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「われらいきものがかり」<1/3 前編>

プロローグ 入学式

 校長先生のあいさつのあと応援部が壇上にやってきて、ほかにもスポーツ系の部活の人たちがステージ手前に集まって、みんなで応援歌を歌いはじめた。校歌じゃなくて応援歌なんだ、と思っていたら、そのあと続けて校歌の合唱。クラスごと中庭で集合写真を撮ってから教室に戻ってプリントだったりなんだったりを受け取って、初日は忙しいし、みんなも緊張してるから心細さは感じにくいけど、同じ中学とか塾からきてる子がいないのはちょっとさみしくて、春休みには思い出さなかった中学の同級生の顔を思い浮かべたりする。ネームプレートだけが新しいロッカーにはシールのあとが日焼けみたいにして残ってて風がこわいくらいに強い。副担任の中山先生がお笑い芸人の、たまにテレビに出てる人に似てる。
 一人一人が自己紹介をすることになって、トップバッターの青田くんは立ちあがると耳まで真っ赤にして照れた。うつむき加減で名前だけ言って慌てて着席するとき椅子がめちゃくちゃうるさく鳴って笑いがおこる。解散になってから、青田くんが誰かに話しかけられてるのを私はぼんやり眺めてた。話しかけてる男の子は、人見知りしない人ってわけでもなさそう。むしろ頑張って話しかけてる感じで、視線が落ち着かない。たとえば、中学のときの過ごし方とは全然違う学校生活にしたい、みたいな、なんかそういうのを抱えてるような気がした。
 そもそもこの高校を受験したのは飼育委員会に入るためだったから、気持ちはすごく先走ってて、今日にでもさっそく入部届を書きにいく勢いだった。でもそれは明日のサークル紹介のときまで待ってないとだめらしい。まだお昼すぎ、すぐ帰るのももったいないけど遊び相手もいないし、どうしようかな、なんて思ってるときに話しかけてくれたのが日高さんだった。「さっき、ロッカーになにしまってたんですか?」
 口元を手で隠しながら、へらへらもじもじしてる。別にからかってるみたいな嫌な感じはしない。初対面で緊張してるからこんな感じなのかなって思った。張り切った気持ちを打ち明けるのが照れくさくて、私ももじもじしながら、
「へへ、早押しのボタン。飼育委員会入ろうと思ってて、楽しみすぎて持ってきちゃった」
 飼育委員会と聞いたとたん日高さんは顔をあげた。小型犬みたいな目で「いいなー」と言った。「すごいなあ」
「そんなそんな」ちょっとだけ得意になりながら謙遜する。
「中学からやってたんですか?」
「うん、まあね」
「すごーい、うちの中学にはなかったんだよね、憧れだけど、私にはできないだろうなあ」
「誰でもやろうと思ったらできるよ、やってみる?」流れで気軽に誘いかける。
「生き物さわるの苦手なんだよね」日高さんは平然とそう言った。私は笑う。「じゃあだめだね」
「さわれたらやってみたいけど。部活どうしようかな私」
「中学は? なにしてたの」
「フェンシング」日高さんは平然とそう言う。私は驚く。
「え、剣のやつ? 部活で? 中学で? あるんだ、そんなの」

 フェンシングの恰好はなんとなく想像つくけど、動いてるのは見たことがなかった。てんちゃん(中学のあだ名を教えてもらった)によると、あの服には電気が仕込まれていて、つっつかれると電気が流れるらしい。どういうことなのかピンとこなくて、家に帰って動画を探してみたけど、見てもあんまりわからなかった。ただ確かに、選手の背中からケーブルらしきものは伸びていて、電気が通ってるのは本当っぽい。
