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文系お取り潰し。、2015年6月の文部科学大臣通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」



コピペ 上記より

国立大の教員が私立に移るケースが増えている
私事で恐縮なのだが、私河野はこの新年度に、昨年度まで勤めた一橋大学大学院経営管理研究科(旧商学研究科)を退職し、専修大学法学部に着任した。

大学教員がキャリアの間に何度か大学を移ることは珍しいことではない。だが、私の今回の移籍のニュースを聞いた知人の中には「なんで?」という反応をする人もいた。

そう反応した人の言いたいことはなんとなく分かる。つまり、言いにくいことをはっきり言えば、一橋大学といえば研究者が望みうる最高の所属先のひとつであり、なぜわざわざ中堅どころの私学に移籍するのか、と考えたのだろう。これから私が勤める専修大学に対してとても失礼な話だが。

一橋大学の兼松講堂〔PHOTO〕Wikimedia Commons・wiiii氏撮影
しかし、そのように考えるのも無理はないかもしれない。というのも、私の今回のような移籍は、確かに一昔前であればあまりないことだった。

かつて、国立大学から私立大学に移るケースと言えば、国立を退職した教員、もしくは退職直前の高齢の教員が、国立よりも定年が遅い私学に移って、キャリアの最後を過ごす、というのが大勢だったし、今でもある程度はそうしたケースがある。一方で、40代半ばの働き盛りとも言うべき年齢の人間(私は今44歳だ)が同じ異動をするのは、かつてであれば珍しいことだっただろう。

しかし現在においては、私の例はかなり典型的で一般的な現象の一部なのだ。私の直接知る範囲でも、一橋だけではなく東大や東京外国語大学といった国立大から都内の中堅私大(中堅、という言葉が何を意味するにせよ)への異動が多く起きている。今年度、一橋から私大へと「流出」した若手〜中堅の教員は私だけではない。そしてそれは、国立大学と、さらに広く大学一般や学問が直面している危機をよく表している。

本稿では、国立大学から私立大学へと移籍した私の体験から出発しつつ、その私個人の体験がここ30年ほどの大学の変化の表現となっていることを示したい。私の異動など非常にローカルな話に聞こえるかもしれない。しかし、これは大学と学問研究一般の危機の問題に、ひいてはこの国の高等教育がどこに向かうのかという由々しき問題につながっている。

この後、具体的に一橋大学の状況を述べ、批判的な視点を提示する。だが、私は一橋とそこで今も働いている人たちを断罪したいわけではない。問題は歴史的かつ構造的であり、一橋大学だけに当てはまるものではないのだ。

「辞めてやる」
さて、まずはとても個人的な告白から。

私は一橋大学に2009年に着任したので、足かけ10年間勤めたことになる。しかし私はその特に後半の数年間、そしてひょっとすると最初からずっと、キャンパスに足を踏み入れると気分は落ち、動悸が高鳴り、最後のころは「辞めてやる」と心の中で唱えることで平静を保つような、危険な精神状態に陥っていた。

ちなみに私は一橋大学法学部の出身であり、この大学の自由な校風、学問的な懐の深さ、私と同様、地方出身者も多い学生たちの雰囲気、そういったものを、人並みには愛しており、2009年に着任した時には、母校に凱旋することに意気揚々としていた。

それが、なぜそんなことになってしまったのか?(私は、国立大学全体の状況を訴えたいのであって、一橋大学やその中の個々人の名誉を傷つけたいわけではない。そのため、以下では個人ができるだけ特定できないような曖昧な形で書く。)

私が着任してそれほどの年月が経っていなかったころのことである。

当時、商学部は新たな英語教育のプログラムを作ろうとしていた。それに関する会議で、座長をしていた先生からの発言に、私は耳を疑った。発言は、その英語プログラムを統括する教員を新たに雇うため、現在すべて埋まっているポストに空きが必要になる、それをどう工面するか、という文脈でなされた。

〔PHOTO〕iStock
座長は、私を含む旧教養課程系(この言葉については後述)の英語教員に対して、「今いる人に辞めろとは言えないので」、「○○さん(上記英語教員の一人)はおいくつでしたか、みなさんの前で年齢を聞くのも何ですが、あと○○年くらいですか」云々と発言した。会議に出ていた数十名の教員の面前での発言である。

つまり座長が言おうとしたのはこういうことだ。国立大学のポストは決められており、大学や学部の恣意で増やすことはできない。しかし、新たなプログラムのためにはポストが足りない。誰か辞めてくれることが最善の策である。ただ、クビにはできないので、定年で辞めるのを待とう、と。

