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ニートの私が充実した日々を手に入れるまで【前編】

【前回の振り返り】
 

 こんにちは。前回は社会不適合者とされるニートが実は社会によって生み出されることを指摘し、労働者にとっては貴重な時間という資産を持っているということを書きました。時間という資産をどのように活用するかでニートの幸福感は大きく変わります。


【私の履歴前編】

 今回は方法論を話す前に実体験をお話します。あくまで私個人の話ですので全ての方に当てはまる訳ではありません。ただ私がニートでありながら幸福感を得るにいたった経緯ですので参考になる方もいらっしゃるかもしれません。

【病理】

 私が日々に充実感を感じられるようになった経緯に関しては私の精神疾患である躁鬱とADHDについて振れないと語れないので少々お時間を頂きます。

 私は大学卒業後、就職先が見つからず無職になりました。同期が所謂上級国民と呼ばれる仕事に就いたこともコンプレックスとなり長く鬱状態に。元々単位が足りなかったので就活もろくに出来ず、なんとか講義に出てストレスが溜まり卒業するだけでエネルギーを使い果たし躁鬱の鬱になっちゃったんだと思います。

 4年ほど無気力な状態が続きました、まだ個人Vtuberが「市場」だと思われたころに参入しましたが動画作成の疲労感、胆振東部地震の対処を通じアドレナリンを過剰分泌して鬱のぶり返し、マネタイズが不可能という事実を認識し情熱が失せ事実上の引退になりました。そしてまた鬱が悪化します。
(正式な引退ではありません。同コンテンツ、設定を引き継ぎVRCを楽しんでいます)

【一つ目の転機:セカンドオピニオン】

 メンタル改善の転機は子供時代からADHDについてお世話になっていた精神科医によるセカンドオピニンでした。それまで飲んでいた薬ではなく別の薬、ラミクタールをお勧めされ試したところ効果覿面で鬱がかなり和らぎました。
 
 私はどちらかというと薬理療法主義者です、子供のころまだ処方可能だったリタリンで精神薬の効果を実感していたからです。薬が変わるだけで疾患は良くなる可能性があると思いますのでかかりつけの医者だけでなくセカンドオピニオンで別の処方薬などを聞いてみるのも良いかもしれません。

 こう言うとなんですが精神科医って医学部であまり頭がよろしくない人や自分が効果があると思い込んでいる薬だけを処方する傾向があるんだと思います。どんなに優しくても、親身になってくれる医師でもかかりつけだけでは治療が充分ではないかもしれません。薬が効かないからといって一生なおらないと思い込まず別の方法を模索する、その手段としてセカンドオピニオンを求めるのは治療のショートカットになりうると思います。

【メンタル改善したものの……】


 さてある程度元気になったものの長い鬱のせいで何をすればいいかわからない状況になりました。趣味としてプログラミングはどうかなと思って囓ったけど明らか向いていない、Vtuberを復帰しても労力の割に他人からの評価は低いのは自明(そもそも眼鏡っ娘好きを国是とする帝国の皇帝という設定が売れ筋からめっちゃ離れてる)。
 怠惰な日々が始まります。鬱では無いが幸福でも無い、やることもない。ただVtuberの切り抜きや水曜どうでしょうを眺めるだけの日々。鬱の時はなにも出来ない、これは仕方がありません病気なのですから。しかし動ける状況になったのにだらだら過ごすのは時間という資産の無駄遣いであり、幸福度も上がりません。むろん娯楽に触れるのは悪いことではありませんがそれだけでは良くないでしょう。この当たりは別の記事で触れます。

長くなるのでここで切ります。また来週記事を投稿します、是非ご覧ください。

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