見出し画像

「われらいきものがかり」<2/3 中編>

(全3回のうち第2回目の更新
(はじまりのパートはこちら

----------


3・六月 第一週

 六月最初の日曜日が地区予選の当日だ。あっという間だった。
 それまでの二週間で三回の模試をして予選参加者を決めた。というか、参加できない成績の人がいないかを検討した。一年同士で、落ちちゃったらどうしようって話すこともなくはなかったけど、実際これに落ちる人は多くないから、そのせいでわりとしんどい。本気でしんどいから、話題にもそんなにのぼらなかった。けど、めでたく誰も脱落せずにすんだ。結構ぎりぎりだったむっちーも、最後の最後に追い上げた。私は私で勉強したと思うけど、みんなも同じように取り組んでたんだなあと思うと、なんだか励まされる。
 予選前日の放課後の当番だった私は、松井先輩とまのちゃんと三人でマサヒロをなだめて、それからツヨシも回収した。はじめ機嫌が悪かったマサヒロも、廊下の窓を開けてしばらく風にあてたら軽くなってくれてよかった。遊び足りないツヨシは抱き上げると「もっと動きたい!」って反発して重くなっちゃって、まのちゃんと松井さんの二人がかりでも持ってられなくなる。そのたび気のすむまで廊下を跳ね回らせてたら、踊り場まで近づいたころには疲れて機嫌悪くして、それで体が重くなって「手間がかかるなあ」なんて三人で笑って、長いことずっと抱っこされてたマサヒロはそのまま私の腕の中で眠っててかわいかった。ツヨシがたいへんだったのと、マサヒロがかわいかったのとで充実した気分で家に帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、そのときまでは大丈夫だったのに、いざ布団にはいってから急に試験への緊張がこみあげてきて、結局一時くらいまで眠れなかった。雨の降る音がした。夜からのこの雨は日曜じゅうずっと降り続ける予報だった。雨で明日の練習がなくなった弟がリビングでパソコンを見てる気配があったので、検索履歴をチェックしてやることを心に決める。ペーパーテストの出来に左右されない、明日の楽しみだ。
 翌朝、普段乗らないバスに自信がない。知ってる人と会えれば安心するのに、日曜のくせにバスはそれどころじゃない混雑だった。
 会場になる大学の入口は「大学の入口」然としてなくて、普通のビルみたい。入口すぐの校舎は工事中のシートに覆われてて、立て看板を追って集合場所まで向かう。制服の人もそうじゃない人も、まわりにいる人はみんな飼育委員の高校生だろう。ホールのある建物の一階ロビーには人がたくさんいて、濡れた床に靴がこすれる音がうるさい。先に私を見つけた飯田先生に呼ばれ、ようやく西高のみんなと合流できた。
 山下さんの顔色はいつもより冷たいみたいだった。ほかの先輩たちは張り切ってて、深刻そうに緊張してるのは一年ばっか。私もそのなかの一人だけど。おそろいのTシャツを着てる高校をひどい言い方でからかうてらばやしが、なんだかありがたかった。「ばかなラーメン屋みたい。全国大会気取り」って。松崎さんが「言い方があんまりだぞ」と笑う。
 十時二十分から十二時までの百分間、百十三問のマークシートを解く。確実に正解だって自信があるやつは百問に届かない。十二時まであっという間、試験が終わると私はなんか放心状態で、お昼を食べにみんなでいった大戸屋でもあんまり話せなかった。「なんなんだよ」何回もむっちーがからかって笑ってくれて楽しい気分にはなったんだけど、言葉が出てこない。結果発表は明日の午後四時。月曜放課後の三応で、みんなして発表を待つわけだ。
 家に帰ると晩ごはんまで寝ちゃって、食べ終わってから携帯をみると、てんちゃんから「どうだった?」って連絡がはいってた。電話をかけると、「ストレートに聞いちゃったの悪かったかなって心配してたんだけど、怒ってない?」って気を遣ってくれる。
「ううんううん、うれしいよ。こっちこそ気づかなくてごめん、爆睡してた」
「わかる。最近眠くない?」
 てんちゃんは、夏に泊りがけで東京に行く計画を立ててることを教えてくれた。東京でしかやってないお芝居や映画を観にいくらしい。そんなに演劇にのめり込んでるとは思ってなかったからびっくりしたけど、なんでも、演劇部の高校生が夏休みに東京までお芝居を観にいく、っていう小説に影響されたらしい。「なんでもすぐやってみたくなるからさ。観光地とかには興味ないけど、けど東京に一人で行ってみたいし、部活に一生懸命って言ったら親も許してくれそうだし」って、てんちゃんの行動力はさすがだ。それに「小説に影響されて」とか素直にいえるのも立派というか、堂々としてる感じがなんか強い。私は電話を切ってから、思い立ってチャート式を開いた。数列の和の公式の証明をひたすら書き写して、だんだん気分が落ち着いてくる。てんちゃんも、むっちーも、まのちゃんも、こんなふうな謎のいらだちというか、そわそわして、いてもたってもいられなくなるときってあるんだろうか。無意味な焦りがあって、やけにどきどきする。自分の普段の生活を、頭の中で思い描いてみた。朝起きて、学校いって、授業中にしゃべって叱られたり、教室のカーテンにくるまって遊んだり、木ノ下くんとしゃべるようになったから青田くんとも話せるようになって、放課後に部活なかったらたまにバレーボールしにいく。図書館でてんちゃんと映画みたり。と、思い出していって、いきもののことをあんまり思い浮かべないことに気がつく。世話してるときは楽しいし、愛着もあるはずだけど、普段思い出したりしないな。それってどうしてなんだろう。明日委員会のみんなに聞いてみようかな。そんなことを思ってるうちに、ようやくだんだん眠たくなれた。

