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【口が裂けても言いたい話】「(子供らしさ)という記号」

ネットフリックスオリジナル映画「雨を告げる漂流団地」鑑賞。かつて住んでいた団地に取り残され、漂流するというアクシデントによって家に帰れなくなった少年少女のファンタジックな冒険譚を描く。

ごく平凡な団地で暮らすコースケはある日、やんちゃなクラスメイトから夏休みの自由研究と称して「お化け団地」への冒険に誘われる。その団地はもうとっくに役目を終えているのだが、近寄ると時折中から人の声らしきものが聞こえるということで格好の肝試しエリアとして知られていたのだった。

クラスメイトの誘いに渋々付き合うコースケだったが、誰もいないはずのお化け団地には幼馴染のナツメがいた。そして、まるでお化けのような謎の少年の影。そして、おばけ団地はコースケたちを残して突然町から切り離され、だだっ広い海へと投げ出されてしまう……。

仲良しのクラスメイト、ひと夏の冒険。なるほど、ジュブナイルに必要不可欠な道具立てはそろっている。漂流団地、という往年の系譜を受け継ぐ設定・プロットも悪くない。しかし、ストーリーの中に今ひとつ没入できないのは、作品のところどころに「子供らしさ」という記号がこれでもかと散りばめられているからだ。

少年はいつもヤンチャで向こう見ず。少女はちょっぴりツンデレでそれでいて大人になりたがっている。脚本のテクニックによって若干のバリエーションはつけられているが、本作でもそうした「子供らしさ」が躊躇いもなく踏襲されている。

確かに、リアルな子供らしさは上質なジュブナイルにおいて必須の要素ではあるが、ここまであからさまに「子供らしさ」が記号として提示されつづけると、その描写力に没頭する以前に「本当にリアルなのだろうか?」というセンサーがはたらいてしまうのである。

ストーリー的に起伏が少ないという点も、本作の弱みではある。

主人公を含めた少年少女は、とことんまでに無力だ。お化け団地が突如として漂流し、住み慣れた町から切り離されて以降、彼らは状況を打開する術を持たない。偶然に漂流団地に近づいてくる過去の消滅団地に渡る以外に、希望を持つ手段がないのだ。プロットの構造上、「漂流→新たな団地発見→漂流」というサイクルを繰り返すしかないため、全体の流れとしてやや単調になってしまっている。クライマックスにかけての展開も結局は主人公たちが自らつかみ取ったものではなく結局は偶然の産物にすぎないため、ジュブナイルにはつきもののカタルシスが(思うほどには)少ないのだ。

キャラクター造形が男子目線に偏っているのも違和感ポイントである。物語の終盤、運命の呪縛から解き放たれたナツメが母親に求めたのは、「いい母親」になることだった。母親も働きながらひとりで家計を支えているにもかかわらず、である。これひとつとっても、本作が全体を通して男の視点から描かれていることがよくわかる。

孤独な大人にとって、「子供らしさ」は呪いにもなるのだ。

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