 中学のときの飼育係はすごく楽しかった。いきものの世話をするのもおもしろかったし、毎年の講習会と中学生大会も楽しかった。大会のあとは夏合宿があって、高校生大会の決勝戦のテレビ番組をみんなで見ながら一緒になって問題を解いて盛り上がったけど、番組のなかで私が一番好きだったのは、決勝戦に出場するような「名選手」だった大人が、いまどんな人生を過ごしてるのかを紹介するVTRだった。シェフだったり指揮者だったりいろんな人がいて、番組だから当然だけど、みんながちゃんと、いきものの世話で培ってきたものを活かして、いろんな活躍をしてて、私はいつもなんだか涙ぐんでしまうんだった。


1・四月

 飼育委員会の活動日は、月曜、水曜、金曜、土曜の週四日。でもこれは一学期だけの話。二学期からは月、水、土の週三日。もちろん、いきものの世話は毎日する。夏休みや試験期間も関係なし。部員同士毎日、朝と放課後に顔をつきあわす。
 よく一緒にいるのはまのちゃんで、まのちゃんはプレーリードッグとかカピバラに似てる。ゆっくり、やさしい話し方をする。年の離れた親戚のおねえさんがホスピスで看護師をしてる。おねえさんが高校のときに飼育委員会で活躍してた話と、いまの仕事のこととを聞いて興味がでて、それで入部したらしい。その入部理由がすごくまっすぐな感じがしたから、なんかすごいねって感心したらまのちゃんは困った顔をした。
「いまみたいにへんにまとめて話しちゃうと、まとまってていやだけど、中学のテニス部がきつくてさ、とにかく次どうしようって考えてただけなんだけどね」入部のいきさつをインタビューしてくるなんてへんなのっていって笑った。まのちゃんはウフフって笑う。

 委員会のある日は、授業が終わると第三応接室、通称「三応」に集合する。顧問の飯田先生はいたりいなかったり。月水土曜は「例会」の日で、金曜は「企画」の日だ。
「例会」では一人一人、それぞれ十題ずつ作ってきた問題をペアになって出しあって成績を競う。新入生は上級生のを見学して、ノートに記録をつける。基礎練でもあるし、地区予選対策でもある。先輩たちの組むペアが六組あって、新入生は八人だから、新入生二人のチームがふたつできる。金曜日の「企画」は、一人から多くても三人くらいの出題者が、ほかの全員に対して問題を出す。問題の形式は週によって違う。最初の週は○×で、次の週はフリップで、せっかく張り切って用意してたマイ早押しボタンはなかなか日の目をみない。
 例会も企画も、どっちも問題の難易度は中学とはまったく違ってて太刀打ちできなかった。やる気満々だった私は誰と競う気があるわけじゃないけどめちゃくちゃ焦って、毎朝電車のなかで過去問集を読んで読み込んで登校してた。もちろん部活で出される過去問の宿題もまじめに取り組んで、授業の勉強は後まわし。新しいことを覚えるとそのぶん正解できる問題も増える。そのわかりやすさがうれしくて、勉強するにつれ日に日に少しずつハイになっていった気がする。部員同士も仲良くなっていったし。
 四月のある日曜日、むっちーと博士と一緒にまのちゃんの家にいってお昼をごちそうになって、それから例会みたいにして問題を出しあって遊んだ。どういう感じでどういう話をすればいいのかまだお互いはかりかねてる感じがあったから最初は少し緊張してたんだけど、だいぶしゃべりやすくなった実感があってうれしかった。とくに「一番強い動物はなにか」っていう話と、そのあとの「強い動物を倒すためにはどうすればいいか」って話でばかみたいに盛り上がったときにぐっと距離が縮まった。話の内容は思い出せないけど、「あ、いま縮まったな」みたいな手応えがあったのはありありと記憶に残ってる。

