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読書感想文 | 重松清『エイジ』

かつて「中学生日記」というドラマが流行っていた。ちょうどその頃の中学生を切り取ったような物語。

この物語を読んでいて、自分の中学生の日々が如実によみがえってきた。

バスケ流行ってたなー。ブルズもだけど、やっぱスラムダンクの影響大だったよなー。バッシュとかもやけにこだわったりして。

そうそう私はセガサターン派。でも後々プレステが欲しくなって後悔した。

なぜかナイフに憧れる世代。キムタクのドラマの最終回でバタフライナイフのシーンが問題になったような…。我々は釣りに便利な万能ナイフが流行ったな。

シカト…そうそうこのシカトがめちゃくちゃ嫌いだった。あの時、なぜかシカトがとてつもなく辛かったなぁ。今思えばどうってことないのに。話したくないなら話さなければいい。

ウチの中学校も荒れていたなー。窓ガラスが割られること、校舎の周辺をヤンキーがバイクでブンブンいわせながら走り回ったり、先生とヤンキーのケンカ…などなど。

と私の中学生日記をツラツラとあげてみた。そう、この物語は時代が20世紀から21世紀に変わる頃に思春期を迎えた、中学生のある物語。

世代はまさにドンピシャ。だからめちゃくちゃ、「エイジ」に共感した私。

1983年生まれは、当時「魔の1983年生まれ」とか呼ばれていたような。

子どもから大人になる思春期に世の中では大きな変化があったし、大きな事件を起こした「同い年」もいた。だからそんな風に言われていた。

でも、私は世間で何と言われようが、ただの中学生を過ごしていたように覚えている。

ほんとのところ、中学時代のことは、あまり思い出したくない。

いい思い出だってたくさんあるのに、辛くて複雑な思いも多かった。

中学時代は何だかみっともない自分に目を向けなくちゃいけないようで、この時期の思い出に蓋をしたくなる気持ちがどうしてもある。

だから、今回この物語を読んでいた自分の心持ちはとっても複雑だった。目を向けたくない、触れたくない思い出がどんどんよみがえってきた。

でも、忘れていたいやーな思い出に改めて触れられるのも本のすごいところだなぁ、とやっぱり思うけど。

でも今回、この物語を読んで、私のように自分を隠しながら目立たないように振る舞っていたのは私だけではなく、結構一般的だったんだ。

私もこの物語の登場人物の1人のようなものだったのか、と俯瞰的に自分の当時の状況を見つめ直すことができたのは良かったかな、と思う。

「通り魔」がニュースの中の出来事ではなくて、自分の住んでいる町の出来事だったら、犯人が同じクラスの同級生だったら、自分はどのように振る舞っていたのだろうか…。

エイジやツカっちゃんのように、その人のことまで考えてあげられる想像力はないんじゃないかな、と思う。

ただどう接していいか分からずに、平常を装う、無難なヤツになってしまうのではないか。

うーん、なかなか難しい問題だな、と思う。ここで大事なのは、もしかしたらその「通り魔」に自分もなっていたかもしれない、とエイジのように想像できるかどうか、がブレイクスルーのポイントかなと感じる。

ここに考えが及ばないと、相手の気持ちがわからないまま、ただ、

「あーなんて酷いことをする人間なんだろう。考えられない」

という一方的な捉え方しか出来ないことに陥るのだろう。

子どもから大人に成長する思春期というのは、とっても複雑だけど振り返って見れば、この時期の葛藤だったり失敗だったりも含めた経験がどうしても必要なのかな、とそんな気持ちを思い出させてくれる物語だ、私にとっては。

重松さんの物語は時として人の心の中の蓋をこじ開けるインパクトのある描写がある。だから苦手という人もいるかもしれない。私は何だか、そのこじ開けられる感覚が楽しいというか、自分がこういうところにフタをしているんだな、ということを気づかせてくれるような気がする。だから最近ハマってしまっている。

これからも重松ワールドで自分の中でフタをしてしまっている部分を刺激されたい自分でした。

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