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ドヴォルザークのセレナード ホ長調 op.22

青春の傑作、今この時でしか書き得なかったもの

屈指の名曲ではないか。
ぼくはこの曲が大好き。
あまりに好きすぎて、「名曲だと思う」などと書きたくない。
「名曲だ」と断言したい。とっくに名曲認定されてるけど、それでも断言するのだ。
なんなら「誰が何と言おうと」と付け加えてもよい。
そしてこっそり「青春の」と形容してみる。
そう、青春の名曲。
人生において、その時かぎりでしか書き得ない、一回性の輝きに満ちた名曲。一回性の輝きは若年時にばかりあらわれるとは限らないけど、輝きというのはえてして汚れていない、無垢な光であるから、ぼくたちのバイアスは一回性のありかをつい青春に求めてしまう。感傷かもしれないが。
(さて、詩でも書くか)
おお青春、白雲のようにあんたは遠くに過ぎ去ったが、
なぜにいつまでも、とてつもない懐かしさの感情をもって、
わたしを悩ませるのだ
もう二度と、あの刻(とき)を生きたいなぞとは、おお、つゆ思わないのに
(詩、終わり。誰か曲つけて)

この曲を作曲した時、ドヴォルザークは33歳だった。
青春というには少し年齢がいってる? 33歳たらあんた、モーツァルトはすでにあの三大交響曲を完成させてますぜ。
いや、いいではないか。天才というのはいつも例外的な存在なのだから。
人は人、鹿は鹿、ドヴォルザークはドヴォルザーク、である。
三十三歳のドヴォルザークは青春真っ盛りであった。ニーチェいわく、遅くなって青春を得た者の青春は長い。
青春の若さにあふれて、霊感のおもむくまま、わずか二週間足らずでこのセレナードを書き上げたという。
やっぱりこの人は只者ではなかった。とてつもない才能の持ち主だ。

まず第一楽章の冒頭からして、いきなり心のドアを勝手にあけて、ずかずか入ってくる。
ぼくはこの曲に出会って、一発でKOされた経験をもつ。プロのボクシングの試合の最短時間は2秒と聞いたことがあるが、ぼくもそれに負けないくらいの早さで打ちのめされた。
なんという伸びやかな、自然の息吹そのもののような、美しい始まりだろう。こういうメロディーがいきなりポーンと出てくる。ブラームスはドヴォルザークの旋律創出の才に感嘆措く能わざるようだったけど、この冒頭部分の譜面を見たブラームスは、きっと興奮といくばくかの嫉妬で鼻の穴を膨らませたことだろう。
とにかく非常に印象的な出だしである。
このドヴォルザークのセレナードと同じ編成で、よく音盤でカップリングされるもうひとつの名曲、チャイコフスキーのセレナードの冒頭もなかなか魅力的だ。重厚で華やか。和声、特にバスの音が音楽の方向性を強く示しているので、つい聴き入ってしまう。ストーリーテリングの巧みさと言ってもよい。しかしこの種の巧みさで語られるストーリーというのは、えてして類型的な着地点というのをもっていて、だからこそテレビなどで使いやすいのだろう。
ドヴォルザークの冒頭には、こうした技巧的な巧みさはない。きわめて素朴、単純な作りだ。和声進行もホ長調の主和音をヴィオラが刻むだけ。
チャイコフスキーのそれを百戦錬磨の肉食系にたとえるなら、こちらは草食系。可憐な、人知れず咲く野の花の美しさ。

とにかくメロディーがあふれている。旋律至上主義的な、うわべだけきれいなメロディーがメドレーよろしく次々と出てくる曲はすぐ飽きるけれど、ドヴォルザークのこの曲はそうではない。口を衝いて出る旋律が音楽の形式と分かちがたく結びついている。外見だけでなく中身もしっかりしてるから、結婚相手として悪くないと思う。
三部形式の第一楽章は、冒頭の主題と対比的なリズミックな中間部をもつけれども、これが第一ヴァイオリンで繰り返された時、チェロが高温で伸びやかな対旋律を歌う。冒頭主題に負けず劣らずの単純なメロディーラインだけど、これがまた、たまらなくいいんだな。本当に音楽にあふれているなあと思って、音楽に浸る幸福をしみじみ味わう。

第2楽章のワルツ、正確には「ワルツのテンポで」と書かれた三部形式の楽章も、聴き手の心を離さない。
哀愁に富んだ、それでいて軽みのある軽快な主題も魅力的だけど、ここでもトリオにうつくしいテーマが出てくる。ため息のような下降線が特徴的な、音価の長いメロディーだ。
そういえばこのセレナード、下降するメロディーが多く出てくるねえ。
次の3楽章のスケルツォ、ここでも中間部に伸びやかな、歌う主題が出てきて、やはり大きく下降する。第2楽章トリオの変奏のようにも聞こえるけれど、これこそメロディー創出の才のなせるわざだろう。楽想の豊かさといえばシューベルトを思い出すけど、音楽は紛れもなくドヴォルザークだ。ボヘミアのシューベルト、ドヴォルザーク。

そして極めつけは、このセレナードの白眉ともいえる第4楽章、ラルゲットだ。ずっとお日様のしたで語らっていた音楽は、この楽章で初めて夜を迎える。清澄な夜の音楽。
このうつくしい主題もため息のように下降する。青春の鼓動を伝えるような、細かい音の流れ。すべては自然のうちに運ばれるのだ。切ない恋情の高まりも夜に包まれて、静かに眠りにつく。

フィナーレは活気あふれる舞曲で、青春どんちゃん騒ぎ、終わりよければすべてよしの世界を一気呵成に駆け抜ける。走れ、馬よ。
それにしても見事だなと思うのは、第一楽章の冒頭主題が回帰するところ。ここは聴く者の胸に異様な懐かしさを誘う。
ああ帰って来たのだな、ふるさとの地へ、と柄にもなく感傷にふけってしまうではないか。おお青春よ、過ぎ去った青春。
(詩でも書くか)
え、もういいって?
失礼しました。

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