 世話するいきものについても、中学とはだいぶ様子が違った。まず年齢が違った。中学のときのいきものは高校からの「おさがり」で、高齢で、おとなしくって素直な性格だった。ところが高校のはみんなもっと力があるし、活発だし、ややこしい。
 西高で世話をしているいきものは五体。それぞれツヨシ、ゴロウ、マサヒロ、タクヤ、ツバサって名前がつけられてて、おおきさはどれも枕くらい。ツバサは四年前、ほかの高校と交換でもらったそうだ。こっちから渡したやつの名前はシンゴ。ツヨシは意地っ張りで、ゴロウは甘えたがりで、マサヒロとツバサは活発ですぐどこかにいってしまう。タクヤは不愛想でいつもつんけんしてる。
 中学との違いはそれだけじゃない。中学のときには飼育小屋のなかで暮らしていたいきものも、ここ西高では学校のなかで放し飼いになっている。屋上手前の踊り場がいちおうの住処にはなってるから、止まり木も食べ物もトイレもそこにまとまってるんだけど、いきものは一日かけて校内を好き勝手に移動する。そのうち虫の居所が悪くなってきて体が重たくなり、動く気も起こさないようになると、その場所でフンをするようになる。それぐらいならまだいいけど、そのままそこで衰弱されても困る。それで、一日の終りには校内じゅうに散ったいきものを探し出して、なだめすかせて気分や具合をよくしてあげる必要がある。気分や具合がよくなって体重が軽くなったのを抱きあげて、踊り場まで連れて帰る。で、トイレ砂や水を交換して、おやつのペレットの補充もしてようやく下校。夜のうちにも移動してるときがあるから、朝も朝ではやめに登校して、どうなってるかをチェックする。
 いくつかのチームにわかれて校内を探索するときのために飼育委員会には専用のトランシーバーがある。てんちゃんも、「あれ、いいなあ」ってトランシーバーに憧れてた。三応のなか、トランシーバーを持ってポーズをきめて撮ってもらった写真を見せたら、「実力で持てるようになんなきゃ意味ないよ」って笑われた。そうだ、副担任の中山先生がお笑い芸人に似てるってことてんちゃんに通じて、自信をつけた私は三応でもその話をしたら委員会のなかでも共感してもらえて、さすが上級生、あることないこと、中山先生についてのたくさんの噂を吹き込んできた。サイドカーつきのバイクに乗ってるとか、いや、乗ってるのはオープンカーだとか、太ももにゼニガメのタトゥーはいってるらしいとか、シャンプーで全身を洗うらしいとか、愛されてるというかなんというか、からかわれてる先生らしい。山下部長も「中山ちゃん副担なのほんと羨ましい」って甘えたような声を出して、でも私はまだ先生のおもしろポイントを見つけられてないからじれったかった。
 ま、それはそうと、いきものを探すのはそれなりに難しかった。新米だからってことを差し引いても、私はたぶん人より苦手なほうだと思う。先輩には、経験と知識で探すんだよ、才能じゃないよって励ましてもらえるけど、どこにヒントがあるのか、自分じゃ全然見つけられない。
 重くなってる原因を調べるのも難しいけど、けどこっちのほうがまだ楽しい。いきものはしゃべったりして教えてくれるわけじゃないし、その日の気分とか、性格の差とか、微妙な要素がありすぎて複雑なんだけど、反応がみられるのは楽しいし、機嫌を直してくれたときはやっぱりうれしい。ゴロウはわりと相手しやすくて、ツヨシはなかなかまあ、愛嬌があるというか。タクヤはかなり問題児だった。
 気圧の低さみたいに、どうしようもない理由で重くなってるときは、みんなで台車にのせて住処まで運ぶ。飼育小屋のなかで食事や水を交換して、たまに撫でたり掻いたりしてればよかった中学時代とは大違いの重労働だ。
