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わたしの心を救った【死に関わるお仕事】の人たち

『血は水よりも濃い』。

成分的、科学的にはそうなのかもしれないがわたしにとってのこの言葉はことわざなんかではなく、事実を述べただけの言葉にすぎない。

身内の死という人生の一大事に立ち向かうさなか、コロナ禍で一人故郷に帰ったわたしの大変さに比較的寄り添ってくれたのは、母が遺した血縁である父でも弟でも血の繋がった親戚でもなく、血の繋がらない義理の叔母ただ一人だけだった。

「今回は大変だったね、何か手伝えることがあったら言ってね」

などという優しい言葉をかけてくれる人が『遠くの他人』しかいない状態だったばかりか、人としてどうなんだろうという言葉さえ発する血の繋がった人たちに囲まれたボロボロのわたしの心を救ったのは、血の繋がらない他人であり人の死にかかわるプロたちの真摯な姿だった。

彼らはその行動でわたしの心を癒し、ときには涙を誘った。

あの人たちに、行動で気持ちが伝わることを改めて学んだ。

今回はその方たちへの感謝の気持ちも込めて、記事を書きたいと思う。

医療従事者の方


今、最も大変で気も張られていることと思います。

日々のお仕事お疲れさまです。


母は倒れてから数日間意識不明のまま息を引き取った。

その間、医師をはじめ看護師さん、看護助手さんたちが懸命に母が楽に息を引き取れるように努力してくださった。

初手の段階では意識は回復するかもしれないような状態だったが、もともと体が弱かった母は数時間で容体が急変した。人体は健康な人が思っているほどには丈夫ではなく、脳と心臓がダメならほかのどの臓器が頑張っても生命を繋ぐことはできない。

わたしは、元々ヤングケアラーだったため子どものころから常に母の死はなんとなく頭の片隅にありつつ生きてきた。いろいろな体調の母を見てきたといってもいい。だから、母がたくさんの機器に繋がれていた状態の初見で死を覚悟した。

父と弟はなかなか覚悟をきめられなかった。

こんな状態では母が死ぬからといってただただボーッとしているわけにもいかず、次の一手を打つことに意識が向かざるを得なかった。

医療従事者の方たちの患者の身内への態度はつかず離れずで淡々としており、そんな大役を急に担ったわたしにはちょうどよかった。必要以上のことをしたり言ったりもなく非常に助かった。

田舎あるあるで何故か家族の中で女性が1人だったりすると向けられる呪いの言葉「娘さんがしっかりして家族を助けなきゃ」みたいな圧をかけてくる人がおらず非常にフラットだった。

これを言われていたらこの段階で心が折れていた。

自分も病気したり入院したりしたこともあるため、医療従事者の方たちには元々尊敬の念を抱いていたが、本当に感謝しかない。

看護助手の方が意識のない母の体を丁寧に拭きながら耳は聞こえているからと、一生懸命声をかけてくれていた。

看護士さんたちはコロナで面会も自由にできないなか、身内の気持ちをできるだけ考慮しようとしてくれて、息を引き取るときは見ず知らずの母のためにうっすら涙すら浮かべてくれていた。

医師の方は人と目を合わせて喋れないタイプの小声の人で、看護士さんたちは苦労してそうだったし叔母は不満をこぼしていたけど、わたしは嘘をつかないタイプの人に見えたので好感を持っていた。

母は元々からだが弱く父の甲斐性がなかったため無理がたたり、35年間闘病していたし、それ以前に弟を産む時に母子ともども死にかけていた。

母は医療の力とそれに携わる人たちとで生きられた人でした。

薬や医療機器を開発する人をはじめ、現場のドクターや看護士さん、看護助手さんたちには本当にお世話になったと思います。

日常的にいろいろな形の生と死を目の当たりにするお仕事は心を強く持たないとできないお仕事だと思う。

人は病気になると人間性が丸裸になる人も多い。

そういう人たちの対応もしながら、わたしですら諦めていた母の命を粗末にしない姿は、それこそ本当に勇気と感動を与えてもらった。

苦悶の表情をしていた母が穏やかな顔で最後逝けたのも彼ら、彼女たちのおかげだと本当に思っています。

ありがとうございます。

もし、これを読んでいる医療従事者の方がいらっしゃったら、普段直接感謝の言葉を伝えられることは少ないかもしれないけれど、患者さん本人、そしてご家族の方がものすごく感謝しています。

