わたしがnoteをはじめられなかった理由②「ワーママ」への居心地の悪さ

自分のための深堀第二弾。

フットワークの軽い方で新しい経験やコミュニティに参加するのがとても好きである私の頭の中には「これを書いたら面白いかも」というテーマがいくつもありました。しかしそれでも一歩が踏み出せなかった。それはなぜか。

ブログが一言、二言でも投稿されるのに対して、noteは表現者が伝えたいテーマをもとに発信されています。noteは実名で書く人も多いですよね。ITベンチャー社長の組織論であったり、大学生によるオンライン授業への感想であったりその人の視点で語られるリアルな言葉に学びがあり、その面白さにnoteの記事を読みふけることもしばしば。

翻って、私はどんな立ち位置でnoteを書き続けていくのか。書きたいことはいろいろありそう、日々の学びや読書、仕事と子どもとの日々。出会った人々のこと。それらを一言でまとめるとそれは「ワーキングマザー」でくくられる。そう、つまりそこに大きな引っかかりを感じていたのです。

「ワーママ」と聞くと、『男性優位で母親への負担が未だ大きい日本の社会にモヤモヤしながら毎日頑張るお母さん』というイメージがわきませんか?子育てをしながらの仕事は時間的な制約が増えるし、育児にかける時間の取りやすさは父親よりも母親優位になっているので、キャリアとの両立に悶々とすることもあります。そういうややネガティブな話をするときに「ワーママ」というワードやカテゴライズが使われているように感じます。

大変なことも理不尽なこともたくさんあるけれど、子どもを育て共に生きるチャンスをもらえたことを、私はとても幸運なことだと思っています。その思いが根底にあります。

女性の多い職場で働いてきたということも大きく影響しています。母親にならないことを選んだ人、望んでもかなわなかった人。言葉に出さない思いが、涙が、私の知らないところにある気配を感じていました。私に子どもがいることで傷つく人がいて、その上「ワーママ」という言葉を使うことが傲慢さにつながるような気がするのです。子育て女性がまだまだ働きにくい社会であることはもちろんですが、子どもの有無にかかわらず女性が働き続けにくく評価されにくい社会でことも事実です。さらに子どもとの時間をとりたい男性や、性別に関わらず様々な事情を抱える人にとって、常に社会は課題を抱えているのです。

誤解のないようお伝えすると、「ワーママ」を否定するつもりは全くありません。しっくりこない理由を考えてみただけのことです。今後「ワーママ」という言葉に対しても印象が変わっていくだろうし、むしろ明るい意味でどんどん使っていこうかなとも思っている。

今、どんな言葉で表されるのがしっくりくるのかといろいろ考えてみると「子育をしている会社員」でした。子育てしながら働くことがいい意味でも悪い意味でも特別なことにならず、「犬を飼っている会社員」、「バンド活動が趣味の会社員」と同じ並びで語れるといいなと思っています。

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