委員会だけのせいではないけど家に帰る頃にはへとへとで、ご飯のあとすぐ寝ちゃってへんな時間に目が覚めることもあった。充実しているといえばそうなんだろうけど、なんか、高校生活を味わって過ごしてるって実感はない。毎日あっという間で、入学したての、中学の復習も兼ねた授業ペースはゆったりしてるからいいけど、これから先どうなるのか。
 てんちゃんは結局、あんまり迷わずに演劇部にはいった。「どうして?」って聞くと、いつものへにゃへにゃした感じで、かっこいい先輩がいるからっていう。確かにその先輩はかっこよかった。上演会があって、てんちゃんと一緒にみにいったんだけど、そのときにその先輩はスパイの役をやっていた。決して声を張りあげず、あくまで落ち着いた感じのまま一生懸命な人物を演じていて、私だって素直に「きれいだなあ」って思った。それを、そのまま「きれいだったから」って入部しちゃえるてんちゃんはすごい。
 てんちゃんは貴重な、委員会以外の友人だった。昼休みは私のすぐうしろ、サッカーをしにいく渡邉くんの席にきてくれる。席の近い宮本さんと矢島くんとも一緒にお弁当を食べた。初日の挨拶で顔を赤くしてた青田くんと、彼にすぐ話しかけてた木ノ下くんには四人ともなんとなく親しみを感じていて、この二人が仲睦まじくしてるのを、みんなで遠巻きに眺めながらキャラクターみたいに扱ってた。「いやされるよねー」って。
 音楽が好きっていう宮本さんは、CDを持ってきて貸してくれるようになって、貸す前の紹介コメントがなんか狂暴だった。「ベースとドラムがお互いを殺そうとしててヒリヒリしてる」とか。しかもそのCDのケースがたいていバッキバキに割れているのも衝撃的だった。さもそれが当然であるかのような顔つきだから突っ込めない。てんちゃんも平然と「へんなジャケット、これへんだね」なんて笑わずにいうのを、私は矢島くんと目配せだけでおもしろがった。
 矢島くんは青年漫画と韓国語に凝ってて、高校に入る直前、「韓国ぐらいだったら近いし、日本人も、日本語話せる人もいっぱいいるから」っていう理由で一人で韓国に行ったらしい。それだけでも想像がつかないけど、矢島くんはバスを乗り間違えて迷子になって、そのとき、決して上手じゃない日本語で一生懸命に助けてくれた人がいたのにすごく感謝して、一人で日本に来て心細くて困ってる人の手助けがしたいっていうピュアな理由で韓国語のラジオ講座を一生懸命聞いていた。「けどさ韓国語は正直、できる人いっぱいいるだろうから、タイ語とかベトナム語とか、そういうのできるようになってみたいんだよねえ」英語じゃだめなのっててんちゃんがいう。矢島くんは言い返す。「だめっていうか、英語じゃないほうがおもしろそうじゃん」
 私は委員会で手一杯で、入学前に買ってもらってた青いチャート式の参考書が手につかなくて、数学の成績が落ちたらどうしようって心配してた。中学のときは自分が「数学が得意な人」だってことにすごく満足してた。だから成績が落ちたらやだなって心配もあったんだけど、同時にほかの不安も感じてた。音楽がまっすぐ好きな宮本さんや、人の役に立ちたいって思ってる矢島くんと自分自身にすごく差がある気がしたのだ。私は数学が好きというより、数学の成績で人より優位にたつ、みたいなのが気持ちいいだけなんじゃないだろうか。将来数学を研究したり、それを使ってどうこうってことも考えてないし、芯がない感じ。いまは飼育委員会が忙しいからいいようなものの、委員会の新入生がやらなきゃいけないこと、みたいなのがなかったとしたら、私はなにに一生懸命になれるんだろうか。
