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片目弱視の心あたりは?  4.二歳の頃

こんにちは。近藤ろいです。
間が空いてしまってすみません。
絵本を購入してくださる方が少しずつ増えていて恐縮ながらも嬉しいです。

上の娘・5歳。弱視治療をしています。「遠視性不同視弱視」といいます。
左目が強い遠視であまり見えておらず、治療をしなければ将来眼鏡をかけても視力が出ないかもしれない状態です。

普通の3歳児健診でいきなり発見されました。
このシリーズでは、「片目弱視の兆候はなかったのか?」、つまりもっと早く気づけるきっかけはなかったのか?を振り返ります。
(書きながら思ったのですが、視力とは関係のない娘自身の性格特性にも触れています)


皆様からのエピソードもコメント欄で募集しています。

今回は2歳代です。

どんな子だった?

2歳台はイヤイヤ期がきつすぎて育児辛すぎ、仕事との両立辛すぎ。
本当にあまり記憶がないです(白目)。

イヤイヤ期って「イヤッ 靴は右から履くの!」みたいなイメージでしたが、甘い甘い。

手に持っているチーズが折れたと言って1時間泣き(泣きじゃくっているうちにさらに折れる)、
「どうしても寝ころんだままコップに牛乳を入れて飲みたい」と言って1時間泣き、
言っていることが聞き取ってもらえないと言って泣き…みたいな際限のない地雷に爆破されつづける毎日でした。

私、傾聴と共感を叩きこまれた専門職なんですが、
娘「おさるのたいこが前だったの!」
私「(???)おさるのたいこが前だったのねえ」
娘「チガウ! そんなこと言ってない!!」
…!?

子どもは誰でも理不尽バットを持って親に振り回してくる生き物ですが、わが子のバットは釘バットでした。

いくらでも苦労話は続けられますが視力の話です。

不同視弱視の兆候

癇癪とこだわりが強い

そんな訳で癇癪もきつくこだわりもきつかったです。
保育園の往復は基本、ベビーカーなのですか、娘氏の気分により「抱っこ」と言うて効かないので、ベビーカーも抱っこ紐も持って登園、出勤していた時期があります。
逆に土砂降りの雨でもベビーカーに乗りたがるとか。
突然の雨なので、軒下をくぐって家に帰りたいのに「いつもと同じルートで帰る。戻れ」と泣き叫ぶとか。


発達障害じゃないかしらと思いましたが、何と保育園では何のこだわりも発揮せず。
家、それも母親を中心とした家族限定のこだわりの強さでした。

2歳3ヶ月で七五三参りをしたのですが、その時も絵と写真で見通しをつけておけば、ものすごい協力的。
祖父母がいるが故の突発的な変更もOKOK!
映画ジャイアン並みの適応力でした。

考察すれば、自閉スペクトラム症の方々のこだわりも、不安の回避から来ている事があります。

わが娘も、不同視弱視があり、自分も周りも予想しないところで不便さに突き刺される体験をしていて、不安が高まり、性格的な要素に加える形でこだわりが強まったのかな?と推察されるかなと思います。


ついでに 失敗体験からの学習が早い早い

視力から少し脱線しますが。
こだわりが強いが故の利点について。

こだわりが強いので、一度学習した事がバチーンと身に付きます。
「白線から出てふざけて歩いていたところ、車がそばを通り過ぎて怖かった」を一度体験すると、次からは二度と白線を出ようとしない、それを自分でも言語化するなど。

なので、何か新しいことを体験させるときは、誤学習にならないように最新の注意を払った環境設定や予告をしていました。
逆に、一度適切な行動を学習すると、そこからぶれる事がなかったのでありがたくもありました。
次でもう少し語りますが、これも見えが不安だからの裏返しだったのかなあ。

怖がり! 慎重!! 階段を1人で降りようとしない!

上記のように、第一子であること、母親(私)の不安が高いことを差し引いても、内弁慶で、怖がりだなあと思うことは多々ありました。
階段を一人で降りる身体能力はあるはずなのに、3歳を過ぎても母親の手を持って一段ずつ降りていました。

小さな怪我も致命傷のようにふるまうので、注意引き行動が強いのか、感覚過敏気味なのかどちらなのかなーと思っていました。

「よく見えていない」「自分と外界との境界が曖昧」ということから、小さな傷でも大きくとらえていたのかもしれません。

遠くから近づいてくる車への警戒心が強い

2歳半の頃です。娘と手をつないで外を歩いていたら、「お母さん危ないよ」と言いました。「車が来るから! 端に避けて!!」。
見たら、2ブロック先(40m)のヘッドライトを見てそう言うのです。

単に、「この子は仕切れるようになって、親と対等にやりたい年齢なのかなあ」と感じていましたが、これも遠近感に乏しいために、過大に怖がって評価していたのかもしれません。


不機嫌な時にまぶしがる

やっと出た! 教科書的な兆候!!