その発言の趣旨は、旧教養課程系の英語教員が座っている椅子を、できれば商学部で自由に使いたいということであり、私は、希望にあふれて着任して早々に、「できればあなたには辞めてもらった方がいいのだが」というメッセージを浴びせられたのである。私の一橋ライフは、これによって決定的に呪われたものになった。


その後私は、自分なりに状況を改善させる努力をしたつもりだが、後述する2015年を経て大学の内外の状況は悪化の一途を辿り、「お前(たち)はいらない」というあのメッセージは、結局私の頭からぬぐい去られることはなく、現在にいたる。それが、私の背中を押したのである。

では、なぜ座長は「お前(たち)はいらない」というメッセージを発したのか。その背景には、この30年間で起きた大学の大きな変化がある。話の鍵は、「旧教養課程」という一語である。経緯を振り返ろう。

大綱化=規制緩和?
「旧教養」というワードは、奇しくも「平成」とほぼ一致するここ30年間の大学改革の歴史にとって中心的な重要性を持っていると、私は考えている。以下は、ここ30年間の国立大学にとって重要な項目のみをピックアップした年表である。

1991年 大学設置基準の大綱化
1996年 東京大学教養学部再編・大学院重点化
一橋大学大学院言語社会研究科発足(学部化はされず)
2004年 国立大学の法人化(国立大学法人法)
2015年 国立大学法人法改正(「ガバナンス」の強調、教授会の議決権剥奪)
2015年6月 文部科学大臣通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」(文系取り潰し?)
当面の出発点となったのは1991年の「大綱化」である。大綱化とは聞き慣れない言葉であろう。私も、どう説明すべきかと思い、英語にはどう訳せるのか調べたことがある。すると、大学評価・学位授与機構の英文資料では、なんのことはない、deregulationと訳されているのである。つまり、規制緩和である。

この時に緩和された規制とはなんだったか。それは一般教育(教養教育)と専門教育との区分だった。それまで大学では、2年間の「教養教育」、その後の「専門教育」の区分が義務化されていた。大学設置基準の大綱化は、その区分を、かならずしもしなくてもよいとしたのである。

これは決して、教養と専門の区別を「禁止」するものではなかった。だが、親方(文部省/文科省)にへつらう日本の大学らしく、各大学は雪崩をうって教養部を解体していったのだ(東大の教養学部は例外だろう)。

一橋大学はそのひとつの典型だった。かつて教養部に所属していた教員は、あらためて学部、というより正確には大学院所属に振り分けられた。一橋は商・経・法・社の四学部だが、形の上ではそれらの学部・大学院に所属しつつ、実質上はたとえば一年生に英語を教えるといった従来の教養教育を受け持つという、奇妙な形の教員ポストが生まれたのである。

私のような教員は、この大綱化から生まれたと言ってもよい。私の専門はイギリス文学・文化であるが、商学部に所属しつつ、大学で基本的に教えることが期待されたのは教養の英語だった。

とはいえ、大綱化によって、それまで存在しなかった教養対専門の分断・対立が生まれたという話ではない。その対立はずっとあった。大綱化のポイントは、教養部が解体され、人事権をはじめとする力を失っていき、さらに法人化を経て、現在教養教員のポストが奪い去られつつあるということだ。

ここで強調したいのは、教養教育が消え去ろうとしていることだけではない。問題はその消え去り方だ。現在にそのような影を落としている大綱化が、英語ではderegulation(規制緩和)であること、つまり同時代に日本全体で進んでおり、今も終わっていない新自由主義改革の一部だったことである。それが前述した座長の発言の背後に隠れている事情の一部だ。だが、物語はまだ続く。

大学の二つの市場化
私が言いたいのは、90年代の大綱化が、2000年代の国立大学法人化、そして2015年の国立大学法人法改正と文部科学大臣通知へとまっすぐにつながっているということだ。そしてそれらをつなぐキーワードが新自由主義である。

私が「できれば辞めて欲しい」というメッセージを受け取ることになった事情は、ここまで述べた大綱化に、2000年代以降の大学の新自由主義化、もしくはそこに「緊縮」が加えられた合わせ技によるところが大きい。

大学の新自由主義化とは、平たく言ってしまえば、これまで国が丸抱えで運営していた国立大学の業務を市場化することである。市場化するとは大きく二つのことを意味する。それは大学の世界を「市場のように」運営すること。つまり競争原理や成果主義を持ちこみ、運営や意志決定プロセスに一般企業的な原理を持ちこむこと。