 とはいっても、飼育委員だって中学のときの感じじゃない。先輩たちの本気度合いとも温度差を感じて後ろめたい気がするし、中学のときまでのなんとなくな、ふわふわした楽しさだけで張り切っちゃってる自分の「好き」の気持ちが偽物なんじゃないかって考えると悲しかった。私が夢中になるような、私にとっての特別なことって、もしかしたらいきもののことじゃないのかもしれない。けど、そうじゃなかったらなんなんだろう。
 放課後の当番がなくて、演劇部もお休みだっていう日にてんちゃんと一緒に帰った。クラスメイトとか先生の噂話をしてるとき、てんちゃんは急に流れをぶった切って「テレビでるの?」って質問してきた。夏の全国大会に出場できるのかっていう意味だったんだけど、そっから話は「夏休みなにするのか」って、中間試験もまだなのに夏にしたいことを話してたら盛り上がって、公園に寄り道して夕方までずっとくっちゃべってた。高校生なんだね、もう大人になったねえっていいながらブランコを揺らしてた。「ねえ、いきものの面倒見る特殊能力が仕上がったらさ、死期が迫ってる人とかわかるようになるのかな」てんちゃんが訊く。
「超能力とかじゃないからねえ」
「でもさ、たとえば誰がいま生理だとか、嘘ついてるとか、お腹くだしてるとか、そういうのってわかるでしょ?」
「え、そんなことないと思うよ? 心配しないで」笑うとてんちゃんはまじめな顔で続ける。「でもたとえばそこまでわかっちゃうようになったらさ、演技してる人ってどういうふうに見えるんだろう。っていうかその人にとっての「うまい演技」とか「おもしろいドラマ」ってなんなんだろう」考えたこともないなあ。私は口ごもる。
「私、お芝居は、嘘とか本当とかそういうんじゃなくて、ドラマはドラマっていうふうにしか見てきてなくて、だから、うまいとかへたとかよくわかんなくて、ほら、部活だとさ、やっぱうまくならなきゃとか、うまいほうがいいとか、そういう感じがあるんだけど、それがわかんないんだよね」てんちゃんは真面目な顔。「確かに、ぎこちないなあとか、一本調子だなあとか、そういうふうに思うことはあるけど、自然にしててそういう人、っていう人もいるじゃんきっと。ていうかへたじゃだめなのかな」
 てんちゃんの、鉄棒を握り込む指に入ってる力の強さ、顎を細かく噛みしめるから動くこめかみの下に注意を払う。襲われている別の不安を「演技ってなんだろう?」って疑問に変換してるんじゃないかと推察してた。私は思いつきの言葉を返す。
「でもさ、この人のしゃべり方クセ強いなあっていう印象ばっか強くって、見てる人からするとお話全体のバランスが混乱しちゃうようなら、それはへたっていうか、よくないんじゃないのかなあ」
 なるほど、さすが! すっきりした。そっか、そういうことか。てんちゃんは納得してくれて、そのリアクションが大袈裟なもんだから心配になる。
 ゴールデンウィークにみんなでカラオケに行こうって約束して家に帰ると、弟は先にご飯を食べていた。弟は自分の部活のことでお母さんと口喧嘩っていうか、わがままを通そうとがんばってた。練習試合の予定かなんかをちゃんと伝えてなかったみたいで、お母さんが機嫌を悪くしてる。


2・五月

 ゴールデンウィークには約束どおり、てんちゃんと宮本さんと矢島くんとカラオケに行く予定だった。でも宮本さんは熱でちゃって行けなくなって、かわりにってわけじゃないけど矢島くんの誘いで木ノ下くんが参加することになった。隠れ木ノ下ファンだから私とてんちゃんは盛り上がって、わくわくしながら待ち合わせ場所に行く。木ノ下くんは慣れないメンバーにおどおどしてて、その様子もおもしろかった。
