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我が子に「なぜ数学を学ぶ必要があるか」をわかりやすく教えられますか?

姉の子が2歳(男の子)になった。やんちゃだ。
ちょっとしたことで癇癪を起こし、すぐ泣きわめく。

きちんと育っている証拠だ。ただただほほえましい。
(昔を思い出しながら……)

ところで甥っ子に尋ねてみた。

「これとあれってどう違うと思う?」

甥っ子は答えられない、
姉はすかさず僕に突っ込んだ。

「あんたまだ2歳だよ、答えられるわけないじゃん。
もし答えられたら化け物だよ」

当たり前だよね。

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現在僕はゲームプログラミングを通し、ゲームを作っている。

ゲームではひたすら演出、ストーリーのために、
あれこれプログラミング処理しなければならない。
現在は恋愛イベントを作っているところだ。

演出を行う際、確率や方程式を使わなければならぬ

ふと、僕はある作家の発言を思い出した。

「(二次)方程式を使わなくても(学んでなくても)生きていけた」

同時に僕は過去の自分を思い出した。

「何で微分や積分を勉強しなくちゃならないのか?
そもそも何で数学を勉強しなきゃならないのか?」

先生に尋ねてみたが、答えてくれなかった。

あなたはどうだろう。

なぜ数学を学ぶなければいけないのか?
なぜ社会に出てもほとんど使わない数学をやらなければいけないのか?

もちろん数学が必要な分野と必要でない分野がある。
必要でない人達にとって「なぜやらなければいけないのか」思うのは当たり前だ。

こんな疑問を呈す子などめったにいないだろうが、

「いいからとにかくやれ」といわれてやるのと、
「大人になったら役に立つから」といったものの、
どう役に立つかは全く伝えないでいるのと、

「なるほどな」理解してから学ぶのとでは、

その後の人生に大きな違いが生じる。


◇数学に数式は必ずしも要らない

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数学といえば数式を使ってゴリゴリ表現する行為だ。
実地だと数式を使って表現する行為などめったにない。

計算は一部の業種だけ。だから必要ない……ちょっとまて。

ここで受験勉強の話を一つしたい。

受験勉強を見直したとき、現代文は基本「理由・説明問題」がメインだ。
後は空欄挿入や漢字といった問題だけど、サブ扱いだ。

英語は「母語以外の言葉を母語(反対もあり)」に置き換える。
社会は世の中の流れを、理科は自然の流れを学ぶ。

ここでひとつだけ疑問が生じる。

「思考のあれこれについて考える学問って何?」

それが数学だ。

例えば現代文で、次の問題に出くわすだろうか?

ある説明問題の解答で
「もしデータからこういう結果が予測されるなら、こういう答えにたどり着き、ああいう結果が予測されるなら、あんな答えへたどり着く」
「ある人が山道を登ります。山道はAとB二つのルートがあり、どちらかを登れば熊と遭遇して殺されます。最初A山に登るとき、一度もクマに遭遇せず山頂へ行く確率を求めなさい。

→最初A、次にA、そして最後にBを行くルートへ上るか、最初A、次にB,そして最後はAに行くルートへ行けば、全事象の中で最も熊に遭遇せず、山頂へ行けます」

現代文はもちろん、英語や社会でも出会わない。
理科なら出会うかもしれない。

条件分岐や確率(場合の数)、最大最小他については数学でしか学ばない。
日本語で書くとごちゃごちゃするため、数式に置き換えてるだけ。

※先ほど山道の熊遭遇問題も日本語で書くとごちゃごちゃするよね。

A山とB山、全部で二通りあるから、
1:ABA→1/8 2:AAB→1/8 =1/2×1/2×1/2
排反事象なので合わせて1/4

文字数の上でも数式のほうが日本語表現よりごっそり内容を削れるね。

上記の例をみていただくと方程式も確率も微積に関数も、
「自分の母語として無意識に使って」いる

数式は使わなくても、
数式を母語に置き換えた表現としては使う。


私たちの脳みそは数式と母語を変換できる装置を持っており、
数式を通して考えられた結果を母語へ即変換し、
母語としてあれこれ物事を考える。

母語として組み立てた考えを数式に落とし込む行為がプログラミングだ

例えば「今100円持っている。50円使えばお菓子を買える。
100円使えばペンを変える。現在どちらがより欲しいか。
ペンが今すぐ欲しいので、100円を払ってペンを買った」