そしてもう一つの意味は、大学に「民間」の参入を促すこと、もしくは言い方を変えると大学業務を民間に切り売りすることである(例えば大学入学共通試験の英語に民間検定試験が参入することや、「実務家教員」の雇用の強制を考えればよい)。

〔PHOTO〕iStock
ここで問題にしたいのは、一つ目の意味での市場化である。国は、大学に定常的に交付していた運営費交付金を原則として年1%ずつ削減し、それに代えて「競争的資金」を獲得することを推奨したり、中期計画を策定してその達成度を査定したりといったことによって、それを推し進めようとしてきた。

後者は要するに、「改革」をより多く達成した大学に高い評価と資金を与えようということである。その「改革」の中にはいわゆる「ガバナンス改革」がある。2015年の国立大学法人法の改正は、教授会の議決権を大幅に削減するなどして、学長の権限を拡大するという「ガバナンス改革」(その内実は、上意下達以外の何物でもない)を進めたという意味で、決定的に重要だった。

このような意味での市場化は大いに結構、と思われる方も多いだろう。非効率であった大学をより効率的に運営し、研究や教育成果を世の中により多く、より良く還元する方法として。

だがそれは、二つの意味で幻想である。大学は効率化などしていない。

「効率化」の大失敗
一つには、現代の新自由主義、つまり「より少ない官僚制度」を原理とする社会は、逆説的にも、「より多くの官僚制度」を必要としてしまうのだ。大学であれなんであれ、これまで競争原理のなかったところに競争原理を持ちこむためには、巨大な評価・査定の制度とプロセスを必要とする。

デヴィッド・グレーバーが『官僚制のユートピア』で述べているように、新自由主義時代はより多くのペーパーワークの時代になってしまった。官僚制度を減らすための原理が巨大な官僚制度を生み出している。

実際、現在の大学教員は外部資金や認証を得たり自己点検評価をしたりするためのペーパーワークに溺れて、研究どころではなくなっている。さながら大学は、その組織自体を維持するためのペーパーワークや会議をすることを目的とした組織、という、「シジフォスの労働(労働をさせられた後に、その成果も過程も否定される苦役)」を地で行くような笑えない様相を呈している。大学は、それ自体を維持するための官僚組織になってしまった。

二つ目は、雇用の崩壊である。定常的な経費が削減される中、大学は、教員であれ事務職員であれ、正規雇用を維持する余裕を失っている。それはとりわけ、一橋大学のような文系の大学では顕著になる。文系大学は人が資本である。たとえば一橋は予算の65%を人件費が占めている。予算削減は雇用を直撃するのだ。

とはいえ、今働いている人間が解雇されるわけではない。人が辞めた際にポストがなくなったり、臨時雇用で補充したり、ということが行われる。教員の雇用が流動化し不安定になると、じっくりと腰を据えた研究がしにくくなる。

その結果は例えば、2015年の、国立大学協会政策研究所所長の豊田長康氏による研究レポート「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」が衝撃的な形で示している。それによれば2002年あたり以降、日本の論文数は停滞・減少し、先進国中でも最も低水準に落ち込んでいる。

例えば、2013年の生産人口あたりの論文数は、日本は31位で「東欧諸国グループに属する」という刺激的な言葉が見える。豊田氏がその要因として挙げるのは、フルタイム研究者の数、公的研究資金の額の減少であり、日本はそこで比較された先進国中で、いずれについても最低水準となっている。これは、明白に、ここまで述べたような改革のみごとな「成果」である。
この二つの問題の両方に関連して、最も深い問題は、大学が、そこで働く人間にとって、所属し貢献すべきコミュニティではなくなりつつある、ということだと思う。自分たちの参加によって、自分たちの意志と意図で大学をよりよいものにしていこう、といった感情は、「ガバナンス改革」という非民主主義化と官僚組織化、そして雇用の不安定化によってどんどん抱きにくくなっている。

そこに属する者が所属の意識を抱かず、自己利益のみを追求するような組織は、実のところ非効率な組織である。国立大学はそのような組織になりつつある。

その結果、大学を利用する側、つまり学生にとって、国立大学は従来の役割を失いつつある。現在、国立大学は我先に学費の増額に打って出ている。これもまた、大学の市場化の結果である。学費だけを見ると、国立大学と私大の差異がどんどんなくなっていくことが予想される。地域や経済事情に縛られた学生にも教育機会を与えるという公教育の役割を、国立大学は捨て去ろうとしているのだ。

