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「あの人は才能があっていいなぁ~」←本気で言ってるんですか?

  

才能がある人って、うらやましいですよね。

・勉強の才能があるから、テストでめちゃくちゃ良い点が取れる

・運動神経がもともと良いから、どんなスポーツをやらせてもすぐに上達する

僕たちはよく、素晴らしい結果を残していてキラキラしている優等生やアスリートなどを見て「才能があったんだな~」と感心してしまいます。

と同時に、彼らと自分を比較して「自分にも才能があったら良かったのに、、」と少し悲しい気持ちになってしまうものです。

 

確かに僕も、すごく優れた結果を出している人を見ては「才能の塊だな~」とかって思ってました。

しかし最近、「何だか違うな」って感じてきたんです。

僕たちは優秀な人たちの表面の部分だけを見て「天才だ」とか「貴重な才能の持ち主だ」などど口に出してます。

 

しかし、「僕はその発言によって自分を正当化しているだけなんじゃないのか?」

そんな気持ちが、だんだんと強くなってきたのです。

 

 

才能って何だ?

 

「絶対音感」って知ってますか?

なにか楽器や物で音を出しただけで、その音が「これはミだ」「これはファだ」って瞬時に分かっちゃうアレです。

僕の中学校の音楽の先生もその絶対音感の持ち主だったんですけど、「音を聞いたら、それがどの音階なのかすぐに分かる」なんてすごいですよね。

 

一昔前までは、絶対音感はほんの一握りの人しか持っていないと言われ、絶対音感を持つ人は「音楽の天才」と称えられていました。

まさに「生まれ持った才能」って言えますよね。

 

 

 

しかしながら最新の研究では、絶対音感は才能とは関係ないということが明らかになりました。

その研究では、2歳から6歳までの24人の子供たちに音を正確に聞き取らせるトレーニングを1年間ほど実施したそうです。

その結果、その24人全員がちゃんと音を聞き当てることができるようになりました。

今まで才能と思われていた絶対音感が、トレーニングによって後天的に身につけることができたというのです。

 

あれ?って思いませんか。

才能とされてきたことが、実際はトレーニングで誰でも獲得できるらしいんですよ。

じゃあ、才能っていったい何なの?って話です。

 

 

僕には勉強の才能があったのだろうか?

 

僕が高校2年生の時、1年ぶりくらいに中学の同級生に偶然電車の中で会ったことがあるんです。

久しぶりに会えてうれしかったので、いろいろと話をしていました。

 

その時にその同級生から「中学の頃、お前のことを『こいつは天才か』と思ってた」って言われたんですね。

確かに僕は中学のころ、特に3年生の時は学年トップクラスの成績を取ってました。テストも90点以上が多かった気がします。

そんな僕の姿を見て、その友達は「こいつは天才か」と感じたのだと思います。

 

ただ僕自身、その言葉にびっくりしていました。なぜなら僕は「自分に勉強の才能はない」とずっと思っていたからです。

僕からしてみれば「いや、お前ぜんぜん授業聞いてなかったし、宿題も出してなかったし、休みの日は遊んでばっかやったやん」って感じでした。

僕は授業ちゃんと聞いていたし、宿題もちゃんと出してたし、テストで90点以上取れるくらいの力がつくまで何回も勉強したんだと。

結果としてテストの時は良い点数取れたけど、僕の心の中では「まあ、努力相応の結果だな」って思いでした。

 

 

逆に僕は、スポーツはそれほど得意じゃありませんでした。

なので中学の時は、体育のどんな種目でもめっちゃ上手くやっているクラスメートを見ては「こいつ天才か」と思ってたんですよね。

 

でもよくよく考えてみると、そいつは小さいころからサッカーのユースチームで一生懸命サッカーの練習に励んでいたんです。

ずっとサッカーのトレーニングを続けてきて、基礎的な体力はあるし、体の動かし方もちゃんと知っている。だからサッカーに限らず色々なスポーツができるのです。

「スポーツの才能があるな」と思っていたけど、実は彼はずっと努力を続けていただけだったんです。

 

 

才能じゃなくて、早くから正しいやり方を知っていただけ


僕はひとつの確証を得ました。

「僕らが才能って呼んでるものって、生まれつき持っているものじゃなくて、実は正しいやり方で練習すれば身につけられるのではないか」

才能があると言われている人って、「どうにも動かしがたい何か」を持っているわけじゃなくて、実は「適切なやり方」を早くから知っていただけなんじゃないかと。

 

絶対音感の話で言えば、小さいころからのトレーニングで音階がわかるようになるらしいです。

僕は物覚えが良いほうだったんでしょう。でもおそらくそれは、「どうやったら効率よく記憶できるか」を中学の時からうすうす勘づいていたからだと思います。

スポーツのできるクラスメートの彼は、小さいころからユースチームで鍛えられ、正しい体の動かし方を会得していました。

どれもこれも、「正しい方法」を知っていたからに過ぎません。その正しい方法をただ淡々と実践していただけ。

 

僕らが「才能を持った人」と呼んでいるのは、実は「早くから正しいやり方に気づいていた人」なのではないでしょうか?