 矢島くんと木ノ下くんがつながってるのはちょっと意外だった。だってお昼、木ノ下くんと青田くんのやりとりを矢島くんとも一緒になって楽しんでたから、当然私たちはみんな、二人に対して似たような距離感なんだと思い込んでたのだ。「どうして仲いいの?」なんてストレートに聞くと、え、だって、同じクラスだし、って二人とも困る。そりゃそうだろうけど釈然としない。「青田くん呼ぶ?」てんちゃんが聞くと木ノ下くんは簡単に「ああ、あいつはだめ、家族でどっか行くっていってたよ」って、マネージャーかなにかみたいにスケジュールを把握してる。
 最初に曲を入れたのは木ノ下くんだった。曲は「ポケモンいえるかな?BW」で、曲のなかにはサビというか、「ポケモンの名前いえたなら 呼ばれたポケモンもうれしい」って繰り返しが何回もある。てんちゃんがそれをききながら、「呼ばれたポケモンはうれしいんだね」って言って泣いてて、木ノ下くんは笑って歌えなくなった。矢島くんはストイックに宇多田ヒカルしか歌わなかった。
 カラオケの曲はとにかく恋愛についての曲が多い。誰かのことを愛してるとか愛されてるとか、そういうようなことばっかが歌われてる。ヒット曲が歌ってるような世界に、私は関係できるんだろうかってぼんやり考えた。でも、ヒット曲が歌ってるような幸せにあてはまっちゃうと、それはそれで、自分らしさみたいなのがなくなっちゃうかもしれない。
 みんなでご飯食べたあとのてんちゃんはめちゃくちゃ元気そうで、ぴょんぴょん飛び跳ねながら歩いてた。私は全然そうじゃなくて、てんちゃんと二人になったとき「なんかあったの? 今日ちょっと悲しそうじゃない?」って心配される。
 五月病っていうやつなのか、これといった原因は思い当たらないのに、ついつい憂鬱な考え方を選びがちになってるのは自分でも気がついてた。登下校で目にするたくさんのサラリーマンのこともあるかもしれない。みんな同じ格好で、浮かない顔つきか、くたびれて不機嫌になった表情をしていて、毎日毎日朝から晩まで働いてる。仕事ってやつがどれほど人を消耗させるのかと思うと暗い気分になったし、単純に、毎日が同じことの繰り返しなように感じられるのもいやだった。
 高校生とはいってもまだ子供のうちだから成長もするし、新しく覚えなきゃいけないこと、いままで知らなかったことが毎月毎週教え込まれる。けど先生からしたら、毎年毎年同じ授業の繰り返しなはずだ。同じ週には、いろんなクラスで同じ授業をリピートしてる。そう考えるとなんだかつまらない。毎日動いて、寝て、食べて、出して、買って、捨てて、地道に代謝し続けて、体力的にそれができなくなるまで繰り返す。そういうもんなんだろうか。
 それと比べると、起承転結っていうのか、物語の世界は華があって、オチがあって、つまらない繰り返しっていう気はしないけど、実際てんちゃんは体力づくりから発声練習から、日々の積み重ねに取り組んでるし、先生にとっての授業みたいに、同じお芝居が何度も何度も上演されてきてる。矢島くんがいってたけど、漫画家の生活ってすごく地味だし、つらそうだ。毎週のしめきりのために閉じこもり続けて、仕事のほか出かけたり友達と会ったりもできない。矢島くんは韓国語のラジオまだ聞いてるんだろうか。言葉の勉強こそ、毎日こつこつ繰り返すっていうのの一番のものな気がする。
 繰り返すこと自体がいやだとか、やりたくないってわけじゃないんだけど、いつもならひっかからないようななんでもないことにも足踏みしちゃう。刺激が足りない。倦怠期、みたいなことなんだろうか。なにに対しての? 人生?
