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就活時には気づかない”全国転勤”の重み

”女性は常に変化する生き物”
”年齢と共に生活の優先順位は変化する”

そんな当たり前のことに直面する年齢になった。
初任地から転勤し新しい街に来て3ヶ月、やっとわかった。

今回は適応障害や休職とは関係なく、
”30手前の全国転勤族の女が確信したこと”について。

私は現在の配属先に住み始めてまだ3ヶ月。でも「住みたい街/住みやすい街No1」と言われる所以が、この短さでもすでに理解できてしまった。
こんな住みやすい街を一度知ってしまったら、ほとんどの人が東京に戻りたくないというのがわかる。


全国転勤のシステムは知っていて入社した。22歳の私には”ワクワク”でしかなかった。やりがいでなく安定や”9時5時出勤”を軸に就活する子には内心、「そんなつまんない仕事でいいんだ~、結婚して寿退社前提なのね~」と、今にしてみると「超自分勝手な物差しで内心マウントを取っている、若気の至り全開のイキった女」だった。



現在は制限勤務だが徐々に回復しフル記者になり、おそらくまた3年後くらいに”異動”の辞令が出る

しかし今、私は辞令が出て他の場所に移動・異動することが正直「イヤだ」。もうワクワクはない。メンタルのせいではない、健康になってもだ。


これが年齢による考え方の変化か。自分がアラサーであることを感じる。
私の第一志望は東京本社のデジタル部署だった。希望が叶わなくて、辞令がでた休職時(今年2月)にはショックで鬱状態まで落ちた。それが今や、ここじゃなきゃイヤだと感じている。

一応今月の異動希望調査にはデジタル部署を第2志望に入れておいたのだが、実際に辞令が出て”今の住みやすさ”と”デジタル部署だけど東京暮らし”を天秤にかける時が来たら、前者を選んで転勤なしの市内の会社に転職したくなるだろう。

東京に戻りたくないと気づくことがあったのも大きい。
実は6月に久々に東京に行ったら全然楽しくなかった(友人と会うこと自体はうれしい)。もう大学生じゃないんだ、この街で労働するなんて…思ってたより私、東京戻りたくない、そう気づけた。


(+α気づき)
土地問題に加え、記者という仕事はタフさが前提であることもある。
「虐待、不登校」を自身のテーマに取材したくて入社した同期(復職したが自分を保てなくなり退職)と電話をした。
彼女は、取材相手の苦しみを聞くたびに自分の過去が重なったり、相手に共感して自分の中に”共有”してしまった蓄積で、退職した。
私の志望動機・仕事のテーマは「戦争、平和、女性の健康」だ。沖縄戦を体験した祖母の影響である。
長崎で被爆者を取材するたびに涙が出そうなほど「どうしてこのおばあちゃんは人生を狂わされなければいけなかったのだろう」と何度も世界大戦を恨んだ。私も毎度、相手の体験を自分に蓄積していたと思う。
感受性が高いからこそ気づける視点、書ける記事がある一方で、タフな記者よりも先に心のコップの水はいっぱいになる。

ご参考


同期の
「したいこと(記者)とできること(自分を痛めない仕事)は違うんだよ」
「うちらみたいな感受性強い人は、どこかで安定した拠点を決めて住む方が良い。物理的移動も毎回の配属ガチャも、負荷だよ」
という見解には共感しかなかった。

同期との電話で確信した。
もう入社時の若さも体力も無鉄砲さもない。宿直でさえ負担だ。
縁の無い土地に繫がりを構築し、日々初めての場・人に会う楽しみは、もうおなかいっぱいになるほど味わえた。
次の辞令が出るまでの3年の間に、配偶者がいるのかわからない。でもいずれは”産む方の体”なのだ。実家にも近いここで”拠点が定まることによる未来への安心感”は私には大きい。
辞令までに、書きたいテーマを書けるだけ書いて、やりきろう。

もちろん転勤が刺激になる人もいる。
私が一番仲の良い30代半ばの先輩は真逆。転勤する先々でその地に関する趣味を見つけ、友達を見つけ、通いつけの店を見つける。
そういうタフな女性が、全国転勤に向いている。何歳までも在籍できる。
特ダネとか質問力とか文章力とか、そこで輝けるのは若手で体力があるうちだけだ。ありがたいことに表彰もいくつか受けた。ある程度満足している。
元気になったら、辞令までの間、自分の芯をもって形にできる分だけ書き終えて、退職したい。



私は、母が以前言っていた
”住む場所を数年おきに勝手に指示される”全国転勤なんて、あくまで私の価値観ではあり得ない。やりたいうちは応援するが、無理することでは絶対にない」が、やっとわかった。

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