逆境で手に入れたもの、の話

皆さん、自分がなりたいものになれているでしょうか。

いろんな生き方、考え方があると思います。
若かりし頃の私は、自分が将来何をすべきかが見えず、才能にかまけてそれを考えるのを放棄していた部分もあり、「なるようになるさ」という、根拠なき楽観をしておりました。
いわゆる「器用貧乏」で何でも卒なくこなせるし、そこそこの学力もありました。絵を描くのが得意でもあったので、将来は絵で食って行ければ良いなぁぐらいの夢を漠然と思っていましたので、とりあえず漫画家を目指すための学校へ行くことにしたのでした。

しかし将来に対する目標や情熱がないというのは、行動や努力のクオリティがワンランク下がってしまうということに繋がります。
それだと、せっかく学校へ行ってもスキルの上達もなく、ただ課題消化をするためだけの時間を過ごしているようなものにしかなりませんでした。

本気で夢に向かって取り組む人々の中にあっては、私のような半端者は淘汰される存在となりますし、仲間との温度差に悩むことにもなりました。

本気で夢に向かう人たちにとって、「なんとなく」で同じ土俵に上がってくる人間はムカつくというか、対等な存在として扱ってもらえるものではなかったのです。

歳を重ねた今となっては、それは当然のように理解できます。しかし若い頃の私はそんなのを知らないので仲間内からの疎外感を感じていました。
いまいち夢に対して本気になれない自分を嘆きつつ、「自分が成すべきことは何なんだろう、ここは自分の居場所じゃないんだろうか」などと、人生についての悩みを深めるばかりでした。

その本質は、「夢中になれるものに出会いたいけど、まだ出会えていない」という言葉に集約されると思います。

それはまるで、白馬の王子様がいつか迎えに来てくれる、と信じる乙女のようです。(私は男です)


王子様はやって来ました。

しかし白馬ではなく、血に染まった馬に乗って。

それは、夢に対する迷いの二十代を過ぎ、妥協の三十代も間もなく終わろうとしていた頃のこと。

ちょっとした油断と焦りで、私は右手の母指に重傷を負ってしまいました。
骨も筋も神経もやられて、右手はその後三年間は使い物にならなくなってしまったのです。

それ以来、私は「仕事ができない・社会の役に立たない」という存在になってしまったことへの絶望感を味わう事になりました。

同じような境遇で、漫画家の水木しげる先生がいます。
水木しげるさんは戦争で片腕を失くしながらも、残った腕で日本最高峰の漫画を描きました。

それに倣って私も使える左手で絵を描く練習をしてもみましたが、右手の傷の痛みが酷く、すぐに中断してしまうのでした。

そう、私の右手は、怪我の後遺症により長らく強い痛みが残るようになっていたのです。

不思議なのは、痛むのは怪我をした母指だけでなく、二の腕や肩にかけて、右腕全体が焼けるように痛む、というものだったのです。

下図参照


これは外科手術の後に起きやすいと言われる「局所疼痛症候群」という症状で、原因や治療方法がまだはっきりとしていないものでした。

(ブロック注射で痛みを和らげ、あとは自然に治癒するのを待つという療法しかない、というのが一般的なようです。)

怪我をした箇所ではない場所が特に痛み、その痛みの種類も日によって様々です。

時には灼けるような痛みであり、時には骨の芯から冷え込むような痛み、腕をもぎ取って無くしてしまいたくなる程の苦しみに悶え苦しむ事もありました。

右手が不自由だから何もできないし、何もしなくても痛みにのたうち回らされるという、どこにも救いのない状況に追い込まれていたのです。

こうなっては、自分が輝けるものを見つけるだとか、幸せを引き寄せるだとか、そんな甘っちょろい妄言をいっている余裕などありません。
とにかく毎日が痛みとの対峙でした。痛みが穏やかな時は、社会に対する肩身の狭さや不安に押し潰されそうになりました。

