見出し画像

ニートが幸福を得るには

【テーマ】


 このシリーズは非就労、無職、就労の意思がないニートの方がQOLを高める方法を広めたいという目的で連載しようと思います。就労をせずに幸福になる方法がメイン。「働かないくせに幸せなんて自己中心的だな」って叩きたい社会過剰適合者の方はお帰りください。

【ニートの自語り】(飛ばしてok)

 
 先ず自語りします、興味ない人は飛ばしてください。
 私も現在無職で一般的な就労の意思はありません。躁鬱、ADHDを抱えております。躁状態では極めて高いパフォーマンスを出します。受験なんかがそうでした、受験勉強は1日12時間以上を楽々とこなし大学は早稲田の政経自分で言うのもなんですが学歴としては超エリートです。(因みにこの記事が刺さりました。大学学部同じでADHDで就労に苦労してる話です)

https://toyokeizai.net/articles/-/370405


 しかし躁鬱の波が恐ろしい、割腹未遂を二度ほどしました。リスカじゃなくて切腹です。テンション爆上がりから一気に鬱になるわけでマジで気が狂う。そうした病状や経験からひもとくと就労したては躁で滅茶苦茶ハッスルし同僚、上司から評価されるでしょうがエネルギーが尽きると鬱になり他者承認は得られなくなり、自己承認もできずマイナスの連鎖が起きる蓋然性が非常に高い。
 私は鬱にだけはなりたくない、鬱は主観的には確実な不幸だからです。鬱のリスクを高める就労はしない、したくないのが今の私です。

 一方で現在私は刹那的ではありますが日々は充実して満足しています、そのノウハウを共有したい。ニートで不幸だと感じる方も多いでしょう。同志ニート諸兄が私の発想法で救われれば幸いです。
 私の理論は就労による幸福を目指すのでは無く無職でありながら幸福を追求するという筋です。


【社会不適合者とは】 


 ズバッと言いますと就労の意思が無い人も精神障害などで働けない人は「社会不適合者」です。一般的に成人すれば労働するという事が義務であり当然のことと自明のように語られます。そんな社会において労働を拒否するのは不適合と言うほかありません。しかし実際は社会構造が不適合者を生み出し、はじき出してるだけなのです。すこし過去の日本を振り返り現代の社会不適合者構造をひもときます。

 【過去からひもとく社会不適合者】

 例えばADHD。大人気映画の寅さんは生き生きとしてますよね、観たことの無い人でも「なんか自由を謳歌しているおっさんの面白い映画」程度には知識を持っているのでは無いでしょうか。
 しかし彼の行動は発達障害を臭わせます。無論娯楽映画だから現実とは違います。当時のADHDの方も相当辛かったでしょう。ですが寅さんのような生き方も「あり」とされていたのです。
 それにガンガン成長する経済をバックに単純労働でも充分な見返りがあった、昇級の望みがあった時代でもありました。今ではスラムの西成なんか社会成長を支えるため高い日当で労働者をガバガバ雇っていたのです。まぁ、そのあぶく銭を一日で使い果たすライフスタイルと経済成長の鈍化で貯蓄の無いホームレスを生み出すことになり現在があるのですが。

 
【現在の社会不適合とは】

 放浪者が文化で許容され労働の昇級が確実な時代。そんな時代ならちょっと今の時代よりも働いてみたいと思いませんか?しかし現代はお察しの通りです。
 社会不適業者というカテゴリは社会が生み出すものであるわけです、時代や経済状況によって大きく左右されます。ただえさえ現代の労働は将来の希望が無い上に職業能力が無ければ低給与で延々とこき使われる、この状況は労働意欲を削ぐ上に労働が義務的に扱われる風潮でダブルの重りで息苦しい社会といえます。

 纏めると社会不適合者は当事者が悪いのではなく社会構造が生み出すものです、現代社会は不適合者を生み出しやすい環境です。無職、ニートが生まれるのも仕方ありません。
 労働しなくとも生きていける環境なら無理に働きたくないというのは短期的な視点で見れば自然な判断です。
 無論長期的な生涯給与を鑑みると労働した方が金は稼げるのですが金だけで幸せになれる程人間のメンタルは単純ではありません。労働は様々なストレスを与え時間を奪います。

【無職=不幸という方程式の間違い】

 このような話を踏まえてみると無職というのは悪くない話です、しかし当事者達は不幸や不安を抱いてるかたが多いでしょう。私は実家がブルジョワで安定した経済状況ですが将来への不安はあります。どう考えても遺産と障害年金で暮らしを維持できない。
 しかし「社会不適合者だ、職につけない私は不幸だ」と考えるのは論理的ではありません。【社会不適合=不幸】が正しい方程式ではなく社会不適合が起因となり、個々の感性のフィルターを通過した結果として不幸と感じるのです。
 私はこのフィルターを取っ払うお手伝いをしたいと思っています。

【この記事の筋道】

 私が就労を目指した人生設計のお手伝いをしないのは社会不適合者が身体にむち打って労働しても貧困ビジネス、就労移行ビジネスに搾取されるに終わると考えているからです。
 高給な仕事ならいざ知らず低賃金となりますとかなりの時間を労働に割かなければならないでしょう。その時間を幸福を生み出す機会に出来れば社会不適合者でも独我論的ではありますが幸福になれます。
 一方就労しなくとも「他人からみて不幸か」、「他人と比べて私は不幸だ」、そして「できることは何も無い」という思考に陥るとニートの日々は不幸でやる気もおきず自堕落なものになります。あくまで自分が幸せ、そう感じられるのが一番大事です。

 
【ニートの持つ隠れ資産】

 シリーズ化する予定なのであと少し語って終わります。ここで切っても私の幸福論に実現性がありませんしね。
 先ず就労が必須、義務というフィルターを外しましょう。ニートは労働者と比べ遙かな自由裁量の時間が得られます。
 時短ブーム、これは労働者がなんとかして自分の時間を確保したいというニーズに支えられています。社会適合者が喉から手が出るほど欲している財産をニートは有しているのです。
 時は金なり、言い換えればニートは大富豪です。その時間をどう使うかでニートライフ、幸福感は決まります。これは投資に似ています。大金を株につぎ込んで大失敗するか大成功するか、同じ資本を持っていても使い方で結果は大きくことなります。

 次回からは私が不幸から脱却したいきさつと幸福のなり方について語っていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?