咄嗟の一言が出てこなくて〜AI時代にまで派生して〜
ちょこっと勉強しようと思ってスタバに行ったときに、耳の聞こえない店員さんがいた。
色んな人が働ける職場って素敵だな〜って思いながら指差し注文した。
言葉じゃ伝わらないからレシート受け取るときはいつも以上の笑顔を心がけた。
でも、そういえば小学生時代に少し手話をやったんだった。
「ありがとう」
くらいすぐ出てくるはず、と思ったのに少し迷ってしまった。
ドリンク受け取るときにすればいいか、って思ってたら別の店員さんから受け取ることになって感謝を伝えられず。
なんかちょっとモヤモヤ。
咄嗟の一言、表現が出てくれば相手ももっと嬉しかっただろうな。
って思う経験だった。
別の日には応援する外国籍のサッカー選手に飲食店で遭遇。
思い切って声をかけたものの、咄嗟の一言が出てこない。
応援の気持ちが十分に伝わらず。
またまた別の日には勤務先で外国の患者さんが来られた。
英語が母国語ではなく、日本語の理解も不十分なようで不安そうだった。
患者さんの母国語の挨拶くらい知っていれば少しくらい緊張も解けたかもしれないのに。
こんな経験が立て続けにあった。
それぞれの状況で思うことはあったけど、特に言語化せずに最近まで過ごしていた。
これら3つのエピソードの共通点をみつけ、なぜ今言語化しているのかといえば、最近またちょっとずつ英語に触れ始めたからだ。
コロナ禍になりずっと行けなかった海外に行く予定ができたこと、数年後の大学院の受験を見据えるようになったこと、なんかが動機だろうか。
最近、英語について学ぶラジオ「英語をまなばナイト」を聴いているが、多言語を学ぶことで多文化に触れることができ、言語の面白さ(勉強するかは別として笑)を感じるようになっていた。
最近少し触れてる韓国語も日本語と近いものも感じる瞬間があるし、受験勉強としての語学じゃない言語の学びって楽しいって思える。
少しでも会話する相手の母国語を知っていて、話せるだけも心が開かれる感覚があるんだろうな、と思いを馳せて。
さらに話はAIのことまで派生するが、AIがあれば語学を学ばなくてもいいのかもしれない。だけど、相手の文化や背景を知り、タイムラグなく自分の思いを相手に伝えられる魅力には敵わない気がする。
もちろん、AIには日々助けられているけど。
AIの話まで派生してしまったのは、最近お世話になった先生との会話があったから。
「AIがでてきて適切な治療は〇〇ですよ、と教えてくれるようになったときに自分が一つの方法しかできなければ、今後困ることが出てくるよ。プロフェッショナルではなくてもまんべんなくある程度できるのがいいよ。」
と教えてくれた。
これは医学じゃなくても語学、コミュニケーションについても同じ。
だから受験のためだけにやってた英語じゃなくて、色んな言語に触れて、色んな文化に触れて、色んな人とコミュニケーションを。
そして、今日感じた心のモヤモヤを晴らしていこう。
それでは。
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