 朝、簡単に踊り場の掃除をしてたらマサヒロが甘えてきた。ぽんぽんしてる途中で、弟の検索履歴をチェックし忘れてることを思い出す。「あ、忘れちゃった、忘れちゃってたよー、あー悔しいねえ」ってマサヒロに話しながら撫でる力を変えてわしゃわしゃすると、ちょっとうっとうしかったみたいで私から少し離れた。ごめんごめんなんて明るく笑うとまた寄ってくる。まわりに人がいないと自然と話しかけてるってのが愉快だった。普段も呼びかけたりはするけど、しっかり話をするっていうのは、人がいたらちょっと恥ずかしい。三年の山本さんがツヨシに話しかけてるのを見ちゃったことがあったけど、それが自分の身にもすんなり起こった。
 その勢いで私は、思いつくままマサヒロに話し続ける。「仲良くなれてうれしいよ、ありがとうねえ」言いながら内心、マサヒロは私のことをどう感じてるのか疑問だった。親しみを感じてくれてるのは信じられるけど、たとえば私の気分の波とか、リラックスの度合いとか、そういうことを察してくれてたりするんだろうか。私たちはマサヒロをはじめとして、いきものたちのその時々の気分の持ちようをすくいとることに注意をむけてはいるけれど、むこうからしたらどうなんだろう。そりゃ、お互いが積極的に関心を持ってはじめて通じあえるってことは間違いないだろうけど、あらためて考えつくと少し不安な気持ちになりかける。「てんちゃんが東京に行くんだって。てんちゃんはね、やらかい感じの人なんだけどね、へにゃへにゃしてて。どっかいっちゃいそうだよ」一方的にマサヒロに話しかけてると、階段をのぼる足音が聞こえてきた。振り返ると、タクヤをつれたてらばやしとななひらが「おはよ」と声をかけてくる。すぐうしろにはツバサを抱えた山尾さん、そのあとをゴロウが追いかけてきてる。ゴロウの背後には松河さんと松島さんがいる。踊り場は大混雑だ。

