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【夫のターン】Magic Keyboardとぼく

 今日、この原稿は到着したばかりのiPad用のMagic Keyboardで書いている。書き心地はすこぶる良い。だが重量感が予想を遥かに超えている。重たい。ずっしりくるこの重みは入手した喜びを助長もするが、この先、持ち運びを考えると気も重くなる・・・。

 このキーボードはテレワーク初日の休憩時間にApple Storeでポチってしまった代物である。映えあるぼくの「巣ごもり消費第1号商品」だ。ネットのApple Storeに行き、ぼくが「能動的」に買った商品・・・のはずだ。いや、買う数時間前、朝のLINEニュースでMagic Keyboard発売という記事を見て、気持ちが持っていかれていたのかもしれない。そう考えると、タイアップ記事に影響されて、「受動的」に買わされたという方が適当か・・・。う〜ん、自分はこれを意図して買ったのか、何かにかわされたのか、なんともむずかしい状態である・・・。
 「能動」「受動」と書いていて、今日、紹介すべき本を思いついた。ただ、残念ながら、まだ読了しておらず、これからまた読み始めようとここに決意した。その本は國分功一郎著『中動態の世界―意志と責任の考古学』(医学書院)というものだ。
 
 國分さんは「能動態と受動態の対立をごく当たり前だと思って使っているが、たとえば能動態と受動態に基づいた言語だと人を好きになることを説明できない」という。惚れることそのものは能動でも受動でもなく、他人に自分のことを好きになれと命じられても好きになれないし、自分からその人を好きになると決めて好きになるのもおかしな話である。この状態をギリシャ語の「惚れる」という言葉が「中動態」で表されることをひいて説明する。「惚れる」というのは自分がある人に対して好意を抱いて惹かれつつあるというプロセスのなかに自分がいるということだという。
 「能動態/受動態」が「する/される」によって行為を分類するのに対して、「能動態/中動態」は行為が主語の「外側/内側」のどちらにあるかによって行為を分類する。先ほどの「惚れる」は自身の内側で行為が展開しているため「中動態」にあたるというのだ。

 Magic Keyboardを買うに至った状態も、この「中動態」にあたるものだったのではないだろうか。常にAppleの商品には注目して、興味を持っているぼくがいる。そこに魔法のようなキーボードが現れ、ぼくの目を奪う。そこに「する/される」の関係はない。Magic Keyboardにポチッとする直前までにぼくが置かれていた状態は、Magic Keyboardに興味を抱き、惹かれつつある状態の中にいた。まさに「中動態」の状態だ。

 これは山本貴光さんと吉川浩満さんの対談で述べられたことの受け売りだが、「リアル書店で本を買う」という行為にもこの「中動態」が関わっているように思われる。巣ごもりでネット書店をかなり使っているが、それは目的買いが多い。買い物履歴から算出されるレコメンドから買ってしまうものもあるが、なにか物足りない。一方で、リアル書店での買い物を思い出してみると、目的を持って書店に行ったとしても、それ以上の成果を得て帰宅し、大いに満足している。リアル書店で起こっていることは、自分が興味のアンテナをはり、書店を徘徊しているあいだに、本の方からこちらに熱視線を送っていることに気づく。ぼくと本との間には「買う/買われる」という「能動/受動」という外的な行為の関係性以上のものが生まれている。ぼくが本に興味を持ち歩いていると、ふいに買おうとも思っていなかった本と目があう。ページをめくり、内容に踏み込んでいくうちに、その本にどんどん好意をもっていく。この内的なプロセスの連続がリアル書店では起こっている。まさに、中動態だ。この結果、レジに持ち込む本が増え、そして我が家の積読の山がまた積み重なることになる。リアル書店は単なる商品の購買の場ではなく、ぼくと本との内的な交流が絶えず行われる「精神と時の部屋」のような鍛錬の場でもある。そんな素敵な場が、1日もはやく再開されることを切に願うばかりである。
 と、とりとめもなく、長い文章になってしまったが、ここまで打ち続けても、ストレスを感じさせないMagic Keyboardもまた素晴らしい商品である。よい買い物をした。


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