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差別とナショナリズムの間で


差別とナショナリズム、グローバリズムについて、最近よく考えることがあります。

私は元々反差別主義者でした。
右左で言えば、極左でした。

幼少期から、反差別運動をしておりましたし、
高校時代には研究会にも属しておりました。

そんな私が、今、経済の事を勉強させてもらってる場で、ふと、グローバリズムとナショナリズムの違いを聞いたのです…

今までの考え方にバリバリバリと崩れ落ちました。

とっても、ストンと腑に落ちたのです…
それまでは、世界が一つになり、戦争のない地球、差別のない地球ということを理想としていました…

でも、それは、世界を戦争の渦と化そうとしているものたちが望んでいることであることに??????が頭を巡っていました…

が、今、ある崇拝している?国会議員さんの一言で、また、ストンと腑に落ちました…

ナショナリズムとは、各国や民族の文化を尊重することです!!!!!!

そうそうなんです!世界が一つの国となり、一つの民族になれば、それぞれの文化を否定というか、無くすことであるのだということ…

日本は、昔、これがアジアの平和になると、グローバリズムを行使ししようとしたことを考えると
(戦争がどう起こったかは横に置いといて)なんか、その正義の考えが少しわかる気がします。

それが、朝鮮半島や中国の文化や言語を否定したことは、みんなが一つになることで、欧米から守れると思ったのかな?と

でも、それは、各国において悲劇の何物でもなく、さらに、差別主義を産んでいたという皮肉…

最近、グローバリズムという言葉を聞くとこの映画を思い出します。

「マルモイ〜言葉集め」です

日本のグローバル支配により、朝鮮語を奪われようとしたが、朝鮮語を守ろうとした方達の話です…

この時代の頃の話で、ナショナリズム的と考えるのは、李方子様の話ですかね
夫の国のことも尊重しながら、最後まで生きたという…

なんで、こんなことを書こうと思ったかは、次のnotoで…

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