見出し画像

【口が裂けても言いたい話】「松田聖子はなぜ(歌姫)と呼ばれなかったのか」

渡邉裕二著「中森明菜の真実」読了。アイドル全盛期の1980年代をトップ歌手として駆け抜け、歌姫と呼ばれるまでになった中森明菜の芸能人生についてルポルタージュ形式で綴っていく。

本書では中森明菜の出生からプロデビュー、そして不世出の歌姫としてスターダムに上り詰めるまでの過程が丁寧な取材と記録によって深掘りされている。そして、彼女の類い稀なる才能を浮き彫りにするプロセスでは、同時代をトップ歌手として生き抜いた松田聖子と比較する形で記述が進んでいく。

単純な歌唱力・表現力では松田聖子よりも中森明菜のほうがはるかに上だったと、著者は綴る。もちろん、多少の主観も混じってはいるのだろうが、私自身の実感としても、妙な虚飾を嫌う中森明菜のほうが歌手としてよりストイックである、という評価は何となく理解できる。

処世術が苦手だった中森明菜と、他人に好かれる自己演出にとことん長けていた松田聖子。自己演出といっても煎じ詰めればそれは「表面的な処世術」であり、彼女自身からにじみ出る人柄ではない。このあたりが「松田聖子が歌姫と呼ばれなかった」理由なのではないだろうか。

合わせて言うと、きらびやかな芸名によって地味な本名をかき消した松田聖子(蒲池法子)に対し、中森明菜はあくまで本名を名乗り、生身ひとつで歌手の舞台に挑んでいる。このあたりにも、両者の本質的な違いを感じずにはいられない。

言い訳のようになってしまうかもしれないが、私は決してアンチ松田聖子ではない。松田聖子の天井まで抜けるようなハイトーンボイスは掛け値なしに才能の賜物だと思うし、「瑠璃色の地球」、「風立ちぬ」など、繰り返し聴きたくなる曲もある。

しかし、思春期の私にとっては、中森明菜の人生の憂いのすべてを背負ったような、時として地の底から湧き上がるように響いてくるハスキーボイスのほうが魅力的で、艶めかしく感じられたのだった。

残念ながら、現在30代前半の私は、中森明菜の歌手としての全盛期を知らない。私にとっての「中森明菜」は94年に放送された「古畑任三郎」の犯人・小石川ちなみであり、声が低く小さい妙齢の美人である。往年のヒット曲にしても、昭和の歌謡曲全般が好きな父親から気まぐれに聴かされ、いつの間にか覚えてしまったにすぎない。

それでも、歌手・中森明菜は私にとって唯一無二の歌姫であり、スターなのだ。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?