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僕のお金の使い方

こんにちは,物書きになりたかった医学生あさひです。

世の中お金じゃないよ,と言われます。正直,どれだけの考えをもってその言葉を発しているのか疑問ですが,大人はそろいもそろってそう言っていた気がします。一般的に,世の中ではお金が必要でしょう。衣食住という最も基本的なニーズを満たすためにはお金が必要です。それらが持続的に満たされる,また満たされうる保証ができたときに,人間はさらに高次的な活動を始めるはずです。いや違うんだよ,生活に最低限のお金さえあればよくて,あとは愛とか友情とかやりがいとかが大事って意味だよ,というニュアンスともとれますが,たぶんそのような状況に実際に置かれてみてどれだけの人が満足できるかは疑問です。

僕は事実上の片親状態で,大学も貸与型の奨学金を借りて通えています。バイトをして生活費の半分は自分の収入から支払っています。それがえらいだろと言いたいわけではありません。もちろん,そういう風に尖っていた時期もありましたが,思春期の心の乱れだと思って許してください。しかも,もっと厳しい状況で暮らしている方はたくさんいらっしゃると思います。先述した世の中お金じゃないよという大人に対して僕が言いたいのは,「お金に対する価値観なんてその人の背景に依存して何通りでも多様性があるのだから,子供に対して一括でそういう風に言うのはいかがなものか」ということです。なんとも生意気なやつですね。ただ,否定をしているわけではありません。お金が(相対的に)不足している状況でも,親のおかげ,友人のおかげでお金では買えない貴重な経験もたくさんしてきました。まずはそこに感謝しなければいけませんし,一周回って「世の中お金だね」とも思うわけです。

さて今回は,「お金はどのように使うべきなのか」という自分なりの指針について言語化してみようと思っています。僕はお金を使う時に必ずこう思います。

「今から支払う対象にどれだけの価値を感じていて,それに見合うお金を支払っているか」

支払い対象に価値を感じていて,自分がそれに対して妥当だと思えるなら(そして自分の支払い能力の範疇なら),お金を使うことは厭いません。例えば,僕はコーヒーそのものと,コーヒーを飲みながら過ごす時間に価値を感じているので,コーヒーショップによく行きます。ネット上の動画をいくらでも見れる時代ですが,映画館に行くことで得られる時間が好きだったので,コロナ前はよく映画館に足を運びました。知識を吸収することはかけがえのない経験だと思っているので,本もたくさん買いました。

一方で,逆の例もあります。僕はおしゃれをするということにあまり興味がないため,服は機能的でかつ最低限のものしか買いません。これはファッションを否定しているわけではなく,僕がお金を使う対象であるか否かというだけのことです。正確には,自分の支払い能力で優先すべき対象ではないと判断してあきらめているという部分もあります。まあ優先順位が上位にならないくらいには興味がないということですが。ただし,清潔を保つこと,人と会う時に最低限きちんとした服を着ることに関しては重要性を感じているので,ある程度買い替えたり安すぎないものを買ったりはしています。

まだまだ価値判断に未熟な部分はあると思いますが,このトレーニングは非常に重要だと思っています。普段目にする広告というのは,我々の潜在的な欲望を引き出す,もしくは無意識に眠っている理屈を引きずりだすようにマーケティングされているので,自分の意思で消費行動を起こしていると思いきや,完全に企業に操られているということがあるわけです。別にそれは悪くはないのですが,きちっと考えるということを僕は放棄したくないと思います。そのさらに上をいくマーケティングや心理操作があって,結局僕もそれに踊らされているだけかもしれませんけど。

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