”超簡単なコレ"を入れるだけで読者がメッッッチャ釘付けになりのめりこむコツ
僕は記事を書いている。
また記事の添削という依頼もこなしている。
記事の添削において、相手がのめりこむ記事の伝え方があり、依頼主に伝えた。
ただし書き方じゃない。
◆情報に"夢"があるか
夢とは不思議なものだ。
かつて別れた友達、憎い人などと当たり前のように話をしている。
死んだばあちゃんが目の前にいて助言をもらい、僕は何ら違和感を抱かない。
「ああ、これは夢だ」自覚しても、すんなり受け入れる。
夢とは自分がスクリーンの世界に入り、旅をする状態だ。
一方現実は今、あなたがこの記事を読んでいる状態であり、
僕たちにとって避けられない何かと向き合わなければならない。
夢は触れているうちにだんだん心が反応する。
時に嫌な気持ちも抱くが、たいていは心地よさを感じる。
心地よさに人はいい印象を抱く。
◆いかにして情報に「夢」を混ぜるのか
自分の情報に「どういう形で夢」を混ぜるのか?
夢の混ぜ方がカギとなる。
僕が依頼主に伝えている言葉として、
"エンターテイメント"を意識しよう
例えば僕、のびのびと暮らすためのコツがある。
現実がどうであれ「うまくいっている」実感する。
現実がどうであれという部分が一番のポイント。
自分にとって望まぬ現実が訪れても、脳内には全く関係ない(=影響がない)。
実例を一つ。
せっかく魂を込めて出した作品を出したのに、誰にも買ってもらえない。
たいていは世の中に裏切られた気分を抱き、へこむ。
望まぬ現実を通し、脳内及び心に影響を与える。
ここで強引に思考を変える。
誰にも買ってもらえないという現実があっても、
「うああ、まさかお買い上げしてもらえるとは、出してよかった」
「やった、これで自分は次のステージに入った。よっしゃ」
脳内だけをすり替えると、幸せな気分を抱ける。
いわゆる「精神勝利法」であるが、馬鹿にできない。
精神勝利をした後で、きちんと現実を踏まえると、
望まぬ現実を見るとともに「乗り越えた何か」を実感できる。
乗り越えた何かとは「この価格で販売した事実」をはじめ、
「商品を出すのが不安だったけど、実際に出したら、大したことなかった」という気付きや図太さである。
文章に「夢」を混ぜるとは、
現実の出来事をそのままを書くのでなく、
「こういう見方もあるんだよ。こう捉えると、成長したんだよ。
こうやったら、効果が出たんだよ」
子供が親に「楽しい出来事」を報告する状態だ。
夢なので現実から少し離れるし、現実通りではない。
「詐欺じゃないか」みなされるが、現実と違って夢には良い未来を期待させる。人間は基本「良い未来」を好む。進んで辛い現実をとる人など、まれである。
※だからこそ辛い現実を進んで取る人は、周りに流されない信念を持っている。
良い未来への期待が夢であり、夢を意識すると文章にも力が入る。真っ先に書き手が記事を通して「夢を味わう」のだ。
注意が一つある。意識だ。
僕たちの脳みそは楽をしたがる。
楽に進むと、楽しい出来事はまず浮かばない。
楽しいよりも辛い現実を淡々と書いてしまう。
楽しい出来事・気づき・成長の証は「脳みそを働かせた」結果でもある。裏を返すと淡々と現実を書く行為は「楽をしている」のと一緒だ。
ましてや「辛いこと、愚痴」は書き手として"もっと楽"をしており、読者として「ああ……離れよ」としか思わない。
意識をしないとは脳みそに楽をさせる行為であり、
意識をするからこそ脳みそに楽をさせず、ある程度統制をとる。
意識したうえで現実を「楽しかった出来事、学びになった瞬間、未知の発見、まさかの展開」へと脳を置換(=冒険)すれば、自分の生き方がエンターテイメントへと変わる。
エンターテイメントにこそ、今後の生き方が強く左右されるし、エンターテイメントは情報の出し方一つから始まると確信持って言える。
僕は常日頃思っている。いい記事を書いているからこそ、もっといい展開に伸びてほしいと心から思っている。
参考になれば幸いだ。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます