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自分にとっての“幸せ”を再考してみる。

昔よく口癖のように言っていた、「幸せになりたいなぁ」という言葉。
そういえば全く言わなくなったことに気がついた。
私が「今日は最高に幸せな休日を過ごせた!」、と思える日はたいてい大したことはしていない。
まさに今日。
午前中に窓拭きをしてベランダに水を撒いて掃除をし、シャワーを浴びて一息ついた。
その後は書き物をしたりインプットをしたり。
のんびりと冷やし中華を食べ、夕飯用に炊飯器でビーフシチューを作る。
子どもたちが出かけた午後からはソファーに横になって雑誌を読み耽っていた。
なんて幸せなんだろうと思った。
「少し体が冷えたな」とベランダに出てキャンピングチェアに座り日光浴。
たっぷりの日を浴びて乾いた洗濯物を取り込み、夕食をとる17時半。
このあとはお風呂に入って寝るだけ。
もう何にもしない。
私にとっては何の刺激もない、心穏やかに過ごせる一日がただただ幸せなのだ。

空を見るのが好き。

私が日々の暮らしに幸せを感じていなかった時は、「他者のために時間と労力を使っていた」時だったと気がついた。
結婚して、自分のことよりも夫のために料理や家事を頑張っていた時。
子供が生まれてから、子供のことを優先して自分のしたいことは全て後回しにしていた時。
自分が食べたいものよりも家族が食べたいものを優先して作る料理が楽しいわけがないし、美味しいわけがない。
自分が行きたいところよりも家族が行きたいところへ行くお出かけは、
自分自身が満たされるものではない。
そんな毎日は、気付かないうちに少しずつ自分の中にストレスを溜めていってしまう。
そして、積もりに積もった時にドカン。

決して自分がやりたいことではなく、誰かから報酬がもらえるものではない家事という仕事。
「家族への愛情があればできるでしょ?」と言われているような、無言の圧力を感じることもあった。
無償で他者のために何かをし続けるということは、限界があるということを忘れてはいけない。

ある時期から、家族のための夕食作りを手放してからは本当に気持ちがラクになった。

自分のために作る料理は楽しいし、食べたいものを作っているわけだからストレスを感じることがない。
他人のためにするから辛くなるのであって、自分が使ったものを片付けたり、洗濯したり、自分の部屋をきれいに掃除することは私にとって何ら面倒なことではないのだ。
物をかつての半分以下に減らした今の暮らしにおいては、ますます家事がラクになった。
(このnoteを書いている間もお掃除ロボットが床を掃除してくれている)

夜20時には家事が終わるので、寝る前の1時間に英語の勉強をすることにした。

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時間やタスクに追われていると私は精神的に不安定になるし、何か心配事や不安なことがあると落ち着かなくなる。
それらをできるだけ手放すことで幸せに生きられるんだと気がついてから、少しずつ見直しをして改善して今に至る。
大切なのは、何が自分を幸せにして、何が自分を不幸せにするのかを知ること。

「願えば叶う」とよく聞くけれど、やっぱり願わないことには叶うものも叶わないよな、と実感しています。
新たな夢もできたので、ひたすらそこに向かって日々を積み重ねていくのみ!!



今週も読んでくださってありがとうございました。
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