失う前に動く、Meet Geishaの一歩 | 凡人が箱根花柳界から学んだこと#1
箱根芸者を世界へ、箱根花柳界のリタッチに挑戦するMeet Geishaの小山麻未が凡人として知ったこと、凡人なりに気づいた大切なことをちょっとずつシェアします。
「箱根に芸者がいるって知らなかった」
あなたの第一声ではないだろうか。
私も最初にMeetGeishaのプロジェクトが動き出した2019年秋、同じことを思った。
関東の人なら、一度は箱根の温泉街を訪れたことがあるだろうし
「箱根」という地名自体は日本で知らない人は少ないだろう。
そんな箱根に実は、約150名もの芸者が存在しているのだ!
もともとは江戸時代に踊り子として吉原で登場した芸者だが、
箱根では大正時代から60以上の置屋、300を超える芸者たちがお座敷の場を賑わせていた。
箱根芸能組合の現組合長、舘美喜子さんから聞いて驚いたのは、
30年前、19で青森から友達と出てきた彼女たちが、月にうん十万をぺろっと稼いでいたらしい。(箱根芸者物語#1『箱根芸者の組合長が箱根に来た理由』)
とにかく栄えていたのだ。
逃げ出しては、戻ってきて、を繰り返したと言っていた。
ばっと稼いで、使い切って、足りなくなったら、また戻ってきて稼いで、また使い切って、戻ってきて・・すごいライフワークバランスだ。
「お金がなくなったら箱根に行こう」をまるで合言葉のようにしていた彼女たちの戻って来たところに、前回と同じように稼げる環境と需要があったのもすごい。
バブルだな、って思ってしまった。
彼女たちは一体何が特別だったのか?
きっと持っていたのは若さと笑顔と、ちょっとの度胸。
流れに身を任せた彼女たちを、「お金があってしょうがない」時代が支えて、この伝統芸能を育てていった。
だが、流動的な環境にいると関わる人々は「価値」を見失う。
芸事を行うプロであるという「プライド」という意味では、芸者たちも価値があるものと気づいてはいただろう。
お客さんも、お金があってしょうがない中であっても「芸事を味わう」ことに投資することを選択していたので、価値があると知っていた。少なくとも今より「芸事」に素直に向き合うお客さんが多かったらしいのは素晴らしいことだ。
ただ、それを本当に失うところまでは想定できないし、守ろうと行動にうつすことは難しい。
大事に大事に体験して、心に刻んだのではく、きっとひたすら楽しく「消費」してしまったのだろう。
その結果、2020年現在は「箱根に芸者がいるって知らなかった」状態だ。
30年前あれだけ栄えていた箱根の花柳界が、今となっては日本全国(海外はもちろん)で、ほとんど知られていないところまで縮小してしまったのだ。
お座敷で芸者を呼ぶという概念はもはや過去のものになりつつあるし、お座敷がなくなれば芸者たちや置屋の収入源はなくなり、旅館と置屋のパイプ役をしている見番も仕事がなくなる。
そうなれば、いずれ置屋も組合もつぶれてしまう。個人事業主である芸者たちは、生活のためにアルバイトをしたりする。稽古に使う時間を生活のための時間に充てる。
芸事をする者が減っていき、この衰退の先には文化の消滅が待っている。
流れが止まって、やっと気づく。
私たちも30年前のめっちゃ盛り上がってる時だったら、「箱根芸者」をフィーチャーしてショーをやろう、とか若者向けにイベント仕掛けていこう、海外の人にも知ってほしいよね!と躍起になってなかったかもしれない。や、絶対なってない。
「途絶えさせるわけにいかない!」って熱くなってるのは、「途絶えている」状況が目の前に広がっているからで、失いかけた「価値」に美しさや儚さを見出して、守るべきと感じたからなのだ。
これまでもそうだったように、これからも、人々は同じように文化の価値を見失ったりするかもしれない。
でもまた気づければいいし、その度ひろって、拡げて残していけばいい。
失う前に動ければいい。
まずはこれを読んだあなたが、「箱根に芸者がいること」を知った。
Meet Geishaはそこから始めようと思っている。
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