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決めること

人の意見ばかり気にして、前に進めなくて、
いつまでも一歩を踏み出せなくて、
苦しくてもがいても、前には進んでいなくて。
そんな毎日を過ごしていたときに、ふと気づいたことがありました。

きっと、自分の人生を自分の足で歩いて行くために必要なことは、
「決めること」なんだと。



私は決めることが苦手でした。
小さい頃から、親にも先生にも自分のなすこと全てにおいて
許可をもらわないと不安で。
人に決めてもらえば、失敗しても責任は重くならないから。
後悔だってしないはず。
そう思っていました。

けれども、自分で決めることなく、
誰かが決めた正解を選び続けた私は、
一度、先生や親から離れた世界に放り込まれた途端に、
大きな波に飲まれてしまったのです。

誰も他に決めてくれる人がいなくなってしまったから、
インターネットの世界に無限に存在する、会ったこともない人に答えを求めました。
けれども、答えなんてどこにもなかったのです。
自分の大切にしているものさえも、もう何かわからなくなってしまって。


答えを見つけるまで、私は前には進めなかったのです。
けれども答えなんてないから、私は永遠に進めなかったのです。
それに気づいてからは、誰も私の人生を代わりに生きてくれないことを思い知りました。依存していたんです。誰かに寄りかかりたかったんです。


一人で歩かないといけないことは、怖かったです。
とても怖かった。
生きることがこんなにも大変だなんて思わなかった。

だから、誰も代わりに生きてくれないなら、
死んでしまった方が楽なんじゃないか、と思ったこともあります。
もちろん本気で死のうなんて思っていないけれど。

自分の足で歩いてゆくことが怖くて、自分には到底できる気がしなくて。
どうしてこんなに心が弱いのだろう。
もっと強くなりたかった。
自分の力でどんどん前に進める人でいたかった。

けれども、このままでは終われないという気持ちもありました。
きっと辛いのは自分だけじゃなくて。
同じように、生きる、ただ生きることだけに難しさを感じていて、
それでも歯を食いしばって、生きている人がいると思った。


死ぬことなんてできない、そんな勇気はない。
それならば生きるしかない。
でもこのままだと辛すぎて、人生を楽しめない。
そう考えたとき、私は自分の外に答えを見つけることをやめた方がいいと気づきました。


その答えらしきものを掴んで、それに寄りかかって生きていても、
いつかその答えが人のものだと気づいて、その人のせいにする。
今のままだとそんな自分になってしまう。

だから、全部、自分で決める勇気を持ちたいと思ったのです。
何をしても、批判されることもあれば、いいねって言ってもらえることもある。
それならば、もう何をしてもいいじゃないか。
「私は何をしてみたいの?」
そう尋ねて答えが返ってきたならば、
そのこたえがたとえ正解だと今はわかっていなくたって、
それを信じると「決める」のです。

「決める」ことができたら、
もうやるしかない。
きっと誰かの価値観に振り回されたりしない。
今よりすこし、強くなれる気がします。
そうやって、すこしずつ、自分の人生を生きる勇気を持って、
自分を愛していくんだと思います。
自分を愛することができたら、その輪をすこしずつ周りに広げていくんだと思います。
今はすこしずつ、自分の人生に夢中になれそうな気配がしています。
なんでもできるって今は思えるのです。
だって、全て自分で決めることができるのだから。

こういう思いを行動に移すことができてはじめて、
私は前に進むことができるから、
言葉だけではなく、行動に移そうと思います。

悩んで悩んで悩んだあげく、
自分だけの答えを見つけることができるのならば、
前に進んでいないように思える時間も
もしかしたら、螺旋のように横に広がって、
その時間をより濃いものにしてくれているのかもしれない。