却下して会いませんでした。
数年後、父は孤独死。
楽しい思い出が何にもない実家は妹と相続放棄しました。
そして今に至ると言った感じです。
母とは実家に帰れば話はしますが、妹に対する態度とは明らかに違います。
見えない壁と距離を感じます。
母は離婚した頃から、今まで我慢してきた反動なのか、年のせいなのか…自分のやり方や考えを押し付けるようになってきました。
母への思いは…もう今更という感情と、まだ今なら少しは分かり合えるかもという思いがせめぎ合っています。
ここ数日こうして向き合ううちに忘れていた事をいろいろ思い出しました。
自分の感情を出すことで気持ちの整理がつくと共に、自分を客観視することで何が嫌だったのか少し分かってきました。
今、私に必要なのは…
全てを受け入れて、自分自身を赦すこと
両親からもらえなかった愛情
私が両親にもてなかった愛情
母から受けた哀しい気持ち
私が与えた哀しい気持ち
母を傷つけたこと
私が傷ついたこと
昇華する努力が必要
最期になる前にせめてわだかまりがなくなるように、母と向き合ってみます。
そしたら次のステージに行ける気がします。
コロナが終わって実家に帰れる日までに心の整理をもう少しつけて準備したいと思います。
こんなブルーになるだけの話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます♡
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