 前の日に親子喧嘩したからっていって、宮本さんのお弁当箱のおかずが生のピーマンだけだった。放課後の三応で、そのことをむっちーに伝えたら、むっちーと同じクラスのまのちゃんにもまったく同じことがあったって教えてくれた。まのちゃんの場合は喧嘩じゃなくて、むしろ「これおいしい!」ってよろこんだのを覚えてた家族の人の「気遣い」だったみたいなんだけど、二段のお弁当箱の、おかずの段に、親戚から届いた高級なめかぶがごっそり入ってたらしい。まのちゃんも思い出して目を細める。「おいしくはある、おいしくはある」と繰り返す。「そこは疑ってねえよ」とむっちーが笑い飛ばす。むっちーは人見知りが激しいみたいで、借りてきた猫みたいになってる場面をよく見かける。そのことをからかえるようになったら最高なのになって思うけど、まだできない。
 いきものの面倒も見ず、例会もせず、わいわい話しながら三応で発表を待つ。飯田先生がお菓子をたくさん買ってきてる。食べるのは発表後だっていってビニール袋を自分の椅子のまわりにしまい込んで、みんなから死守してる。山下部長も昨日よりやわらかい表情で、私はちょっと安心して、ちゃんと山下さんのこと心配してたんだなあっていうのが自分でも意外だった。「表情がほぐれた」私の心を見抜いたてらばやしが声をかける。「部長のことよく観察してるよね」「そうなんすかあ?」ななひらの質問が、私とてらばやしと、どっちにむけられているのかはっきりしない。
「ほかの先輩たちについてはそうでもないみたいだけど」そうかなあ。「われわれ一年同士でかたまってばっかだよね」ななひらがいうと、たしなめるようにてらばやしがいう。「新入生ってことでかためられてるから当たり前でしょ、大会はじまったら仲良くなれるはず。二年と三年みたいにさ」
 四時直前に先生は立ち上がり、そばにいた松島さんに、お菓子を見張っておくよういいつけた。予選の結果にアクセスするため職員室に向かっていく後ろ姿をみんなで黙って見送って、三応はへんな緊張感に包まれる。松島さんが声を出さずに口だけ動かしてみんなに目配せをすると、みんなも口パクで応えた。部屋のなかには、バケツリレーで全体にまわされるお菓子の包装のパリパリした音だけが響いて、黙ってなきゃいけないみたいな雰囲気のせいで笑いそうになる。結果をプリントアウトした紙と紙コップを持ってやってきた先生は、「あー」って言いながら、お菓子の行きわたる部屋全体にむけて人差し指をふって、私の後ろでむっちーが「いっこ」って囁く。何度か聞き返すけど意味はわからなかった。


