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HSPというカテゴリーの付き合い方について

※私個人の感想です。

HSPを通して問われているのは、繊細な人であるかどうか以上に、それをどう受け取るかという「受け取り方」にあるんだと思ったのよね。

受け取り方の固有性・独自性・個人差こそが、「私」という存在を如実に表しているんじゃないかな?って。

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というのも、HSPに該当しながらも、自認する必要がないという人がいることを知ったのが大きくて。
繊細さ敏感さがありながらも、HSPというカテゴリーは不要だという人がいることが個人的に驚きだったのよ。別に必要じゃないって人もこの世にはいるんだなって。

で、その違いはどこから来るのだろう?という問いを立てたときに、HSPという概念を知った際に、それをどう受け取るか、どう解釈するかが違うんだろうと。

僕個人の場合は当初、HSPという枠組みにカテゴライズされることで、自分がなにかしらの者になれる安心感・安堵感を感じていた。
つまり、「HSPは自分に安心をもたらしてくれるものだ」と解釈して受け取っている自分がいたことに気づく。

受け取り方が違うから必要な人と不要な人が出てくるんだなって。
言葉にしてみればごくごく当たり前のことがすっぽりと抜けていた。

ってことはつまり、その受け取り方こそが、解釈の仕方こそが、私自身を表現してるんじゃねえ?って思ったんだよね。

僕は「自分に安心をもたらしてくれるもの」と解釈し受け取っていた。それは言い換えれば「不安な状態だった」ってことがいえるなあと。
不安が自分の中にある、、、この不安はいったいなんだろう?
改めて掘り下げてみようと思う。

◆◆◆

繊細・敏感さ以上に今は自分の受け取り方・解釈の仕方にフォーカスしてみてると新たな発見がありそ〜。


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うれしすぎる!!
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30代/仙台/人は自分の中に作りあげた「牢獄」からいかに自由になれるか(ライファーズ)/のり塩推し