もちろん、才能の存在を全否定するつもりはありません。

しかし、ただ「やり方を知っている人たち」のことまで、僕たちは「才能の持ち主」と呼んで片付けているのかもしれないのです。

 

 

勉強でも同じことが言えます。

勉強を頑張っているのにテストで点が取れないのは、決して才能がないからではない。勉強ができる人は、勉強の才能にあふれているからではない。

勉強ができる人たちは「勉強のコツ」が分かっている。勉強ができない人は、彼らが知っている「勉強のコツ」がまだ分かっていないだけなんだ。

僕はそう信じています。

幸いにも、僕は正しい勉強法に早くから気づくことができました。そのおかげで周りよりも良い成績が取れたし、第一志望の大学にも現役で合格できました。

 

勉強は才能じゃない。正しいやり方を知っているかどうかです。

だから、これを見ているあなたには「正しい勉強法を実践しよう!」と頑張ってほしいです。「才能」なんて曖昧なワードで、自分の目指すものを諦めてほしくないんです。

 

そのために、僕はこのプログラムでたくさんの「正しい勉強法」を発信しています。

僕はこのプログラムを立ち上げる際、「正しい勉強法を実践すれば、誰でも良い成績が取れる」をポリシーとしています

才能という言葉に惑わされずに、「正しい勉強法とは何なのか?」を知っていってください。

 

 

一流の人たちは努力量も一流

 

スポーツ、ビジネス、アート、お笑い、・・・

この世界にはたくさんの「一流の人」が存在します。

その人たちを見て「才能があってうらやましいな、、」って思ってしまいますよね。

でもそれって、実はすごい失礼なことだったんです。

 

彼ら一流の人たちは、さっきも言ったような「正しい方法」を使ってあそこまで上りつめた人ばっかりだと思います。

でも、ただ正しい方法を実践したからといって、一流になんてなれるでしょうか?

 

プロスポーツ選手は小さいころから十数年間もそのスポーツをひたすらやって、あの地位まで行きつきました。

お笑い芸人なんて、ブレイクするまでに芸歴5年とか10年とか当たり前です。

数十億とか稼ぐような企業を立ち上げた起業家の人も、最初の頃は寝る暇も休みの日もなく働き続けてきた人たちばかりです。

 

そうやって、一流と呼ばれる人たちはその輝かしい結果を残すまでにものすごい量の努力をしてきているわけですね。

普通の人だったら諦めるような場面でも、粘り強くひたすら頑張ってきた人たちなんです。

それを、今のキラキラしている姿だけを見て「才能があったんだ」で片づけるのなんて、すごく失礼だと思いませんか?

必死に手に汗握ってコツコツ努力してきた過程を考慮せずに、「天才だ」で済まそうとするのって違うと思うんですよね。

 

 

勉強だって同じです。

良い成績を取っている人を見て「あいつは頭のつくりが違うんだ」とか思ってはいけないんです。

その人は必死に勉強しているはずです。その努力の過程をしっかりと想像できるようにならないとダメなんです。

 

恥ずかしながら、僕もその経験がありました。医学部に入学したら、とんでもなく勉強ができる人が何人もいました。

そんな彼らを見て「あいつらと僕とでは出来が違うからしょうがない」って思ってしまってました。

彼らが裏で必死に勉強していることも知らずにです。

それが分かってからは、僕も必死に勉強して彼らに食らいつくようにしています。

 

めちゃくちゃ結果を残している人を見ても、「才能があっていいなぁ~」なんて考えてはいけません。

それは「逃げ」です。そもそも人間として違うんだと思い込んで「彼らは別格なんだから、自分が追いつけなくてもしょうがない」と、自己を正当化しているだけです。

才能なんて言葉は、努力してない人が自分の事を棚に上げるために使ってるだけなんです。

 

この現象って、ある意味しょうがないと言えばしょうがないんですよ。人間というものは潜在意識の領域で本能的にそのような逃避行動をしてしまうから。

そうしないと、自分の存在意義や自己の価値が無くなってしまうからです。

だから自分の心を安定に保つために、「あいつと自分はモノが違う」と納得するようプログラムされています。

 

でも、それは虚構です。嘘っぱちなんです。

人間として違う?? そんなわけないじゃないですか。

みんな同じなんです。努力の量が違うんです。

 

人間は「才能が~」と言ってはサボりがちです。今すぐその罠を抜け出して努力を継続しなければなりません。

才能のせいにしたい気持ちはすごくよく分かります。

あいつと自分との差は、努力ではどうにもできない、持って生まれた能力の差であってほしいと思うものです。

でも、それは幻想なんです。

結果を出している人は、それだけの努力をしている人なのです。

 

 

才能とか、どうでもいい

 

「自分も頑張っているのに、なかなか結果が出ないな~」

「それに比べ、あの人はそこまで頑張っていなさそうなのに結果が出ていいな~」

こう思ったとき、人は「才能のせい」にしてしまいます。

すごくよく分かります。僕も何回も経験があるからです。

でも、ずっと説明してきた通り、それは間違いです。

 

万が一として、それが仮に才能のせいだったとします。その可能性も無くはないです。

ただし、そうだったからといって、それが「あなたが努力しなくていい理由」にはなりません

自分には才能があるのかないのか、そんなことどうでもいいんです。

「才能がないから努力しない」ではありません。むしろ「才能がないからより努力する」です。

 

世の中なんでも上手くいっている人っていますよね。その人たちってまさにこの思考の持ち主なんです。

3つも4つも才能を持っている人なんてそういない。だから努力でカバーするんです。

 

 

 

成功の方程式は「正しいやり方」×「努力量」です

才能なんて関係ありません。

もしかしたら、すごく頑張っても結果が出ない時があるかもしれません。

そのときはまず「自分は正しい方法でやれているか?」と考えてください。

それができているなら、まだ目には見えていないだけです。隠れたところで確実に成長しています。

努力をひたすら積み重ねていってください。

 

 

才能という言葉で逃げないでください。

努力を継続して、あなたが立派に成長することを願っています。

 

 

 

次のセッション ⇩⇩⇩

今まで勉強ができなかった人こそ、コツを掴めば誰よりも勉強できるようになる

 








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