4・六月 第二週

 西高の委員会が地区予選を通過しなかった年は少ない。だから、予選通過が知らされたときも三応全体がおおよろこびって感じではなかったんだけど、もし敗退したとしたら原因は一年生しかあり得ないはずだったから私たちはすごくすごく安心した。となると地区本選は次の日曜日。予選と同じ大学で行われる。
 大会で試されるのは、観察力だけで動物や人間の様子を判断する技術がどれくらいあるのかっていうこと。技術にはおおまかに二つの中心がある。全体のバランスがどうなってるのかを察知する力と、その生き物やその個体独特のクセをつかまえて、細やかな対応をする力。生き物についての知識も試されるけど、決勝がテレビ放映されるぐらいだから、大会には、ゲーム性というか、バラエティ色がある。華やかさ、にぎやかさは楽しいし、簡単に優劣のつく技術じゃないところに勝ち負けを持ち込むことへの批判を防いでるって意味もある。これは博士の受け売り。
 博士は大会についてちゃんと自分の意見を持ってて、そんなにいいものとはとらえてないみたいだった。「いきものの面倒をみるときの醍醐味というか、やってて楽しいのは、通じあえた、みたいな瞬間じゃないですか。機嫌がいいとか楽しいとか、そういうことが伝わってくるときじゃないですか。でも大会はそういうの無視してる気がするんですよね。関係を築く力じゃなくて、いかに問題を表面化させないかっていう。表面化しなけりゃ問題はないことになるし、どんな関係性だとかについては全然見向きもしないで」
看護師のおねえさんに憧れたまのちゃんも、もしかしたら大会についてはっきりした意見があるのかもしれない。金曜日のへんに空いた時間、まのちゃんと二人で校内をうろうろしてるときに、私は思い切って聞いてみた。博士はああやって言ってたけど、私は大会はただ楽しいものっていうくらいの受け取り方しかしてなかったな。
「楽しかったらいいよ。大会のためにやってるわけじゃないもん」美術の授業で切ってしまった親指の付け根に巻いた包帯を指でつつきながら、いつもの穏やかな、やさしい口調で慰めてくれる。「そんな、ねえ、進学に影響するとかじゃないし。お祭りだから」
 三階の中央階段、ダストシューターのあたりですっかりくつろいでるゴロウにまのちゃんが近づいて、ケガしてないほうの手で撫で棒を取り出して撫でた。ゴロウは気持ちよさそうだし回収する時間にはまだ早い。回収の時間じゃないから、私たちはトランシーバーを持たせてもらえてなかった。
「最近、たまにいきものに独り言きいてもらってる」まのちゃんが照れながら打ち明ける。
「え、私も!」私は思わずにやついた。「まのちゃんは誰に聞いてもらうの」
「タクヤかなあ。タクヤ、「はいはい」みたいな感じだから、それがうれしくて」
「そうなんだ。どんなこと話すの?」
 棒をころころさせながら、なにも言わずにウフフって笑う。中庭でテニス部が叫んでる。初夏の放課後、冷たいタイルの床の上でもじっとしてると暑い。「そっちは、たとえばどんなこと話すの? ちょっとやってみてよ」
 少し戸惑ったけど、話したいと思ってたことがあったから、恥ずかしさよりもそっちの気持ちを優先させることにした。ゴロウから視線をそらさず、私は途切れ途切れ、吐き出したかったことを言葉にする。てんちゃんも演劇部が忙しくなってきてて、矢島くんは謎だけど、お昼に宮本さんと二人で話すことが何回かあった。宮本さんは、てんちゃんのことをちょっとナナメっていうか、自分はああいうふうにはなれないだろうなって冷静にみてる。宮本さんからすると、てんちゃんって、自分をもっと変えていきたい、理想に近づきたい、みたいな勢いがすごくて、なんかちょっとこわいっていうか、目の前にいるのに、ここにいないような気がするときがある。宮本さんはいまの自分が変わってく想像がつかない。どうなりたいかなんて十五歳でわかるわけないのに、てんちゃんはなんであんななんだろう。こっちまで焦っちゃう。てんちゃんの部屋って散らかってそう。私はてんちゃんのこと、すごいなあって思ってたけど、でも宮本さんの話もよくわかった。
「こういう感じ」息を吐き、膝に手をついて体を伸ばす。「だからなにってわけじゃないけど、なんか、ね。こういう感じでもやもやしたことを一方的に報告してますね」
 帰り道ちょっと後悔した。まのちゃんを前に話しすぎちゃったと思った。たいしてコメントを返さなかったまのちゃんはきっと、話しかけたところでなんの言葉も返さないからこそ、いきものに話しかけてるんだっていうのをちゃんとわかってるから、同じ態度を選んでくれたんだろう。
 夕食のあとすぐに寝ちゃって、目が覚めたら深夜の一時だった。小テストのやり直しの宿題が残ってるのを思い出して、一時間かけて取り組んだ。それから、台所で水を飲んで、パソコンが目について、思い出して電源をいれる。ちゃんと履歴消しといてくれよ、と、でもそうじゃない場合にも期待しながら、弟がパソコンをさわってた土曜の深夜の履歴をみる。履歴に残ってるサイト名から内容がわからなくて、思い切ってクリックしてみると、背景が真っ黒の、ブログみたいなやつが表示された。
 戸惑い半分と、こわい気持ち半分でおそるおそるスクロールする。不気味な雰囲気ではあるけど、心霊とかホラー系のサイトでもない。趣味でいろんな廃墟に行って、その報告をしてるブログだった。言葉を失う、ってこういうときに使うのかはわからないけど、弟が深夜、家族に黙って廃墟サイトを見てることをどうとらえればいいのか、頭は全然働かなかった。どういうことなんだろう。
 誰かに話したくて仕方なくて、とりあえず矢島くんに伝えてみたけど、矢島くんはむしろ、わかるわかる、廃墟ってなんかいいよねってすんなり受け入れるから余計に混乱する。もしかして、そんなに変なことじゃないのか。確かに矢島くんの言うとおり、エロサイトだけじゃなくほかのいろんなサイトも履歴から消したつもりなのに唯一その廃墟ブログだけ消し忘れてるから、そこにだけ浸かってるように見えるのかも。いずれにせよ経過観察が必要ですねってことで消化不良のままこの話はおしまいになった。てんちゃんにも言いたかったけど、昼休みには練習しにいっちゃうし、そのうち気持ちが落ち着いてきたせいで賞味期限が切れちゃって言いそびれる。高校の演劇のコンクールは、夏休みはいるとすぐらしい。