A:お菓子
B:ペン
C:欲しいもの

▽以下分岐
Cが「A」と同じ
|→100-50=0(残金)
|→C=A
|
|Cが「B」と同じ
|→100-100=0(残金)
|→C=B

もう一つ、身近なところで数学を使っていると分かった。
友達を思い浮かべてほしい。誰でもいい。

友達と初めて接した時。
ただの人間が友達になった瞬間にこそ数式が隠れている。

A:ある人
Y=0:ただの人
Y=1:友達

最初:Y=0
もしYが1以上
→友達
→Y=Y+1 ※新しいYの定義

上記以外
→ただの人

結果:
Y=1
「やあ、お前」

Y=0
「こ、こんにちは」

プログラミングを思い浮かべながら条件を作った。
友達付き合い一つにも方程式が隠れている。

プログラミングをやっていても、数式をあまり使わないと思うが、
数学の概念はめちゃくちゃ使いまくる。

ビジネスも芸術も数式自体は使わなくても、
数学を元にした思考-確率、方程式による条件分岐、
微積分による問題の原因調査他-はめちゃくちゃ使う

英作文だって日本語から英語へ言葉を置き換えるとき、
ただ言葉を入れるだけでなく文脈や状況に適した場を考えながら、
適切な表現へとかえていく。

脳内で「これは文脈(=文章中の数式)に合致してないから省く」
「これは日本語には書いてないが、英語には必要だから入れる」

いたるところで数式と数字は使わなくても、
数学でしか学べない概念を堂々と使っているのだ。

某作家が言った。
「二次方程式を学ばなくても生きていける」

確かに数式は学ばなくても普通に生きていけるが、
二次方程式の概念(選択と決断)は普通に使う。

数字の計算ばかりが数学ではない。

むしろ数式を使わない思考計算こそ数学の本質だ!

僕が子供に「何で数学ってやらなくちゃならないの?」
言われたら、僕は上記の答えを言う。


僕たちは気が付いたらわけもわからず学んでいる。

「いずれ役に立つから」という、
言う側もよくわからない理由で学んでいる。

それはそれでいいんだけど、
「何で学んでいるのか」わからないまま学ぶから、

「こんなくそも役に立たないものに時間を費やさせるなんて、
よくもまあ、無駄な時間を過ごしたものだ」

思ってしまうんじゃないか。

二次方程式を学んでも生活の役に立たなかった。
述べた作家の気持ちも大いにわかる。

数学だけを見たら、数学なんてマジ生きるうえで役に立たない。

社会に出たら大半の数式は日本語(母語)に置き換わる。
置き換えは自分らが気づかない間に変わっている

数学ができる人の年収が高い理由の一つも、
数式を通して条件分岐や確率、場合の数、グラフの予測など、
ありとあらゆる仮説と予測と対応力を立てている
からだ。

ビジネスもクリエイトも趣味も、
「ああ、これ数学の応用だな。ちょっと定義が変わるだけで、
数学から物理の勉強になった程度だ」

似た問題として対応できる。

ということで、あなたは数学が好きだと感じるほうか?

数式は使わなくても、数式を使った思考訓練はバリバリ社会で使う。

人とのコミュニケーションはもちろん、
相手との駆け引き、恋愛フラグ、ビジネスフラグなど、
見えないところにプログラムが働いている。

「見えないところにあるプログラム」の存在が、
この記事で気づいたと僕は思っている。

改めて問う。


あなたは自分の子供に対し、
「数学を学ぶ理由」を言えますか?


答えられない場合、あなた自身も価値を感じていない。
数学なんて学ばなくても社会で生きていける。

でも学んでいる人は思考訓練をバンバンやっているので、
そこらの人にはない「新しい条件分岐」に気が付き、
「こういうやり方もありなんじゃないか?」

って別の道を考えるよね。

だから確信する。
クリエイターに数学は改めて必要だと。

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