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カイロス

 図書館の帰りに偶然みつけた趣のある古い喫茶店。いつも通る道の一つ手前の分岐点で私は左側の道を選んだ。
 その喫茶店の名前は「カイロス」と言い、喫茶店の店主の話では月に数日間だけ営業しているとのこと。
 靴を脱ぎ、畳の部屋に案内され、一息つく。喫茶店で個室というのにも驚いたのだけど窓の外に見えるきっちりと手入れされた木々や、通路に飾られてある水墨画にも圧倒された。
 水墨画には小さくサインが描かれていたが、美術に疎い私にはそれが誰のものなのか分かるはずもなかった。
 コーヒーを一杯とチーズケーキを一つ注文してから、鞄の中からスマホを取り出し「カイロス」について調べてみた。
 結果、壁に飾られていた水墨画はギリシャ神話をモチーフにしていることを知る。
 「カイロス」とはギリシャ語で「時」を意味する言葉だった。
 

 しばらくすると店主がコーヒーとチーズケーキを運んできてくれたので、水墨画についていくつか尋ねてみると一冊の本を持ってきて、
 「ここのことを書いてます」と分厚い本を手渡される。
 「商売上手ですね」と苦笑いしながら、私は結局その本を買った。

 チーズケーキを食べ終え図書館で借りた本を少しだけ読みコーヒーを飲む。窓から見える景色と畳の感触を確かめながら時間はゆっくりと過ぎていくのだが、私はどうしても時計が気になってしまい心の底から落ち着くことができない。
 人はどこにいても「時」に縛られている。どんなに忙しくても暇でも「朝」と「晩」は繰り返され、最終的には本来帰る場所に体ごと引き戻されるというわけだ。

 「時」というのは流れていくから貴重なのだろうか。もし好きな時間だけを選んで生きることができるとしたら、どうだろう。私はここまで悩まなかったのかもしれない。

 それでも「カイロス」に通い続けるうちに、私にとってそこは特別な場所になっていった。
 月に数日間だけ営業している喫茶店は普段は絵画教室で、私はいつの間にかそこで油絵を習っていた。
 「絵ばかりだとね、飽きてしまうからさ、僕は」
 マスターはそう言って生徒のためにコーヒーを淹れてくれた。
 絵画教室に通い始めたばかりの頃、マスターいや、先生は私にこう言った。
 「君はね、何事もちゃんと習うといいよ。基本というよりも、落ち着きが足りないと思うから」
 「それでね、僕の話をちゃんと聞いてね」
 つまりは怒られてばかりいるのだけど、私は先生が呆れている表情をしているのを見て内心楽しんでいた。
 油絵は一向に上達せず、半年ほど通ってから絵画教室に行くのをやめてしまった。
 それからは月に一度か二度、「カイロス」にコーヒーを飲みに通っている。半年前と同じように店主と客という立場に戻ったわけだけど、相変わらず本を読みながら時計を気にしてしまう。
 足早に家に帰っても特にやることがあるわけでもないのだけど、ここはやはり普段とは違う特別な場所なのだ。
 
 自宅の玄関ドアを開くと、まっ先に目に付く場所に絵を飾っている。上達しなかった油絵だ。
 先生は最後まで褒めてはくれなかったが私は自分が描いたこの絵が好きだった。
 その絵は私にとって神社の御札のような、家全体を守ってくれるお守りのような存在になっていた。
 「カイロス」に飾られた神話の水墨画を真似して描いた自画像。水墨画ではなく油絵だけど、自分の顔の特徴をよく掴めていると思う。
 限られた時間の中で精いっぱい考えて描いた力作だ。
 私はその絵を見て先生に笑ってほしかったのかもしれない。その一瞬を見たくて、その絵を描いたのかもしれない。

 「今日も一日お疲れさま」

 絵の中の私は穏やかな表情をしていた。時計を見ると18時をまわっている。私はゆっくりと自分のためにコーヒーを淹れることにした。
  


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