 木曜日、体調を崩して学校を休んだ。週末には地区本選があるし整えとかないと。
 両親ともに仕事にでてる日中には、もちろん弟の検索履歴を洗う。ゲームのこととかトレーニングのこととか、学校の勉強に関係してそうなサイトの履歴のなかに廃墟関連のサイトがちょいちょい混ざってる。定期的に見てるらしい。私もつい記事に引き込まれて、気づくと一時間以上のめり込んでた。その必要もないのに慌ててパソコンを閉じる。あぶないあぶない。筋トレってほどじゃないけど体を動かして、シャワーを浴びて、麦茶をのんで横になる。本選あるし、体調戻さないと。思い浮かぶのは飼育委員会のみんなの顔だ。
 松河さんと山瀬さんは犬猿の仲で、それが部内でのちょっとしたスパイスというか、意地悪なからかいのネタになってることを読みとるにつれ、はじめは戸惑ってた一年たちも二人の不仲をむしろ楽しむようになってきた。外から見てるぶんにはおもしろい。だけど一年の間でトラブルがあったのにはどきっとした。どうも、むっちーとななひらが喧嘩したらしい。一週間ちょっと前に、かなり激しくぶつかりあったらしい。
 確かに、そもそも相性はよくなさそうだった。ニンジンの葉っぱの味がセロリに似てるかどうかとか、カレーにショウガをいれるかどうかとか、そんな平和な話題でもいちいち突っかかって、喧嘩したいっていうのが先にあって、理由なんてなんでもいいみたいだった。
 二人が激しくやりあったのを心配したてらばやしが出来事をまのちゃんに伝えて、その話が私のところに伝わって、だから私には詳細はわからない。ともかく予選のときにはすでに、いつも以上に険悪だったってことになる。まあそれは個人戦だからあれだけど本選はチーム戦、試合本位で考えるのもよくないけど、正直こっちのほうも心配だった。
 それにしても、事情を知って心配しながらいつも通りに振舞ってると思うと、てらばやしに同情したくなる。自信たっぷりで、皮肉っぽいところがあって、中学ではちょっと浮いてたって話も聞いたことあるけど、いろんなことに気づける繊細な人でもあるんだろうかな。
 木曜、金曜と休んで土曜日、だいぶ早く学校に着いた私は、のんびり校内を散歩していた。マサヒロが私を見つけて追いかけてきて、「どこいってたんだよー」って甘えてきてうれしい。抱き上げるとばたばた動くのはテンションがあがってるからだから、体重は重くならない。それどころかどんどん軽くなる。飛んでっちゃいそうな気がしてぎゅっと抱きしめる。「風邪っぽくなっちゃったんだよね、きみも気をつけなさいよ」マサヒロを撫でる。
 踊り場にはツヨシとタクヤがごろごろしてて、敷いてある新聞紙は新しい。休んでるうちに六月の猛禽類の日があったからで、住処として馴染んでない匂いが新聞のインクのものなのか、鳥の血のなのか混乱する。
「鳥はいっぱい食べれた?」マサヒロを撫でる。明日には本選なのが信じられない。
 放課後の三応は落ち着きがなかった。本選の試合内容は当日発表だから対策のたてようはない。今日ははやく帰って、明日に備えてしっかり寝とこうっていう話があってもみんなすぐには帰らなくて、はらはらもじもじした時間が流れてた。
 私は放課後の見回りに参加した。鳥を食べたばかりのいきものたちはひたすら気持ちよく寝てるだけ。朝あんなにはしゃいでくれたマサヒロだって眠りこけてる。土曜の放課後はいつもより開放感があるけど、雨のせいでちょっと寒々しい感じもあった。博士は松崎さんと真剣に、過去の地区本選の内容について語り合ってた。