納棺師さん

映画『おくりびと』でその存在が有名になった納棺師という職業。

特に資格などは必要なく、現場研修(?)などでその技術を学ぶそう。

家族葬専門の葬儀屋さんで直葬という形だったためか、小さな葬儀屋さんだったからなのか、全体の流れの説明や相談などを担当してくれた方が母の納棺もしてくださった。

とても若くて可愛らしい小柄な女性の納棺師さん。

ちょっと抜けているところもあり、叔母に厳しくされていたりしたがわたしはものすごく好感を持っていた。

とにかく一生懸命で、できるだけ身内の希望を聞こうという姿勢で、こちらが望む以上に費用を抑えようと頑張っていた。その嘘のない瞳がまぶしく葬儀屋さんで会っているのに彼女はキラキラしていた。

母が安置されている部屋でこれからの段取りなどの説明を聞いているときに彼女が母の横で待機している時間があった。

そのときに彼女が、母の顔をマジマジと見ていて、わたしもそちらに視線が向いた。彼女はわたしの視線に気づきもせず、母の顔についたまつげかなにかのごみを指で丁寧に取り、その指の裏側で髪の毛を優しく撫でた。

これからの納棺で行うメイクや髪の毛の状態でできることできないことがあり、それを確認していただけかもしれない。

だけど、その優しさ溢れる所作と真剣な瞳はわたしを驚かせるには充分だった。

わたしも女だからわかる。

若い女性の納棺師さんは確実に苦労している。

少し想像してみたが例えば夫婦の夫が亡くなったとき。

若い女性に夫の最後の体を触られるのを嫌がる妻がいる。

逆に妻の納棺を若い小娘にさせるなんてとキレる夫が確実にいる。

その結果、ほかの人たちが嫌がる故人の納棺が回ってきたり、心無い言葉に傷ついたりしているだろう。

うちの父は人としてかなりダメなほうだが、そういう差別には無頓着なタイプなのでそこで不満を言わなかったのが幸いした。

わたしは彼女で大正解だったと思っていたからだ。

彼女は、葬儀の手配などや見積もり作成に対しては些少抜けているところもあったが、納棺は完璧だった。

若い女性なだけあって、母が生前自分でしていたどのメイクよりも綺麗なメイクの状態だった。

わたしは彼女が選んだ口紅でよかったと思ったが叔母がもっと濃い色のものにするようにといったのだけが不満だったが、とにかくものすごくきれいに棺に収まった。

母が生前参加する予定だった、コロナで流れた結婚式で着る予定だった晴れ着も着せてもらえた。

途中、あまりに納棺の様子が丁寧だったため、わたしにとっては恨み事もたくさんある母だったが、人生の最期にこんな若くて可愛い子にこんなに親切にしてもらって本当にありがたいと思った。