そんな状況下で出会ったのが、何をどうアレしたのか全く理解できないのですが、「チェコのフス戦争の研究」なのです。

いえ、何をどうアレしたのか一応説明はできます。

ややこしくなりますので、時系列順に箇条書きにしますね。

①痛みの緩和のためマッサージに通うようになる
②そこで仲良くなったマッサージ師さんとの会話の中で、前世占いの話になる
③今まで前世占いなんてしてもらったこともなかったが、興味が湧いて自分も前世占いを受けてみることにする
④前世占いに行ったら、謎解きのヒントのようなものを言い渡される
⑤そのヒントをもとに、自分の手で自分の前世を調べてみようと研究をはじめる
⑥チェコのフス戦争にたどりつく
⑦フス戦争についての日本語資料がほとんどないので、チェコ語の資料を翻訳しはじめる
⑧翻訳を主軸とした研究に楽しさを感じ、気づけばもう3年も熱中し続けていた

その間、右手は相変わらず不自由ですし、痛みも大変です。仕事のできない肩身の狭さも変わりません。
ですが、人生に楽しみが生まれました。

膨大なページ数のチェコ語の文献や論文がありますが、その文章の一行一行はまるで分厚い地層のようです。
その地層を翻訳しながら掘り下げていくと、たくさんの宝物がそこに眠っているのです。
宝物とは、数々の興味深いエピソードたちです。

例えば、同じ使命のために共に旅をした仲間が、数年後には敵味方に分かれて争うことになったとか。
例えば、無駄な殺生をやめさせるために単身戦場に躍り出て、たくさんの命を救った聖職者がいたという話とか。
例えば、暗殺を恐れた貴族が馬に乗って亡命を図ろうとしたとき、なぜかタイミングよく橋の上で馬が暴れて貴族が振り落とされて死亡した話とか。

友情・謀略・ミステリーなどのエピソードに満ちたフス戦争は、調べて飽きることがありません。

また、私の研究はスピリチュアル方面からもアプローチをかけ、退行催眠や霊感占い、夢占いなど、自分の前世を調べるためにあらゆるツールを使用しています。

そこで判明したのは、私の前世はフス戦争時代に生きていた貴族であり、若い頃に右腕に大怪我を負っていた、ということです。

怪我の箇所は二箇所で、ひとつは上図のAの部分。
ここは長柄の斧のようなもので斬りつけられました。
なんと、現在の私の腕のA部分には生まれつきアザがあります。
長細い楕円形というか、肉が抉られた跡のようなアザです。痛みが一番酷くなる部分です。

もう一つは上図のC部分。
たまに灼けるような痛みになるところで、前世においては骨折か、あるいは強い打撃を受けたようです。

要するに、現在の右腕の痛みは、前世に受けた傷の箇所とリンクしているということです。
なんということでしょう。これはとてもじゃないけど、現代医学では解明できませんな。

とても面白いじゃないですか。


面白いので、今ではその痛みが不幸ではなくなりました。

「前世の傷が疼くんだ」なんて、中学二年生でも言いませんぞ。

実は右手を怪我してしまったとき、私は強く思った事があります。

「こんな大怪我をしてしまったのだから、それをくつがえすような大きな価値のあるものを絶対に掴んでやる!決して、痛いだけのものでは終わらせないぞ!」

と。

つまりそれが、人生で一番思いを込めた願いであり、決意だったのです。

それまでの曖昧で漠然とした夢とは違い、鮮明で力強く、心の底から唸りを上げて込み上げてくるような決意でした。

思い返してみればそれまでの自分は、「周囲の人から高い評価を得る」というのが自分の存在価値をあらわすものだと考えていました。
ですから、より多くの人に「イイね」をもらえるものを作り出したい、あるいは、そういう人間になりたいとばかり考え、その体現方法をいろいろ模索していたという感じです。

ですが身体的に強烈な痛みを与えられたことによって、そんな価値観は無意味だと気づきます。
イイねの数では傷の痛みは癒えないし、イイねの喜びは煙のようにすぐにかき消えてしまうものだとも気づきました。

少なくとも、私が今目指すべき価値観ではないのだと。

逆境の中で得たものは、その逆境を跳ね返す程のエネルギーを自身の中に見出したことでした。

若い頃は想像もしなかった形で、それが実現しています。
手の怪我をしなかったら、こんな展開にはならなかったでしょう。
若い頃の自分を否定するつもりはありません。迷い悩む事も、必要な道のりだったのだと感じています。

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