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教育とは過去と未来を繋ぐ贈り物



 教育を考える際に大切な視点として「時間」というものがあると思っています。学習は「いま、ここ」での視点を大事にしています。目の前で困っている子を救いたいと思う教師の「惻隠の情」こそが学習活動を支えるエネルギーなのでしょう。それは何も悪いことではありませんし、むしろ教師としては自然な感情でさえあります。僕だって、目の前の子どもたちを救いたい。

 一方、教育には「いま、ここ」では語りきれない視点があります。それが、「過去と未来を繋ぐ」という視点です。

 ここで僕は一人の偉大な教育実践家の話をしたいと思います。彼女の名前は「大村はま」です。昭和を代表する教育実践家ですね。戦後間もない青空教室で、子どもたち一人一人に合ったオリジナル教材で授業をしたなどのエピソードで有名です。

大村が子どもを救う

 そんな大村はまが63歳のときの話です。彼女の学校に一人の転校生が来ます。彼女の名前は前田夏子、後に教育社会学者である苅谷剛彦の妻となるその人です。転校したての夏子は、授業開始で大村から宿題の提出を求められて驚きます。夏子は宿題のことなど知りませんでした。大村も宿題が出せない生徒に対して叱ることはせずに、「おしゃべりをせずに、宿題を出せなかった理由を紙に書きなさい」と言うのみ。夏子は仕方なく、「転校してきたばかりなので、何も提出できません」とだけ書き、名前を添えて、みんなに交じって紙を出しました。その日はそのまま大村による「ヨーロッパ旅行」の話で授業は終わったそうです。

 次の日、クラスメイトの一人が夏子にこう言いました。

「はま先生がね、転入生の前田さんは、宿題出せないっていう紙を、黙ってちゃんと書いて出した。大したものだ。なかなか力のある人だってほめていたよ。」

 この大村の言葉に夏子は驚きました。

「迷ったり考えたりした末のあの行動を、そんなふうに評価してもらえたことが、うれしかった。ああいう判断を「力」のうちと考える先生なのか」

 当時、夏子は国語の授業に対して「不機嫌」でした。答えの根拠が不明確な教材読解に不信感を抱いていたのです。しかし、夏子はこの大村の言葉を聞いて、「素直な気持ちになっ」たと述懐し、「私は大村国語教室の一員となった」と書き添えているのです。
(大村はま/苅谷剛彦・夏子著『教えることの復権』ちくま新書 2003年)

 大村という教師は、その授業ではなく、授業前の宿題提出という一場面とその後の言葉で、一人の生徒の心を掴み、彼女の国語に対しての「不機嫌」を払拭してみせました。
 これだけでも大村の教育力の高さは実感できるのだが、実はこのエピソードにはプレヒストリー(前史)が存在しているのです。

大村もまた救われていた

 大村が5年生の秋の出来事です。大村は子どもの頃は不器用であり、他の教科では「甲」がそろっていても、図画だけは「乙」だったそうです。そんなときに図画の宿題が出されました。植物を描くという課題でしたが、何度やっても絵の具がきれいに乗らず涙がこぼれてしまったそうです。
 その泣き声を聞きつけたのが、大村の姉です。姉は当時、肋膜炎で絶対安静でしたが、大村に「持っておいで」と声をかけてくれました。水さえ吸い飲みでちびちび飲むような状態の姉が「ちょっちょっと手を入れてくれ」ただけで、絵がいきいきとしたそうです。翌日、その絵を大村は先生に提出したそうです。
 さらに翌日、上手に描かれた作品が掲示板に貼り出されていたのですが、なんとその中に大村の絵も入っていたそうです。同級生からも「はまちゃんの絵、上手!」と言われ、大村は「不思議な幸せを感じてい」たそうです。

 この出来事を大村は、自身が教師になってから改めて考えたときに、そこに教師の「思いやり」があったことを感じたのです。以下はそのことを述べた大村の文章です。

長じて先生になってから、このことを思い出しました。ベテランの先生は、一目で、それが私一人の力で描いたものではないことを見抜かれたと思います。正しくないことですから、そこで、私がしかられてもしかたのないことです。しかしそれによって、私は大変悪いことをした子どもとして、消しがたい傷を負うことになったでしょう。
そのとき、私の心の中では、悪いことをしよう、だまそうなどという気持ちはまったくありませんでした。先生も、今までこんなことをしたことはない子だし、今後同じことをする子どもでもない、そして誰にも迷惑がかからないことだと判断されたのでしょう。だから、黙って受け取り、貼りだして、よい評価までくださった。私の小さな一度の幸せを守ってくださったのだと思います。

大村はま著『灯し続けることば』小学館 2004

 姉に書かせた絵を自身が描いた絵として提出をするのは「良くない」ことでしょう。夏休みの絵画の宿題を回収していると、普段のその子の絵とは「全然違う絵」が提出されるということは稀にあります。そんなときにはこのエピソードを思い出しながら、笑顔で受け取ることにしています。もしかしたら、絵の苦手なその子は、夏休みのある日に、親御さんと一緒にがんばって描き上げたのかもしれません。その時に、ちょっと親御さんが「手伝い過ぎた」のかもしれません。でも、それでも、出来上がった作品は「その子の作品」なのです。そして、それはいつもの自分の「不恰好な絵」とは違って、その子にとっては「誇らしい作品」なのかもしれない。そこまで考えれば、「これは本当にあなたの描いた作品ですか?」という質問は不躾なものでしょう。

 大村もこの出来事を以下の言葉で総括しています

私はこのときの先生の心の深さ、子どもへの愛情の深さに、あらためて頭が下がる思いがします。

同書

 さて、もう僕が言いたいことは大体伝わっているとは思いますが、「教育」という営みには「いま、ここ」という時制だけでは語れない部分があるのです。それは「過去からもらった贈り物」を「未来へ届ける」という広大な時制が存在しているのです。
 大村は、自身が子どもの時に受け取った「愛情の深さ」を、次は教師として子どもたちへ送っている。そして、大村から受け取った「愛情の深さ」を、苅谷夏子は述懐して本に記している。それを受け取った僕は、「教師の愛情の深さ」について考え、実践に活かし、こうやって文章にしている。

 これは人類がずっと未来へ未来へと送り続けてきた贈り物なのでしょう。そういう「いま、ここ」から抜け出す壮大なストーリーを、僕は「教育」という言葉から引き出したいと思うのです。

 教師であるみなさんも、夏休み明けの教室で「不自然な」絵画の宿題を見つけても、追及したりせずに笑顔で受け取ってあげてくださいね。