といっても、「ワァアー、まだ公園であそぶぅ! ベビーカー乗らない!! まぶしいからイヤァアア!!」みたいな、不機嫌な時限定のまぶしがり方です。

こんなんで「ハッ…この子弱視なのかもしれない」って思える親はいませんて。

よく転ぶ、何もないところでつまずく


もう一つ出た! 教科書的な兆候!!

でもねー親の立場から言わせてもらえれば、これで気づけと言われるのは酷やなーと思います。

だって子どもって誰でも普通につまずくじゃないですか。
特に初めての子なら「こんなものかな」で終わっちゃう。
"2歳代のお子さんは平均1時間に1回程度つまずくらしいけど、あれっ? うちの子3回も…!?"みたいな指標があるならまだしも。

うちも思い返せばつまずのは多かったですけど「安物の靴を履かせているからかなあ、ごめん」の方に捉えていました。
実際、裸足や靴下だと転ぶ回数は、視力に関係なくグリップ力が上がるので、減りましたし。


眼鏡を掛け始めて初めて、(あれっ、そういえば最近うちの子つまずかなくなったなあ)と驚いたくらいです。
それも4歳という飛躍的に身体能力が伸びる時期のためなのか、眼鏡のおかげなのかはわかりません。

ただ、ちょっと不思議だなと思ったのは、それなりに身体能力が高まってきた4歳近くでも時々つまずいていた事です。5歳になったらつまずかなくなりました。

なお2歳の下の子はつまづきません…気が付いたらこけてます。1人で歩きたがるのよねえ。


ということで、次の3歳代でも再掲しますが、「よくつまずく」をキーワードにされるなら、
「よくつまずくし、年齢が上がってもつまずき続けている」の方が実感に近いです。

 

万華鏡にウケない

何でも強い興味をもって、最後まで探求しつくさないと次にいけないちょっとこだわり気質の娘。

親も子どもの無限の可能性に酔いしれていろいろおもちゃは与えますが、そういえば万華鏡は見せてもそんなに喜びませんでした。
(好きそうなのに、変なの)と思いましたが、単眼視と両目での変わるから? 左目は見えないから?

これが唯一の、片目を使うから嫌がりそうで気づくポイントですが、難しすぎます。


こんなことができていた(けど、実は片目弱視だった)

テレビを離れて見る

子どもなんでどうしてもテレビに寄ってベタベタ触りながら見るんですが、「この敷物の上で見てね」とか「このテーブルからこっちで見てね」というと素直に応じていました。

お菓子の袋を自分のはさみで切って開ける

どうしてもやる!と言うので、1歳11ヶ月からハサミを持たせていました。
始めは粘土用のほとんど切れないやつで(ある条件下の紙ならやっとこ切れる)、1回切りが安定したら子ども用ハサミを持たせました。
自然と習得していき、2歳半の頃にはお菓子の袋を自分で切って開けて食べていました。

4cm四方の千代紙を左手の指先で持って、すごい速さで「シャキシャキシャキ…!」と切り刻んでゆくシザーハンズ遊びもよくやっていました。
指先5mmくらいのところまで笑いながらチョキンとやるので親は気が気ではないのですが、本人は安定したものです。

これで片目があまり見えていなかったって言うんだぜ。

文字のようなものを罫線に沿って書きつける

2歳代から書き文字へのあこがれも普通に出てきていて、1cm幅の罫線のお手紙に色々文字まがいを書いていました。
罫線からはみ出ることもなく、上手でした。
そういえば今でもですが、迷路はよくはみ出ていました。

保育園の発表会でダンスが完璧

年齢的に舞台に上がるだけで泣いてしまったりぽつねんと座ったままの園児さんが多い中で、本人は緊張しながらも教えられたとおりにこなしていました。
掌の向きや足の踏み鳴らし方なども先生のお手本と合っていて、普段からよく見ているなあと驚いたのを覚えています。

その後、2歳児クラス、年少と、何度か発表を見る機会がありましたが、細かいところまでお手本通りなのは変わらず。「これで片目が見えてないってか」状態でした。 


激しいイヤイヤ期が落ち着き始めたのは、2歳半を過ぎたあたりでした。
結局、一次元可逆操作期に入って二次元形成期を一段昇るまで、ずっとイヤイヤしていたことになります。





最後に…以下宣伝です

3歳児健診で見つかり、治療を受けることになった経過を描いた絵本を作ってみたり(有料販売しています)、


簡単にできる布アイパッチの型紙を提案したり、


習慣化アプリ 「みんチャレ」で励ましあうチームを作ったりしています。


てはまた〜!

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