 本選当日の日曜日、昨日の雨が嘘みたいによく晴れた。先週とおなじバスで集合場所にいくと、先週とおなじように一人だけテンションの違う飯田先生がジャンプさえしながら「こっちこっち」と知らせてくれる。予選に参加した三十四校のうち、本選まで進んだのは十二校、人数にすると五百人近く減った。このうち県予選にすすめるのは四校だけだ。
 六校ずつに分かれて、それぞれおおきなホールに入る。半円形の階段教室で、座席はあらかじめ指定されてる。ステージ中央に垂らされてるスクリーンを挟むように解答台が三台ずつ置いてある。
 大会委員の人が校長先生みたいな感じのねむたい挨拶をするのかと思い込んでたんだけど、若い男女がハイテンションで壇上にあがってきてびっくりした。地区大会からすでに、全国大会みたいなバラエティ色だ。
 時間をみっつに区切って、それぞれ別の種目をやること。内容はその時間がはじまってから知らされること。各高校、八人の出場者を選んでおくように。こうアナウンスされると、それなりのおおきさで音楽が流れはじめた。盛り上がっていこう、賑やかに楽しもうっていうテンションの参加者たちじゃないからか、司会の二人のトーンがへんに浮いてて寒かった。けど結局、試合がはじまると持ってかれる。最初の種目は早押し対決、スピード間違い探し。六チームが、表示される二つの画像や動画にある間違いを見つけ次第早押しで答える。いわゆる普通の「間違い探し」からはじまって、生物の知識を問うような、たとえば写ってるパンダの尻尾が黒いとか、それが一か所だけじゃなくなってきたりとか、問題の種類は幅広く、早押し形式ってこともあって設問数は多い。四人ごとの交代制で五十分、五十分も早押ししてるのはしんどいはずなのに、ゲームに夢中になるとあっという間だった。私も含めて座席のみんなは、誰かがボタンを押すたび、ブザーが鳴るたび自然と体が動いたし、声だって出る。博士はぶっちぎりに活躍してた。
 十一時四十分からの二ゲーム目のためにも八人選んでおいてくださいとアナウンス。おなじ出場者が連続で出場しても構いません。出場選手は高校名のバッジをつけて、ステージ前まで集合してください。
 一年生から、私とてらばやしとれいしが選ばれた。ステージまでいくと急に緊張する。人前にでることの緊張まで乗り越えないといけないなんて思ってもみなかった。唇が冷たい。鳴り響くのりのりの音楽に疲れてきてる。
 二種目目も間違い探し。けど早押しじゃなくてフリップ解答だった。生き物の世話をする人の登場する短いVTRをいくつも見て、よくなかったシーンをフリップに書く。どの振る舞いがだめだったのか、どこでなにに気づけたらよかったのか。そのドラマを真剣に見るせいで、会場の雰囲気はスピード間違い探しのときとは違った種類の熱気に包まれた。その場でも解答発表は行われるけど、フリップはすべて回収されて、あとでしっかり採点される。はじまっちゃえばそんなに緊張しなかった。暗くて客席もみえないし、画面かフリップを見てればいいんだし。
 三種目目は、一種目目と二種目目が合体したやつだった。二種目目でみたVTRとは微妙に違うシーンがあって、その違いがどこなのか、そしてその違いがVTRの結末にどんな影響を与えるのか予想して答える。答え方も合体してて、フリップに書いたやつを早押しで見せる。司会者は答えやトラブルを笑いにかえることなく淡々と進行していって、なんかもういろんな刺激がありすぎて、楽しいけど、私はどうやらちょっとだけ熱を出していた。あっという間に十六時、解散の時間。全員ぐったり疲れてて、外はまだ少し明るいし暑い。
 甘いもの食べたい甘いもの食べたいと繰り返す松崎さんに折れ、飯田先生が何人かをファミレスに連れてったけど、私は家に帰ることにした。今度はこっちから、「試合終わったー へとへと」とてんちゃんにメッセージを送る。結果発表は翌日、月曜の十八時。
 発表日の例会はだらだらしてて、上級生たちはすぐ図書館にこもってしまった。期末試験も差し迫ってる。三応に残ったれいしや博士、それにむっちーまで期末の勉強をしはじめて、仕方なく私も英単語を眺めるけど、いつまでたっても勉強する気にならない。ついに集中力のまったくなくなった私は五時過ぎ、一人でマサヒロに会いに行った。
 マサヒロは二年生の廊下でうとうとしてた。そのそばにしゃがむ。撫で棒でつついて、「たいくつだよー、たのしくないよー」って、話題がないからとにかく文句だけぶつけるけど、ちっとも相手してくれない。「かまってよ、機嫌悪いの?」マサヒロは、私が持ち上げようとした瞬間に急激に体を重くした。ぞっとするというか、急に体の芯が冷えたように感じた。不意打ちだったからか、それはほんとうに極端なショックだった。「やめてよ、なんで? 寝起きだから?」声が震えてる。けどマサヒロはまだ私を無視する。どうしたんだろう急に。遅刻して三応に戻って、本選を通過し、県大会に出場できると聞かされても、素直にはしゃげなかった。