 いきものの世話だって、日常をキープさせるための繰り返しでしかない。きれい好きのツバサのために廊下じゅうの掃除までして、ようやく機嫌を直して体を軽くさせたツバサを抱いて運んでるとき、いきものはどういうことを楽しみに過ごしてるんだろう、いまの私みたいに、なんとなくふてくされちゃうような時期ってあるんだろうかと疑問に思った。松島さんと山崎さんさえその場にいなかったら、ツバサに直接問いつめたい気分だった。
 いきものたちは、まだ新入生たちに慣れない。だけどこっちの親しみは増してきてる。よそよそしさの理由が不機嫌じゃなくて人見知りで照れてるとか、警戒してるとか、そんなようなことがなんとなく察せられるようになってきた。まだまだなんとなくだけど、それでも徐々に、どんな様子でいるのかを嗅ぎとる注意力は身についてきてるみたいだった。
 ひと月に一度、猛禽類を食べる。ほかにいきものが好きなのはL字型に曲がった金属の棒で、これは一週間に一度。いつもは、人間でいうところのビタミンやミネラルのサプリメントみたいなペレットを食べる。あるとき松島さんが、タクヤの具合が悪くなっているのに気がついた。三応に連れ込んでみんなで調べたら、百円ショップで売ってるような、小さな、かんたんなL型レンチを誤って食べてしまったみたいだった。おそらく新入生の注意不足だろうということだった。レンチは小さかったので、ツバサには悪いけど勝手におさまるまで数日、体調不良を我慢してもらった。
 五月の二週、私ははじめて、猛禽を食べさせるのに立ち会った。業者から届いたモズとヨタカ、チョウゲンボウを湯せんで軽くふやかしてから、常温になるまで放置する。それを踊り場に持っていって一羽ずつ開封するとき、部員におさえられてるいきものたちは待ちきれなくって止まり木をばたばた揺らしてた。関係ないけど私のその日の靴は磨かれ直したばっかりで、やけにぴかぴかしてたから恥ずかしくて、朝からずっと気にしてたし案の定からかわれたりしたんだけど、鳥の血がかかってちょうどよくくすんだ感じになった。食事が終わったら、食べ残しを包むように敷いてある新聞紙ごとまとめてごみ袋にいれて踊り場を掃除して、換気のため、決して開かないことになってる屋上への扉が開けられる。部員たちは屋上に出て解放感を楽しむ。っていっても、誰にも見つかっちゃいけないし屋上は汚れてるから、走ったり跳ねたり、声をあげたり寝っ転がったりはできない。扉のそばにひっそり佇んで、こっそり静かに深呼吸するだけ。で、深呼吸しても、踊り場と鳥の血のにおいがするだけ。それでも結構楽しかった。実際のいきものを扱う試合は全国の本選だけだけど、でもやっぱり飼育委員会はいきものの面倒を見なきゃはじまらない。
 五月も後半になって、マサヒロとかなり仲良くなってきた。さわったときの押し返す力とかタイミングとか、言葉にするのは難しいけど、でもマサヒロの機嫌を読み取れてる自信はかなりある。日にあたってたいんだなとか、てのひらより撫で棒で撫でられたいんだなとか、単に寝起きで機嫌が悪いんだなとか、見当がつくと、どこをどうすれば体が軽くなるのかって調整も的確になってくる。山下さんもほめてくれた。ほかのみんなのことより、いまはマサヒロ専門でいたほうがいいよ。もっとマサヒロのことがわかるようになれば、ほかのみんなのことも、もっとくっきりみえてくるようになるよってアドバイスをくれた。

 新入生気分も抜けてきて、中間試験も終わったころになるとすっかり「高校生」って自覚もかたまっている。大会も近くなり、先輩たちの目つきは厳しい。西校はまだ全国にいったことはないけど県大会なら常連で、だから全国大会にいくことがみんなの目標だった。
 地区予選はペーパーテスト、これは問題数が多くて、ほとんど集中力の勝負。出題範囲はわかってるから、正答数の多さより、誤答の少なさが大切になる。学校ごとの正答率で順位が決まるから、事前に部内で予備テストをやって、全体の得点を下げそうな人は大会メンバーから外される。一年生にとっては特に、この部分がプレッシャーだ。
 それに通ると、すぐ次の週に地区大会の本戦がある。都道府県によってばらばらだけど、県大会は七月中、で月末には全国大会。めちゃくちゃなスケジュールだ。六月の最初の日曜に地区予選、翌週末には地区本選、その次の日曜には県の予選、その数日後には期末試験。
