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大学時代の恩師に再会できた件

今日は久々に大学時代の恩師に会いにいったお話。

大学時代の友人Dから「東京に来る予定はない?」のメッセージを受けて、ちょうど1週間程東京と山梨に戻るタイミングの数週間前だったので、その旨を伝えると、「K先生が高齢者住宅に入られたみたい。会いにいかない?」
K先生はDと私の卒論をみてくださった共通の恩師。

K先生にお会いした最後は、藤沢で介護看護サービスを提供しているぐるんとびーで子連れ住み込み取材を行っていたとき。ぐるんとびーの入るマンションからバスで15分ほどの別のマンションに住んでいらした先生がわざわざ会いに来てくださって、それどころか子どもたちを「あなたは思う存分お仕事をなさい」と遊びに連れ出してくださった(いま考えてみても恐れ多い)。もう5年は前だろうか。

ぐるんとびーに関しては下記にいくつか記事も↓


そのK先生が高齢者住宅に入られたと聞いて、藤沢で「どんなに素晴らしい場所でも施設には入りたくないわね」とおっしゃっていたことを一番に思い出す。

友人Dがおハガキを出したり、高齢者住宅とやり取りをしたりと尽力してくれた結果、ようやく直接K先生とつながり、会いにいけることに。
数日おきにはやり取りをしているDとはリアルでも会えていたような気になっていたけれど、9年ぶりの再会と言われて、先生よりも会っていなかったのかとびっくりする。

久々に再会したK先生とD。

藤沢とは縁もゆかりもない都内にある高齢者住宅だったのは、娘さんの近くということで腑に落ちる。
5年ぶりに会う先生は歩行車を使っていらして、娘さんたちがすぐに駆けつけられる距離の高齢者住宅を探してこられた理由も腑に落ちる。

(こんなところまで会いに来てくださって)「ありがとう」と「申し訳ない」を何度も繰り返してくださる恩師に、「ありがとうございますはこちらの言葉です」を何度も繰り返す。

大学に入って何に驚いたかって、自分の考えていることを素直に思うままに語っても誰も咎めもしなければ不思議な顔もしなければ、むしろ「私もそう思う」と「なるほどね。私はこう思うけど、あなたの考えはそうなんだ」が当たり前の学友たちと出会えたこと。そして、そこではそれこそが当たり前だったこと。今回誘ってくれた彼女もまたその一人で、大事な大事な友人だ。

日本文学が専門でいらしたK先生と時間をかけて読んだ源氏物語。

「現代の感覚からすれば、光の君は女たらしにしか思えないかもしれませんが、不細工とか言いながらも、最後まで関わった女性たちみんなの面倒を見るでしょう? 当時女性が自分から会いにいくことも叶わなかった時代に、たくさんの制限のあった時代に。源氏物語には紫式部の願いというのか、批判の精神を随所に感じることができますね」

源氏物語の面白さを教えてくれたのは、間違いなくK先生だ。

再会できて、よかった。
また、きっと、会いにいきますね。

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