分断統治
さて、そのような大きな情勢は、個々の大学ではどのように表れるだろうか。

その表れの一つが、私の経験であった。上記のような緊縮財政に大学が直面する中、旧来からの専門教員と教養教員とのあいだの分断が先鋭化したのである。だがその分断は、対等な分断などではない。実質的に人事権を持たない教養教員は、私が遭遇したような圧力にさらされることになる。

それを後押ししたのが、先の年表に挙げた、2015年6月の文部科学大臣通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」であった。これについては『大学出版』No. 106に文章を寄せたが、この通知は「教員養成系や人文社会科学系学部・大学院〔を〕、組織の廃止や社会的要請の高い分野に転換する」ことを求めて大きな衝撃をもたらした。

私はこの通知がその後どれくらいの実効力をもったのかについては確かなことを知らない。しかし、「文系お取り潰し」とも取れるこの通知が、一橋大学のようなまさに「人文社会科学系学部」のみで構成された大学にすでに存在していた上記の分断をさらに悪化させたのは確実である。

それは一種の分断統治だった。現在一橋では英語教育の外注化や第二外国語の必修廃止が進められている。これらは、何らかの教育理念に従ったカリキュラム改革の結果というよりは、ここまで語ったような外的な事情の結果なのだ。

その結果、人文学研究(それは文学部だけではなく、教養系の教員や組織によっても担われてきた)の継承は、危機的なものになりつつある。例えば、上記の記事で述べた通り、英語やフランス語などをまともに翻訳できる人間が──また、まともに翻訳するとはどういうことかを理解している人間が──日本からいなくなるような事態は、誇張ではなく想定される。

「お前は使い捨ての駒だ」
だが、私は人文学の危機だけを言いつのりたいのではない。これが分断統治であるということの意味は、「教養対専門」の対立は、「大学改革」を押し進めるための人為的な対立だ、ということである。確かに私は個人的な恨みを持っている。だがその一方で、私に石を投げた人間たちが、私と同じ苦しみの中にあることは分かっている。

ここまでの文章で伝わっていることを祈るが、教養系・人文系の苦境は、国立大学全体が過去30年間の新自由主義改革で疲弊してやせ細っていることの、ひとつの表現なのだ。それは、新自由主義というウイルスが引き起こした熱の症状なのだ。この熱にうかされているのは、大学全体である。

これが教養・人文教員の問題だけではないことは、私の経験が、私と同時に前年度末で一橋を退職された一橋のある事務職員さんの経験と強く響き合ったことにも示されていると思う。その職員さんは非正規雇用ではあるが、私と同じく10年ほど一橋に勤めていた。

私は私の著書(それがまた、女性が非正規労働者としてかり出されることを問題にした本だったのだが)に興味を持ってくださったのをきっかけにこの方と親しくさせていただいた。だが、彼女が大学を辞める直前につぶやいた言葉は、私に深く刺さった。自分がいかに、「お前は使い捨ての駒だ」という大学上層部からのメッセージにさらされ続け、思っていた以上に心を蝕まれていたのかが分かった、という言葉だ。

私はそれを読んで落涙を止めることができなかった。あなたは、私だ、と思った。

彼女のエピソードについて重要なのは、彼女が一橋をとてもいい職場だと思い、同僚にも恵まれていると感じながら働いていたという点である。それにもかかわらず、彼女は自分が「蝕まれている」ことを発見した。それは、ここに述べたような経緯で大学職員の非正規化が進み、その非正規職員の扱いも捨て駒的になっていった大状況を原因としたのである。

国立大学が、より豊かな探究や学びの場として生まれ変わることはあるだろうか。少なくとも、改革のための改革に奔走させられ、転がる岩を山の上にかつぎ上げ続けるような労働を強いられている間は無理だろう。私は一橋大学を、国立大学を愛していた。愛が深いがゆえに裏切られた時の苦しみも深かった。

転職した事情を、このような感情とともにこの場に晒すことはあまり褒められたことではないだろうし、この文章を書くことで私は学会や大学における立場を確実に狭めてしまうだろう。私の元同僚の一部は、私のことを許さないだろう。

でも、それくらいの犠牲で国立大学の現状を世に少しでも知らしめることができ、その生まれ変わりの可能性を針の先ほどでも開くことができるならと、筆を執った。私は国立大学を去った。そして今願うのは、去ったことを私に後悔させるような場に、国立大学がもう一度なってくれることである。

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