そう思ってしまったら、涙が止まらなくなり嗚咽してしまった。

それまでの何日間かの疲れと、ここまで来た安心感と、目の前で母が丁寧に扱われている様子と相まってダメだった。

彼女に納棺をしてもらえたおかげで、綺麗に送れたという自信が持てたことはわたしの救いだ。

彼女の人の最期に携わるという仕事に対する誇りも感じて、年甲斐もなく葬儀の仕事に興味をもってしまったほどだった。

綺麗な仕事ばかりじゃなく、辛いことも絶対にたくさんある。

心ない差別に遭うかもしれない。

集まる親族はあれこれいうし、遺族は頼りない。

人の弱いところや、嫌なところをたくさん見る。

ただ、死者を弔う気持ちが確実に遺された人を救えるお仕事だと思う。

わたしはものすごく救われました。

何も恩返しできないけど、この御恩は一生忘れません。

ありがとうございました。

お坊さん


我が家は、檀家などになっておらず付き合いのあるお坊さんはいませんでした。

今回母の担当になってくれたお坊さんは、親族の友人です。

小さなお寺で一人でいろいろ回っているため葬儀屋さんのスケジュールにお坊さんのスケジュールが合わなければ、葬儀屋を通しどなたかを派遣してもらう予定でした。

特にお布施が安いと言われている宗派の住職。

それでもは安くはないけれど、全体的なお布施も相場よりだいぶ安かった。

豪華な袈裟ではなく、お坊さんらしいといえばお坊さんらしい質素な袈裟姿で斎場でもない葬儀屋さんの一部屋に腰を低くされて登場。

思っていたより若い、わたしと同世代かちょっと上ぐらい。

わたしが何十年ぶりかの親戚に囲まれて心細くなっていたことを差し引いたとしても「こんなにいいひとオーラを纏っている人は見たことがない」という人。顔も別にいわゆるいい人顔というわけではないのに、この人に会った人は全員いい人だと思うだろうなと思うような不思議な空気感を持っている。

特にキャラクターを作っている風でもない。

特に何か特別なことを話したというわけではなく、ものすごく事務的なやり取りをかわし、説法などもあったわけではないのに、その人が居た間だけ心が一瞬穏やかになるという初めて出会うタイプの人だった。

棺に入っている母に手を合わせて挨拶するさまを見て泣きそうになる。

49日までの間も少ないお布施で毎週お経を読んでくれたそう。

納骨もそのお坊さんのお寺にお願いしました。

安心感すごい。

ちゃんと仏教って人を救ったり弔う宗教なんだと初めて思った。

宗教の本来の姿をみました。

ありがとうございました。

火葬場の職員さん


本来であれば、涼しい地域なのに滞在中毎日ものすごい暑さ。

火葬の日も、びっくりするぐらい晴れて気温もぐんぐん上がったお昼過ぎに火葬が行われた。

火葬場は、近隣住民の反対が出るので住宅街には作ることはできない。

山の中腹に市の火葬場の割にかなり簡素な施設があって空調もなかった。

高い気温と湿度、そして火葬場の熱気でものすごい暑さだった。

そこで機械を操作していた職員さんがまたすごくいい方でした。

ものすごい汗で、それでも笑顔を絶やさなかった。

熱々のお骨を暑い中拾うのを親戚たちも嫌がる中、自分はお仕事とはいえそこを離れず骨壺にもれなくお骨が入るまで見守ってくださった。

わたしは職員さんに悪くて無心でお骨を箸で拾った。

山の上の職場に通い、重いストレッチャーを動かして、生活に必ず必要なお仕事でありながら日の目をみることはなく、今まで一体、何人の人たちをこうして見送ってきたのだろうと思う。

彼もこの世で母の最後の顔を見たひとりだ。

感謝しかない。

ありがとうございました。

まとめ


今回、とても印象的だった四名の方をご紹介しましたが、こちらが恐縮するほどみなさん本当に真摯にお仕事をされていらっしゃる方ばかりでした。

彼らのおかげで家族や親せきとの密接な交流で疲弊した心が本当に救われたし、ここまでしてもらえば十分だと思えて最期から火葬までの一通りの流れは本当に後悔なく終えられることができました。

わたしの心が普段より弱っていたということもあるかもしれませんが、お金を出せばいい人に出会えるという問題でもなくこればっかりは本当に縁だと思いますが、今回は縁にめぐまれてよかったです。

みなさん、いろいろ心無い言葉を浴びせられることもある職業だと思いますが誰かがやらなければいけないお仕事ですし、わたしは心から尊敬します。

最後になりますが、重ね重ねみなさんありがとうございました。

お体に気を付けてお仕事頑張ってください。


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