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Genesis 自己紹介パート零 -ZERO-

これはなにか

本日2020年8月14日は父親が亡くなって15年。
ふとFacebookをみたら2012年8月14日の僕がポストしていた記事が出てきたので、読み返すと当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。

自分の核ともなる出来事なのでいつでも見返せるよう、その原文をnoteに記録しておこうと思う。

原文(2012年8月14日当時のもの)

拝啓 父上様。

今日で七回忌なのですね。
もうそんなに時間が経っていたとは驚きです。
あの日から怒涛の日々がはじまりました。

受験を辞め、深夜のアルバイトをはじめました。
“労働”ということからかけ離れていた生活をしていたので、ゆとりらしく最初のウチは苦痛でしかありませんでした。
高校の卒業式前日、当日も深夜勤務だったので、卒業式中はほぼ寝ていたのを覚えています。

高校を卒業し、家族は分離。
僕は郵便局で働きはじめました。
今だから言える話、僕はイイ年してアルバイトをしている大人たちが大嫌いだった。
これがフリーターってヤツか、、、と感じ、同じ世界で働いていることに嫌悪感を抱いて、避けてしまっていた。
でもいざ仲良くしてもらったら、1人1人の人生はとても素晴らしいモノでした。
ただ親の言いなりになって、
勉強していた僕なんかよりもずっと輝いていた。

その頃から、僕の考え方は450度変わった。
360度全体を見渡してから正反対ではない、ちょうど中間くらいの道を見つけたのだ。
そして、郵政民営化のタイミングを見計らって2年遅れの大学進学を決意。
週40時間以上働きながら、しかも10月から受験勉強を始めて、ちゃっかり受かっちゃったのは、小さい頃からの親の教育のおかげ。
とても感謝しています。

大学入ってからも勉強で苦労することは一切なく、月40日出勤クラスのバイトシフトでも、学内で10人弱しか貰えない第一種給付奨学金を受けることが出来ました!
これも感謝!
空いた時間を縫っては嵐のように遊び、いろんな人に出会いました。
そういえば、郵便局時代の先輩に勧められベースをはじめ、
大学でも軽音サークルに所属しましたよ!
3年次には幹部もやった。

でも、その3年次にまた人生を変える大きな事件が起きた。
思い出したくもない、アカの他人に授業料を振り込んでしまうという事件。しかも、締め切り1週間くらい前。

もうほんとうに絶望した。
軌道に乗っていた生活を襲った、どうしようもない恐怖感。
疲れ過ぎが原因となったこの事件では、周りの人たちにとても助けてもらった。
これまで、全部ひとりで出来ると過信して人に頼る事を毛嫌いしていたが、いまではそんなことを思っていた自分を穴に埋めたいと思っている。
岡崎、さくらにはほんとうに助けてもらった。
二人がいなかったら、僕は大学を退学になっていたと思う。

こんな最悪の事件をなんとか乗り切ったとき、ふとあるコトに気が付いた。
“わし、めっちゃ運いい”

もし、郵便局で働いていなかったら?
もし、郵政民営化になっていなかったら?
もし、助けてくれた友達に出会っていなかったら?
もし、あのタイミングできちんとでバイトをはじめていなかったら?
もし、こんないい人たちに恵まれていなかったら?
他にもたくさんの“もし”がある。

最悪だと思っていた人生は、いつの間にか最高だと思えるようになってきています。
しかもこの人生の中で勝手に、強靭な肉体と精神、壁を作らず溶け込めるコミュニケーション能力、たくさんの人たちの感性や考え方を自分の中で整理して、答えを弾き出す能力が身についたと思います。

その結果?
無事、希望の企業から内定を頂くことが出来、来年から赤坂で働きます。

あの頃の自分がみたらびっくりして、発狂するかもね。
簡単に説明するとこんな人生でした。
後半駄れたのは許して。

いま思うのは、あの頃の自分がもうちょっと大人だったら、貴方からとても大きなモノを吸収出来たんぢゃないかと後悔しています。
あとお酒を飲みながら話がしたかった。

長くなったけど、来年からも頑張るよ。
なんとかこの大学生活を乗り切って、冬あたりに一回行きます!

自分を信じてくれていた親父を信じて、社会人も無双したいと思います。

ありがとう。

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