子を産み育て、一人前?

あのね、

「子供を産んで
立派に育てて
人として一人前になる。」

「子供を産んでこそ
オンナは一人前。」

ほんとかよ、それ。

って
若い頃から
ずっと思っていたのよ、わたし。

出産や子育てが
自分が人間として
一人前になるための
手段なのか?ってね。

でもさ、
あまりにも多くの人が
断言的に言うものだから
そうなのかな?って
意志が揺らぐこともあったの。

でもね、
月日が経ち
50歳を目前にした今なら
自信を持って言えるのよ。

「子供を産まず」
「子供を育てなかった」
ひとりの女性の経験としてね。

あの話は、ウソだよ。

「人間性の形成に
子供の有無は関係ない」
と、実体験を元に
わたしは断言する。

だからね、安心して。

子供を産み育てないという
選択をした、みんな。

これから、
その選択をしようとしている、みんな。

あの論は
気にしなくていいと思う。


これもまた
世の中に蔓延っている
無責任な精神論のひとつでしかないと
思うのよ、わたしはね。

世の中には未だに
”普通”とか”常識”とか
謎の枕詞を伴った
神話のような考え方や
無責任な精神論が
根強く残っているよね。

人類が旅として
宇宙に行くようになったのに

グローバルで情報が
瞬時に行き交うようになったのに

人々はどんどん革新的な
技術を生み出して
前へ前へ進んでいるのに

ね。

他人による
無責任な精神論の方が
よっぽど人間形成に
悪影響を与えるのではないかと思うのよ。


じゃあ、
子供を産まない方がいいのか?
って聞かれてもね
その答えは自分が出すしかないのよね。

子供を産み育てるか
はたまた
それをしないかっていう
自分の生き方にとって
とても重大な判断を
他人に委ねるのはやめた方がいい
わよ。

結局ね、
「よく考える」ことを放棄すると
後悔することになる
んだから。

なにごともね。

人間としての身体の仕組み上
子供を産むには
リミットがあるから
ちょっと焦っちゃう時期もあるのよね。
Ummmmm…ってさ。

でも、どうなんだろうねぇ?

焦って決めていいことってある?

今しか、買えない。
今なら、安い。
今だけ、できる。

どれだけ「時限的な」言葉
わたしたち、振り回されてる?

規模は違えども
時限性に負け
「ま、いっか」って
適当に判断を済ますのは
良くないんじゃないかな。

わたしは
30歳くらいの時
すごく考えたのよ。

結構考えた。
いろいろ。
人生について、いろいろ。

それで決断したの
「子供は作らない」ってことを。

そしてね
円満に離婚したのよ。

子供を産み育てるってことに対する
捉え方が違ったから。

あの時、
ググッ〜と考えたから
決断したことを
後悔することなく
子供を産み育てなかった人生を
楽しく生きているよ。

わたしなりにね。

出産や育児だけじゃなくて何事も
出した結論に
「納得」すること

大事なんだと思うんだよね。

納得してないから
後悔しちゃう。

「納得する」って大変なんだけど
それほど「熟考する」ってことが
大事なんじゃないかな。

そしてね
子供を、産んだ方がいいか
子供を、産まない方がいいか

この2択に
万人に該当する「正解はない」
のよ。

自分にとっての答えを
自分で考えて
見つけるしかない
と思うのよね。

だって、自分の頭の中のことって
自分だってよく分かんないくらいなんだから
他人にわかるわけないじゃない。
同じDNAを持っている親だって
わたしのことを
分からないくらいなんだからさ。

ただ、ひとつ事実としてあることは
子供の有無によって
生き方は
随分と違ってくる。

どのような人生を形成したい?

その答えの
中心とは言わないけれども
人生形成の一片としては
子供の有無は
影響してくると思うのよね。

だからさ、
生まれた時から
自分の一生は
有無を言わせず
スタートしてしまっているわけなので
ちょっと立ち止まって
どんな生き方をしたいかって
考えた方がいいと思うのよ。

要所要所で
自分なりに「納得」していれば
その結論がなんであれ
「自分の人生」になって
楽しいものになると思うのよ。

自分の中の幸せは
他人には分からないのものだからさ。

とにかく
自分の人生の決断を
他人に任せちゃいけないってことは
間違いないと思うのよね。

「一人前」になるって
そういうことじゃないかな。



みなさまのサポートを糧に、本を貪り、誠実なコラムを書きづけたいと思っています。いつもサポート頂いている皆さま、本当にありがとうございます。