5・六月 第三週

 試験前だからなのか、昼休みの教室はいつもより賑やかだ。雨が降って外で遊べないとなると人の熱気で教室は温室になる。たくさんの小石が流れてくような雨の音がうるさくて、いま夏の手前だっていう実感がない。
 全体的に、休み時間は同じ部活の仲間同士で過ごすほうが多くなってってる。私も、むっちーとまのちゃんと三人で食べるようになってきた。むっちーは、勉強を教えてくれって博士に頼んだ。でも博士、試験勉強は恋人と一緒にしてるらしい。みんなして覗きにいこうか。でも博士の恋人なんて絶対いい感じの人に決まってる。飼育委員会って、上級生も誰もそういう話しないよね。それは居心地いいけど、もう少しくらいそういう話題あってもいいよね。話の途中で、まのちゃんが自然に「ホの字」っていう言い方をしたのがおかしかった。
 いや、お昼に別の教室に移動するのにはほかの理由もある。てんちゃんと、ちょっとへんなぶつかり方をしちゃったのだ。喧嘩っていうほどでもないし、それと昼休みの過ごし方は関係ないけど、頭ではそう考えても気分がそうじゃない。
 お互いの部活動が忙しくなって、中間試験の前と後で遊べる時間が急に減っちゃったね、こうして話すのも久しぶりだよね、なんていう、いってみれば距離が開いたことを確認しあうような会話でもあったんだけど、私は余裕がなくて、夢中になれるものが見つかって毎日楽しそうですね、みたいな、少し意地悪な言い方をしてしまった。てんちゃんは気づかないのか流してくれたのか、そう楽しいばっかりじゃないよって応える。うまくいかなくてもがいてるほうが、楽しく夢中になってるようにみえるんだろうね。そう前置きしてから、ロミオとジュリエットは、禁じられた恋だし、結ばれない恋だからこそ、すごくすごく愛しあってるように見えるんだよねと演劇の話を続ける。「ほら、そういうとこだよ」って私は、書き間違いを見つけたみたいに慌てて反応して、てんちゃんは黙ってしまった。しゃべらなくなっちゃったてんちゃんを残して、逃げるように私はマサヒロを探しにでた。マサヒロを探しながら、てんちゃんは、ほんとは私に、なにか言いたいことがあったんじゃないかという気がしてきて胸がいっぱいになる。
 特別教室棟の奥、ひと気のない日陰で涼んでたマサヒロを見つけ、もやもやしたまま近づいた。逃げるように、じゃなくて、実際逃げてるんだ。マサヒロを見つけてもほっとできない。私はしゃがんで、ため息をついてから話しかける。元気してた? 軽く手を乗せて、やさしくゆっくり撫でてみるけど、体をかたく引き締めたマサヒロはなんの反応も見せない。私がさわってることへの反応がないのが悲しくなってきて手を離す。離しても、離す前となんの変化もない。マサヒロは寝てるわけじゃない。「どうしたの、いらいらしてんの」って聞きながらまたさわると、マサヒロはびっくりしたみたいに体をひいて、私の手をかわした。こないだも反応してくれなかったことがあったし、ショックだったけど、たまたま機嫌が悪かったんだろうって自分を納得させて流してた。けど、いよいよ様子がおかしい。ひと気のない、薄暗い、涼しい廊下でしゃがんだ私は、立ちあがるタイミングを見つけられない。涼んでるマサヒロがいまどんな気分でいるのか、いまの体重がどれくらいなのか、私にはちっともわからない。自信がない。すごく心細くなった。はらはらするし、なにもかも取り返しがつかないような予感に襲われる。不意に、結局二、三回しか触ってないチャート式のことが思い浮かぶ。数学を得意ぶってる自分は昔の自分だ。二度と戻ってこないだろう。

