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どうでもいいこと、つづけよう。

どうでもいいことが持っているパワーを甘く見てはいけない。
どうでもいいことが話せる相手は生涯付き合える仲になるし、
どうでもいいことから世紀の大発明が生まれたりする。

僕はというと最近本当に全てがどうでもよくなってきた。
髪型も適当でいいし、家と会社の往復しかしないから着る服も昔より気にしなくなってきた。と書こうとしたが逆だった。
そんなどうでもいいことにちゃんとお金と時間をかけるようになったのだ。

どうでもいいことに投資していると起きる、いいことが一つある。
自己満足感である。そう自己満。人生なんて自己満でいいのである。
自分さえよければ大体うまくいく。
自分だけよくてもうまくいかない時もある。
そういう時だけはちょっと気を遣えばいい。それだけだ。

人間は、特に日本人はワビサビがどうとかオモテナシがどうとか
とにかく周りに気を使いすぎ。気を使いすぎて逆に相手の気分を害していることもある。本当に空気が読める奴というのは常に相手がリラックスできる空気を作れる奴だ。

僕は昔から生きていると急に色々どうでもよくなる瞬間が年に2、3回くらいやってくる。三大欲求以外本当にどうでもよくなってしまうのだ。今この日記を書いていることすらもどうでもよくなってきた。

じゃあ、死ねばいいのか。ふざけるな、僕には自殺する勇気などない。
自ら命を絶てる人間を心から尊敬する。だって痛いだろあんなの、苦しいだろ、度胸ありすぎ。ある意味自殺する度胸があるならどんなことでも乗り越えられると思うのだ。
たぶん自殺する人の心境はもうそういうベクトルではないのだろう。
とにかく生きているのが辛くて苦しくて人生を終わらせたい。なのだろう。
だとしても一世一代の決断である。天晴だ。

それに比べて僕はどうだ。特に人生の目標もなくダラダラと細胞分裂を繰り返す日々。
このままでは自分が存在しているだけで温暖化が進み環境破壊が深刻化してしまう。

話は戻るが「どうでもいいこと、つづけよう。」である。
ホリエモンが放った今世紀最大の名言がある。
「人は不要不急のために生きている」
なんて皮肉な言葉だろう。これほど的確に時勢を風刺した言葉はなかった。
これだけ外に出るな人に会うなと喚き続けた人達もさぞため息をもらすだろう。

「不要不急」いわゆる「どうでもいいこと」はそれだけ私たちに大きな活力を与えているのだ。不要不急がなくなったらどうなるか。ゴリラと同じである。
やっていることはもはや原始時代のゴリラである。
腹が減ったら食糧を探して、食っては寝る。その繰り返し。
そこに何の楽しみがあるだろう。心から彼等に拍手を贈りたい。
どうやって長い人生の暇つぶしをしていたのだろうか。

今調べて驚いた。縄文人は大体30歳で死ぬそうだ。
おれの歳で最長老かよ。
暇つぶしどころか光の速さでバンバン死んでたんだ。
人間の平均寿命がどんどん延びているからおそらく自分も100歳くらいまで生きるだろう。誰にも殺されなければだが。

もう一度話を戻そう。
とにかく「どうでもいいこと、つづけよう。」である。

「今その話いる?」「やかましい。」「後にしろ。」
そんなリアクションが返ってきそうな話は全てどうでもいいことで間違いないのだが、生きていくうえで大切なことでもある。
どうでもいいことがなくなったら世界は目的と異なることは全て排除。
「ア」を求められる場面で「イ」と言ったら最期である。

なんてつまらない世界だろう。
「ア」を求められているのに敢えて「イ」や「ウ」と返せるのが面白いのだ。
これ以上はまた明日にしよう。

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