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日本の教育史〜自由と平等〜

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教育史を概観してみることで、私たちの「当たり前」の形成過程も見えてくるのではないかと期待します。
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#学校

どうして卒業式はあんなに厳粛なのか

学校行事は様々あります。運動会や作品展から始まり、健康診断だって行事に数えられています。…

めがね旦那
7か月前
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教育勅語の現代語訳(小野雅章氏による)

敎育史研究で有名な小野雅章氏による教育勅語の現代語訳です。 小野氏の近著『教育勅語と御真…

めがね旦那
7か月前
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国家統合の象徴としての明治天皇

江戸時代が終わり、明治時代になった新政府には「徳川将軍」に代わる「象徴」が必要でした。共…

めがね旦那
7か月前
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「戦前」と「戦後」は断絶しているのか

まずは以下の文章を読んでください。 これを読むと「戦前」と「戦後」の教育史に明確な断絶を…

めがね旦那
7か月前
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義務教育の年限延長(4年から6年へ)

1880年年代には低迷していた就学率も、1890年代に入ると順調に拡大してきます。以下に就学率の…

めがね旦那
7か月前
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教育勅語の成立の背景

教育勅語は何かと話題に上がることが多いですが、その内容を知っている人は少ないのでは無いで…

めがね旦那
7か月前
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教育勅語(1890年)

1889年(明治22年)2月11日の大日本帝国憲法発布によって日本の国策の基本ができ、翌年の1890年(明治23年)10月30日に、教育の基本方針を示す明治天皇の勅語である「教育ニ関スル勅語(以下、教育勅語)」が発布されました。 教育勅語発布の背景としては、当時、国民道徳の方針が明確ではなく、徳育の混乱が起きていたことを憂いた天皇から「徳育の方向性をまとめるように」という命を受けて、首相の山縣有朋(やまがた ありとも)は文部大臣 芳川顕正(よしかわ あきまさ)に指示しました

初代文部大臣 森有礼

1885年(明治18年)、旧来の太政官制(宮廷政治体制、天皇による政治)に変わって内閣制度に移…

めがね旦那
7か月前
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教学聖旨(1879)

1870年代末期になると、教育をめぐるイデオロギー(理念や思想)にも変化が現れ始めます。明治…

めがね旦那
7か月前
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教育令の公布(1879)と改正(1880)

1872年(明治5年)に公布された学制は、大いに野心的で壮大な計画でした。それは全国を大学を…

めがね旦那
7か月前
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寺子屋と学校の比較

1872年(明治5年)に公布された「学制」をもって始まった日本の近代学校教育ですが、それまで…

めがね旦那
7か月前
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明治初期の学校破壊事件

1872年(明治5年)の学制をもって始まった日本の近代学校教育制度ですが、その初期は就学率も…

めがね旦那
7か月前
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学制の公布(1872年 明治5年)

今回は日本の公教育制度のはじまりである「学制」について考えてみます。 学制は1872年(明治…

めがね旦那
7か月前
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