 県予選がひかえてるので、試験前とはいえ委員会は一応ある。例会や企画のような問題の出しあいはせずに、集まれる部員たちだけで県予選の模試をやった。週に二回も模試をやるなんて大学受験みたいだ。ただ、県予選は記述式の問題だから、要するに対策っていっても暗記とかそういう話じゃない。地区予選で試された知識を使って考えて、それを文章にできるかという話なので、日頃のトレーニングで慣らしておく以外に方法がない。そんなこといったら期末試験だって日頃の積み重ねなんだけど。ともかく、期末試験のことも含め、みんなで勉強するのは悪くなかった。中学までの試験勉強はいつも一人でやってたから知らなかったけど、みんなで同じ問題に取り組んで、文句いったり、教えあったり競いあったり、終わってからコンビニで買い食いしたり帰り道理由なく走ったり、そうしてるうちにわかることが増えていって、それって結構発見だった。
 なんていうふうに、前向きで真面目な人ぶって勉強してるのがそんなにいやじゃないのは嘘じゃない。でも、てんちゃんのこと、マサヒロとのことから目を逸らしたいから、目の前に都合よく山積みになってる「やらなきゃいけないこと」に取り組んでるのも嘘じゃない。「いまは試験前だから」とか「部活が忙しいから」とか、それはそうなんだけど。
 いきものの世話は毎朝、毎放課後にある。けどマサヒロとは会いづらくて、甘えてくれるゴロウにかまい、高いところから降りてこないツバサを降ろして、L字棒を補充して、この週はそれだけしかやらなかった。
 そして日曜日、県大会の予選当日の朝は、よくいえば平常心、悪くいえばローテンションだった。電車の中でななひらと会う。いっつもてらばやしのそばにいるななひら一人だと印象が違う。ななひらが電車で芸能人をみかけた話を聞きながら会場に到着する。会場は、地区大会とはまた別の大学で、おおきい。
 立派な門のなかに入るとメタセコイアの並木道になっていた。これだけ広くて、これだけおっきな木を植えられて、たくさんの植物があったら、虫も鳥もかなりいっぱいいるだろう。むっちーと博士が二人で中腰になってて、近寄ると、二人して婚姻色のトカゲを見てる。「縁起がいいですねえ」あいさつ代わりに博士が呟く。まのちゃんの家にいったときにも思ったけど、博士の私服はそれこそ大学生みたいで、大人っぽい。おしゃれのことはわかんないけど、むっちーはたぶんちょっとださい。ま、それがちょうどいいキャラではある。
 会場手前までは四人で行く。けど受験番号に従ってそれぞればらばらの部屋に入る。高校ごとにはかたまらない。十時半から二時間のテストで、お昼には解散になる。試験の感想を言いあいたかったし誰かとしゃべりたかったけど、解答用紙の回収に時間がかかった私の教室の解散時間はほかより遅れちゃって、結局誰とも会えなかったから、半分すねながらまっすぐ家に帰った。試験はあんまり手ごたえがなかった。
「早かったね」ってお父さんとお昼を食べる。予選がどうだったのか聞かれて、はっきり返せないでいると「いつも本調子でいられる人はないからね」と励ましてくれる。いつもの調子ならならうるさく感じてしまうだろうけど、妙にすんなり納得できた。そう、私は最近本調子ではない。ちょっとよくない波が続いてる。お母さんと弟は弟の部活の関係の集まりで出かけてた。お父さんはエアコンの掃除をしてた。
 夕方まで、リビングでだらだら試験勉強をする。お父さんは冷凍庫の霜取り。お父さんはきれい好きというより掃除好きで、やれ換気扇だのやれ洗濯槽だの、毎週家や家電を洗う。洗うものがないときはない。ヤカンをぴかぴかにしたり、窓ガラスにワックスを塗ったり、本を虫干ししたり、靴を磨いたり自転車に油を塗ったり、外の植木の枯れた葉をちぎったり洗車したり、掃除グッズだったりなんだったりのストックを調べ上げたり、とにかく毎週なにかしらをきれいにして満足してる。平日についた焦げ目も、お父さんの日曜の楽しみのためにとっておいてあげることだってある。
 掃除を終えてシャワーを浴びたお父さんがぬるいカルピスを私にも作ってくれる。霜取りのあいだに食材を保管しておくクーラーボックスに、ちゃんとカルピスのボトルはいれてたから安心してたけど、そうか氷は作れないもんなあ、とひどく悔しそうに、でもうれしそうにカルピスを飲んでて、これには私もいつもの調子でうるさく感じる。

 <<つづきはこちら>>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?