見出し画像

今日の不思議、の話

さあ、今回は久しぶりにフス戦争の話題となります。

フス戦争について調べていると、高確率で不思議なことが起こります。なので、不思議がデフォルト化してありがたみがなくなるのではないか?とも思ったりしますが、いえいえなんのなんの。

不思議は、何度起きてもやっぱり不思議で面白いものです。

私は常々、前世であるアレシュ•リーズンブルクの「死因」が知りたいと思って調べています。
亡くなった時期は1442年6月4日だそうですが、どこでどのように亡くなったのかを記す資料にはまだ出会っておりません。

今日も今日とて、アレシュの死因を探して資料検索をしていたところ、また一つの論文を発見しました。

総数100ページ以上の大作です。
が、スマホの機能を使って、論文の中からキーワードを見つけるというワザを習得しまして、それを使うと、例えばこの論文の中に書いてある「Aleš」をピックアップすることができるんです。

で、100ページ中アレシュの名前が出てくる箇所は20箇所ほどでしたので、特にそれが集中しているページだけを翻訳すれば、アレシュに関する情報を効率的に得ることができる、というものです。

これは効率的ではありますが、自分の脳をあまり使わないぶんだけ、脳に刻まれる記憶が薄くなってしまうという難点がありますが、歴史の大まかなストーリーを把握する目的ならばこれでオッケーでしょう。


という感じで今日調べた資料には、なんと。

590年前の今日のことが書いてありました。

【1434年5月28日、アレシュは敵方に対して、最後の和平交渉を行った。】

【2日後、和平交渉は失敗に終わり、戦場には砲撃の音がこだました。】

【アレシュは最後まで、軍事介入をためらった。彼我の戦力比はほぼ互角、地形の理は敵方にあったが、戦術指揮官のディビジュ•ボチェク卿の作戦により、敵方の壊滅に成功した。】

【敵の兵は捕虜となったが、その中の農民出身の者は解放された】

などといったことが書いてあるものでした。

5月28日から5月30日にかけての記述は、フス戦争の最終決戦と言われる「リパニの戦い」についてのものだったのです。

アレシュはこの戦いに、カリシュ連合(フス派穏健派と、カトリックの同盟)軍の総司令官として参戦していました。
敵側はフス派の急進派グループで、ターボル連合および「孤児団」と呼ばれる戦闘グループでした。

彼らとアレシュは、これまで多くの戦いで共に戦ってきた仲間です。
「これ以上の戦争の継続は国民を疲弊させるだけだから、もうやめよう」
と言うのがアレシュの意見。

しかし、急進派グループは戦争によって生計を立てる以外に生きるすべがなく、戦闘をやめるのは死ぬことと同義でした。
両者の意見は対立し、どちらかが全滅しない限り解決法はないという状況になっていたのです。

それでも、アレシュが最後の望みをかけて和平交渉をしたのが、590年前の今日、5月28日だったんです。
(記事を投稿する頃にはもう日付をまたいでいるでしょう)

現世の私は、2日ほど前から右腕が焼けるように痛み、メンタルもめちゃくちゃ落ち込んでおりました。

リアルの方でも、近しい人と意見の対立があり、和解に向けて熱弁をふるっていたところでした。
そして、その和解もうまく行かず、決裂しそうな予感にうなだれていたのです。

落ち込んでいるのもアレだと思い、気分転換にフス戦争の調査をしたら、これです。


(゜∀゜)リンクしてますな。

アレシュも590年前に、悩んでたんだなぁ。
規模は違うけど、フラクタルを感じます。

アレシュは、戦争を回避できなかったことをものすごく嘆いていましたが、私から見れば、アレシュは最善の努力をしたと思います。
本当によく頑張りましたよ。直前まで戦争回避を諦めずに。


今世の私は研究太郎という身体ではあるけれど、魂の一部はアレシュと共有している訳です。それを誇りに思いますし、そういう生き方をしたアレシュに感謝します。

よし、元気が出たぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?