 四月の過去問特訓のおかげで、私の正答率は悪くとも八割を切らないくらいに安定してきた。まだまだ得点をあげていかなくちゃいけないけど、安定してることは自信になる。直接の試験対策じゃないけど、でも地区予選以降のことに役立つかもしれないし、いろんな知識がより定着するならっていうことで、生物分類技能検定という検定試験の二級の過去問集にも、私たちは取り組んでいた。春の七草の名前だとか、鮎や蝶の産卵や孵化の条件とかの暗記、シルエットだけで鳥の名前をあてる問題とか、身のまわりにいる生き物の生態についての知識をかためる。でも暗記してるだけだから、実際にいろんな生き物を観察してるわけじゃない。日頃相手をしてるのは校内の五体のいきものだけだ。
 同じ代は八人、まのちゃんと、まのちゃんの家に一緒にいったむっちーと博士のほか、てらばやしとななひらとゆじおとれいしがいる。私はまのちゃんとむっちーといることが多くて、てらばやしとななひらはいつも一緒にいる。ゆじおはゴールデンウィーク過ぎてから、急に出席率が低くなった。そろそろやめそうな気配すらあった。
 ある日の放課後、授業が伸びたせいで少しだけ遅刻して三応に駆け込んだら、同じ代のみんなが博士を取り囲んで盛り上がってた。博士もちょっとだけにやにやしてて、遅れて飛び込んだ私を見たてらばやしが真っ先に口を開く。「あら遅かったね。一大ニュースだよ」
「本人の口から言ってもらいましょう」むっちーがあおるが、博士はにやついたまま首を横に振る。「恋人がね、いるんだって」まのちゃんが教えてくれる。「えっ」思わず叫ぶと、博士が笑って、「そんな問い詰めるほどのことじゃないでしょ」とずれた眼鏡を直した。
「しかもなんと、そろそろ二年は経過する関係なんですってえ」てらばやしは腕を組んで、「やるじゃないあなた」って顔をしてる。「えっ」私はまた、ただ叫ぶ。
「いいじゃないですか別に」博士は鼻先を掻く。
「いや、いいよ、いいいい、全然いいんだけど、意外なんだよなあ」むっちーがうめく。「一番目立たないやつが実は犯人だった、みたいな」むっちーのたとえに数人が笑うが、まのちゃんがおっとりと「それは、意外っていうか、よくあるパターンだよね」と突っ込む。博士はしっかりしてる感じだし、きっと恋人ともいい関係なんだろう。中学のとき、同級生たちがほれたはれたしてんのは、ごっこ遊びっていうか、見栄の張りあいじゃないけど、仲間うちで競い合ってるだけみたいな感じもしたし、ザ・性欲って感じもあって、あんまりいいふうにはとらえてなかった。ただ、恋愛してますアピールをしてない人たちがしれっとそういう仲になってるのをあとから知らされるとどきっとした。当たり前のことではあるけど、知ってるはずの人に、まったく知らない面があるってことを思い知らされる。突きつけられる。
「受験のときとかどうしてたの?」私はようやく言葉を口にする。
「どうって、普通に勉強してたよ。やりとりの時間帯だけ決めて。別々にはなったけど、家は近いんで」
「オトナですねえ」ななひらがしみじみと頷くと、後ろで部長が「そろそろはじめよっか」と全体に声をかける。
 飼育委員会は「委員会」だけど部長は「部」長だ。入学したての一年生からしたら三年生はずいぶん大人な感じがするけれど、そういうのを差し引いても、部長の山下さんはちょっ近寄りがたいオーラを放っていた。美人だから緊張しちゃうのだ。すらっとしていて清潔感があって、怖い人ではないけど、厳しい雰囲気。ほかの先輩からは、昔はもっと明るかったって聞かされてる。最後の高校大会も控えてるし、受験勉強もあるしでたいへんらしい。
 中間試験以降の例会には時間制限がついて、ペアを替えて二セット行う。それが終わると、地区予選対策をする。いったん休憩してから解説と復習をやって、それからマサヒロたちの回収をして、終わるころにはもう暗くなってる。せっかく日が長くなってきてるらしいってのに、その実感はぜんぜんない。

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