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小林一三のマーケティングとB2B業界のマーケティングの話

小林一三翁は、明治時代に大阪の池田市に室町住宅という郊外型住宅地を開発した。

まだその頃の池田市は農村地帯であり、住む土地としてはイメージされにくかった場所だった。

一三翁がその土地を買収したのは鉄道敷設の前、1909年に「如何なる土地を選ぶべきか 如何なる家屋に住むべきか」というパンフレットを発行したり、その土地がその時期の生活者にとって如何に相応しい場所なのかという映像を作ったりと、今でいうところのコンテンツマーケティングやプレイスブランディングを行っていたのである。

これらの試みは、もちろん住宅の販売を促進させるためではあるが、それ以前に、その土地の価値を向上させる、ライフスタイルを提案するといったことでもある。

「マーケティングとは見込み客の獲得や取引数の向上を目的とするもの」と考えるのは狭い考え方というのは、この例から学べる。「マーケティングというのは、“価値”に関する行為」であり、それをいかに向上させるか、認識・理解してもらえるか、相手にとって意味あるもの捉えてもらえるか、といったものがその役割である。その結果として「買われる」という行為が客側に発生するのであり、これが、営業・セールスとマーケティングの役割を表すものでもある。

「売る」という行為に特化したマーケティングは、もはやセールスそのものであると考えてもよく、セールス・マーケティングはセールスの一部であってもよい。そう考えると日本企業には営業のそばに「営業推進」や「営業企画」という“セールス・マーケティング”を担う部署はずっと存在している。そう考えると「日本の製造業にマーケティングは無かった」というのは、「マーケティングという名を冠した部署が無かった」、あるいは「セールス・マーケティング以外のマーケティングが無かった」という話となるはずなのだが。

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