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ドイツに住みつづけてもドイツ人にはなれない

2007年にドイツに移住してはや14年(そのうち1年間、僕はキプロスで暮らしましたが)いろいろありました。2009年には語学学校への通学とドイツ語試験の合格証明がないとビザの更新ができない、という噂が広まったことがあります。当時の同僚に外人局からその書類が送られてきて、あながち噂ではなかったはずです。その年は僕もビザの更新が控えていましたが、僕にはそのような書類は送られてきませんでした。実際何が本当なのかわからないのです。ドイツではしょっちゅう法律が変わるし、担当局員によって言うことが違っていることも珍しくありません。ただその当時僕が思ったことは、「もしビザの更新ができなかったら、そのときは帰国するべき時なんだ」です。

でも結局こんなに長くこっちに住むことになってしまった。ドイツ語はまだまだいい加減だし、英語も中学英語レベルの僕が、今では定住ビザを取得し、自分の腕一つだけでドイツの日本食料理界を渡り歩いている。何度かテレビ出演も果たし、雑誌媒体でも取り上げてもらうこともあった。僕は自分がマイノリティであることの利点を活かして、快くマスメディアにも出演していた。…でも時々思う。

僕はいつまでここで暮らしていくのだろう?

僕は日本の飲食業界にいる人には特に海外移住を勧めている。なぜかというと、あの理不尽な労働環境の中で、優秀な人材がその才能を枯渇させていくのを見過ごせないからだ。しかしこんなことを言う人もいる。「辛抱が足りずに、海外なら楽できるとか思って出て来る奴はごめんだ」「志も経験もなしで理想だけで来られても困る」…とかなんとか。でもそう言う理論って結局ポジショントークだったりする。または精神論だけで育った団塊の第二世代の奢りだったりするのだ。だから僕は若い人たちはどんどん日本を飛び出すべきだと思っている。そう言う意味では別に飲食業界に限った話ではない。

僕は去年50歳になった。まだやれることが残っているし、挑戦する意欲は衰えを知らない。しかしこっちで長く暮らしていると、どれだけ長く暮らしている人でも、最後は日本に帰国する人を何人も見てきた。親の病気や介護の問題。あるいは自身の病気や子供の進学など、その理由は様々だけど、移住組には誰にも共通して起こる本帰国のタイミングというものがある。

ちなみに今の僕にはまだそのタイミングは見えてこない。もちろんそうは言っても、人生どこで何が起こるかなんて分からないものだ。ただ僕が考えるのは終の住処がどこになるのかという自問だった。それは日本なのかドイツなのか、あるいは全くまだ知らない土地なのか。

十代の頃からいつも「ここではないどこか」に憧れていた。いつも自分がいる場所に違和感を感じていた。猫のようにどんな形の入れ物にもするりと体を収めてしまうような器用さは持ち合わせていなかった。しかし申し訳なかったのは、結婚して子供もいる僕が、ずっとそんな生き方をしていることだ。家族はそんな僕にいつも振り回されて生きてきた。子供たちは自立して暮らすようになったけれど、かわいそうなのは妻だ。彼女はいつも僕の仕事のためならと付いて来てくれた。そんな妻の背中を見るとき、前に進まなければならない僕の意思とは裏腹に、地に足を下ろした生き方を見直さなければならないと思う心の葛藤に苛まれてしまう。

あれ、今回はちょっとこんな独白になってしまいました。…ま、たまにはいいよね。スンマソン


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